人気のなくなった不気味な館内を歩いていると、窓ガラスを通って叩いていく人影や、くしゃみをする男の人、猫の鳴き声なんかがした。
まるでお化け屋敷だ。
そして最後に、足跡が深海の世の前まで続いている。
足跡は絵の方へ向かって、戻った形跡もない。
と、いうことは向かうは絵の中だろうか。
「ごめんなさい」
ゲルテナの作品に触れることを誰にでもなく謝罪して、シオンは絵に指先を触れた。
そして、そこからたぷんと広がる水の波紋に目を見開いた。
水だ。そこには描かれたものではない水が存在した。
実体化した水の中で、大きな魚が蠢いている。
これは、ゲルテナのポスターにも描かれていた魚だ。
「この中、か」
指先を一端水から放し、シオンは立ち上がった。
出入り口はない。
人も消えた。
そんな完全に隔離されたこの美術館の中で、来るかも分からない助けを待つか、道がある限り前に進み続けるか。
しばし考え、待っていてもしょうがないとシオンは深海の世に身を投げ捨てた。
魚に食われないことを祈りながら。
目を覚ますと、赤と青の絵画がある場所にいた。
さっきまでと雰囲気が全く違うが、美術館の面影は残しているそこは、足元が暗くて目がな慣れないと危険だ。
「行くか…」
しかし、立ち止まっていても始まらないのでシオンは青い絵画の道へ向かうことにした。
奥に進むと、花瓶に一輪の薔薇が活けてあった。
真っ白い純白の薔薇は、造花かと思ったが触れてみると本物だということがわかった。
すっと引き抜き手に取ってみる。
枯れてはいないが、少し元気がないように思う。
そして、花瓶が置かれた台が邪魔で分からなかったが、後ろには扉があったこと気付いた。
ひとまず、薔薇は持っていることにして、台をどかして扉の中に入った。
すると、大きな絵画がまず目に入った。
女性の髪が額縁からはみ出しているのは目の錯覚かと疑いたかったが、そうではないらしい。
“その薔薇朽ちるとき
貴方も朽ち果てる”
そう書かれた表示から目を放すと、今度は女性が不気味に笑っていた。
「冗談はやめてくれ…」
シオンは呟いて白い薔薇を握り絞め、苦い笑みを浮かべた。
気が滅入りそうだ。
床に落ちていた鍵を拾い足早にその部屋を出た。
そして試しにさっきの花瓶に薔薇を活けてみた。
あの女の表示通りなら、この薔薇が枯れたら、持ち主も死ぬということになる。
ということは、これを枯らさないようにしなければならない。
こんなところで死にたくはないので、半ば祈る気持ちで薔薇を見つめていたが、どうやら当たりだったらしい。
薔薇はみるみる水を吸い上げて元気になった。
その薔薇を再び手に取り、これで命の危機は免れたと思ったのもつかの間。
かえせかえせかえせかえせかえせかえせかえせかえせかえせかえせかえせかえせかえせかえせかえせかえせかえせかえせかえせかえせかえせ
「っ!?」
いきなり床や壁におびただしい数の文字が浮き出してきた。
一瞬で背筋がゾクリと泡立つのを感じる。
「……なんなんだよ」
呟いて、シオンは大きく深呼吸をした。
「考えたってしょうがない。進もう」
兄は、無事なのか。
それにあの小さな女の子も…。
不安と恐怖を吐き捨てるように、シオンは鍵を使って扉を開け放った。