▼ ___6話、それはまるで言葉を奪うような



いつものように空を見上げていれば、千代の焦ったような声が部屋の外から聞こえた。いつも静かな二の丸の廊下で千代に何かあったのかと思い、すぐに締め切っていた襖を開けて廊下を見てみると、


そこに立っていたのは




「……ま、松永様」




思いがけない来訪者に、しばらく動けずにいた。千代は体を小さくして、松永様と話をしているようだった。一体何の話をしているのか、気にはなったが千代が私に気付き「名前様」と呼んだ。千代の目線で私を見つけた松永様はゆっくりとこちらに向かってきた。

そして私に「君は茶の嗜みがあるかね?」と尋ねてきた。勿論、幼き頃より茶道も躾として身に付けているので「はい」と答えれば、連れて行かれたのは松永様がよく茶を楽しまれる茶室だった。

何故、私を茶室になどにお呼び下さったのだろうか。疑念をいだきながら茶道具で茶を点て、松永様へと茶碗を運んだ。




「君も飲むといい」

「はい」


松永様から共に茶を飲む事を許され、「お先に」と声をかけてから茶をすすった。その後に続いて松永様も私が点てた茶を飲んで下さった。




「良い」

「ありがとうございます」


その言葉にホッとした。


緊張して上手く茶が出来たのか不安だったが、私が点てた茶はお気に召されたらしい。松永様に頭を下げて、再び松永様のお顔を見ると、彼の目線は私の方に向けられていた。松永様のあの鋭い眼光はやはり苦手だ、私の全てを持って行かれそうで怖い。まるで心の中を見透かされているようで、きっと私はあの目に見つめられると駄目になってしまう。また熱が出そうです。





「あの、松永様、私の顔に何か付いていますか?」

「やはり、君は美しい」

「……た、例え、虚言だとしても、嬉しく思います」

「私は嘘をつかない」

「では」

「本当の事だ、素直に受け取りなさい」


ふっ、と笑う松永様に、私の中の鼓動が早くなった気がした。静かな茶室の中で松永様と二人きり、そして松永様は私を見つめ、美しいとお褒め下さる。

会いたいと願ってはいたが、こんなにも近くに居られるなど思ってもいなかった。茶の相手が私などで良いのかと、ついつい疑ってしまう。






「どうしたのかね」

「いえ、その、松永様にお褒め頂いたので胸の中が騒ぎ立てております、この静かな室で、松永様にそれが聞こえてしまわないか心配でございます」

「正直な者は嫌いではない」


松永様は茶碗を畳の上に置き、隣に来なさいと呼んだ。体が震えたが、なんとか茶碗を片付けてから、恐る恐ると松永様の隣へと失礼した。






「何か欲しいものはないかね?」

「欲しい、もの、ですか」


松永様は隣に座った私の腰に手を回し、ぐっと自分の方へと引き寄せた。そして私の手を握り取り、目が合った。

とても近い距離で見つめ合う私と松永様、私の体は松永様によって、かっちりと寄せられているため逃げ出す事が出来ない。いや、逃げ出そうなどとは思ってはいない。今、松永様の視界を独占しているのは私、私だけだ。こんなにも贅沢な事があっていいのか。松永様の大きな手に握られた私の手は震えが止まっていた。





「欲しいものなど、私は」

「ないと言うのかね? おかしい、私は欲しいものがたくさんあるというのに」

「松永様の欲しいものとは、やはり宝なのでしょうか?」

「左様、私にはどうやら収集癖があるようでね、珍しい宝というのはつい集めてしまいたくなる、欲望に取り憑かれた哀れな男だと君は私を非難するかね?」

「いえ、人というものは欲望に忠実に生きているものでございます、欲望は誰にでもあり、無いものとするならば髑髏くらいかと」

「そうか、人ならば、か」

「違っていましたか?」

「いいや、君の言う通りだ。人とは欲望に忠実に生きてこそ真理だ、欲望とは時には人を強くする、しかし弱点ともなりゆる。何ともおごましいものだ。人である以上、それは失う事の出来ぬものだというのに」

「望む事、求める事を失うというのは、とても悲しい事ですね」


私にだって、欲望はある。鉢屋衆の存続、松永家の安泰、松永様の栄光、どれも私が望んでいるものだ。

そしてあわよくば、松永様のおそばにずっと。




「そうだな、次は、囲炉裏に集めた宝を君にも見せよう」

「是非見たいものです、松永様が集められたものならばどれも素晴らしいものばかりでしょう」

「君の声は心地良いものだな、聞き惚れそうなものを持っている。しかしどうしてだか、その口を塞ぎたくなる」

「? それはどういう」



首を傾けようとすると、腰に回っていた松永様の手は私の後頭部を支え、気付いた時には口を吸われていた。

時が止まったような気がした。どれだけの時間、口を吸われていたのか分からない。口吸いだと分かった時にはもう松永様は私から離れていた。





「……っ」

「私は君の言葉を奪ったわけではないのだが、声を失ったのかね」

「い、いいえ」

「そうか安心した。伝説の忍のようになったのかと杞憂した」

「伝説の忍?」

「知らないのか、姿を見た者は誰もいないという、腕のたつ忍がいるという話を。噂では百年生きているとも言われている」

「誰も姿を見た事がないなんて、まさに伝説ですね、しかし何故私がその伝説のようになったと」

「その忍は声を失っているとの事だ」

「なるほど……それで、ですか」



しかし松永様の話を聞いていると、何やらおかしな事に気が付いた。話を繋げると、どうも辻褄が合わないのだ。




「誰も姿を見た事がない伝説の忍、というわりには、声を失っているという情報があるのですね。これでは矛盾しているような……」

「伝説とは名ばかり、忍はこの世に存在する。現在も暗躍していると聞く、是非とも我が軍で雇ってみたいものだ」

「その忍に名はあるのでしょうか」

「風魔小太郎」



松永様は伝説と呼ばれる忍の名を教えてくれた。その姿を見た者はいないとされる「風魔小太郎」どんな忍なのだろうか、百年生きているなんて噂があるという事はもしや妖の類なのでは? そう思ったが口にすれば松永様に引かれそうなので出かかった言葉を飲み込んだ。




「名前」

「はい、松永様」

「久秀と呼べ、君は私のものなのだろう」

「……よろしいのですか」

「私は嘘をつかない、二度も言わせるな」

「はい、久秀様」


名で呼ぶと、久秀様はまた私の体を引き寄せた。久秀様の体温を感じ、とても恥ずかしくなった。私を見てくれている、私だけを見てくれている。




「名前、君は私の元から離れるな。私への裏切りは死と思え、私から逃げようなどとは思うな、考える事も許さない」

「はい、久秀様」


私が久秀様を裏切るなどあり得ない。だって私は久秀様と鉢屋衆と民と、この地で、この国で、共に生きて行くと決めたのだ。今更、他の地で暮らそうなどとは思わない。死ぬ時はこの地で果てたいと思うばかりだ。




「私が裏切るなどありません、もしあればこの首、切り落として下さい」

「君は……やけに信念を持った者だな」

「これでも武士の娘ですから、覚悟は出来ております」

「君は女だ、甘えていれば良いというのに」

「いいえ久秀様、甘えてばかりの女も、いつかは退屈して飽きてしまいますよ」

「ふむ、強い女は嫌いではないが、やはり男としては甘えられるのも悪くはない」

「それではまるで」


朝日様のようではないですか?


私が知る限りでは、朝日様はいつだって猫なで声で久秀様に甘えていたのだろう。あの日だって久秀様の腕に絡み付いていた。武士の娘として、そんな風にはなるまいと思っていたのだけど、久秀様はそれでも良いと仰る。





「朝日様の、ようですね」

「誰の事だ?」

「え……」


もしや久秀様、朝日様をお忘れですか?




「いいえ、何でもありません」

「そうか」

「久秀様、私は久秀様に必要とされる為に此処におります、お命すら、貴方様のものです」

「私は君の命を欲してはいないが、まぁ良いだろう、可愛がってやろう」

「はい」



耳元で囁かれた言葉、久秀様に握られた手に酔いしれながら、ただ恋しいこの方を見つめた。

私の瞳も、心も、全て貰って下さいませ。





「ところで久秀様、茶室から見えるこの庭はとても素晴らしいですね、季節が感じられます」

「長い年月をかけ作らせた、ふむ、君には風情というものが分かるというのか、句の一つでも読ませてみたいものだ」

「句、ですか……ん?」


久秀様の自慢だというとても風情のある庭を見つめていると、手入れされた樹木の後ろが揺れた気がした。風とは明らかに違う、その動きを不審に思い視線をそちらに向けた。

一点をジッと見つめる私に気付いたのか、久秀様も「どうしたのかね?」と庭の方へと顔を向けた。



「何かが、いたような気が」

「何か、とは?」

「……。」


かさかさと動く葉っぱがどうしても気になってしまい、立ち上がり草履を履き、先ほどから動くそれに近づいた。「名前」と、私を呼ぶ久秀様の声で私の伸ばされた手はスッと引っ込んだ。

しかし、目の前では未だにかさかさと動く葉が。何かいるのだろうかと、確認しようと後ろを覗いてみると




「!」


白い何かが私の体に体当たりしてきた。思わず飛び込んできたそれに驚き、ぎゅっと抱き止めてしまった。そのまま後ろへと倒れて尻餅をついた私の元に、久秀様が駆け寄って来た。





「名前、何かね “それ” は」

「え?」


久秀様の言う “それ” というのが、最初は何の事か分からなかったが、咄嗟に抱き止めたものを確認して、すぐに “それ” を把握した。

私の腕の中には、白くて小さな、ふわふわとした動物がいた。ピンと真っ直ぐな耳を見て、 “それ” が何の動物なのか理解した。




「狐? ……あ、子狐かしら?」


両手で抱えられる程の大きさ、きっとまだ幼い狐なのだろう。白く美しい体に、目元にある赤い模様、まるで稲荷神のような狐を抱き上げながら、私は尻餅をついた状態からゆっくりと立ち上がった。まさか狐が飛び出して来るとは思いもせず、そもそもどうして狐がこの庭に迷い込んだのか不思議に思い、首を傾げた。

しばらく狐さんと見つめ合っていると、
「それは、妖(あやかし)かね?」と久秀様に話しかけられた。





「明るいうちから妖(あやかし)が出るものでしょうか? 久秀様、この子は狐さんですよ、とても可愛いらしいです」

「狐や狸は人や物に化けると聞く」

「御伽話なら私も存じております、この子がもし人や物に化けるとしたら面白いですね、けどこの狐さんどうしたんでしょう? どうして城の中に?」

「此処は山が近い、おおかた迷い込んだのだろう。此処に迷い込んだのが狐ではなく人であったのならすぐに斬り捨てていたものだが、残念だ」

「斬り捨て……」


そう言った久秀様の右手には刀があった。もし庭に忍び込んだ者が狐ではなく人であったのならば、既にこの場は血で汚れていただろう。

私は白い狐を守るように、ぎゅっと抱きしめて久秀様から少し離れた。





「私に動物を斬る趣味はないのだがね」

「本当ですか? 本当に斬ったりしませんよね?」

「君の好きにしたまえ」


久秀様はとうにこの狐さんに興味がなくなったのか、刀を持ったまま庭から茶室へと戻って行った。斬られずに済んだようで、私は再び狐さんの顔を見た。

くぅん、と狐は小さく鳴いた。弱々しい鳴き声に、「お腹が空いているの?」と話しかけた。しかし此処に狐の食べるものはない、食べ物があるとすればお茶請けに用意されている大福くらいなものだ。流石に狐に大福を食べさせるわけにもいかない、ではどうすれば良いのだろうかと考えながら、狐を抱いたまま茶室の縁側へと腰掛けた。




「狐さんはお腹が空いて此処に迷い込んだのかもしれません」

「餌を求めて来たと? ならばその狐は愚かなものだ、此処にあるのはこの大福くらいだからね」


久秀様は小皿に乗った大福をひょいと持ち上げた。すると私の腕の中にいたはずの大人しい狐は、するりと腕の中を抜けて、小皿に乗った大福をぱくりと口に咥えて颯爽と走り去って行った。



「あら」

「……。」


久秀様は空になった小皿を持ったまま静止していた、かと思えばその小皿を畳の上にそっと置いた。先程まであったはずの大福はもう存在していない。




「名前」

「はい、久秀様」

「狐というのは、大福を食すのか」

「……聞いた事ありませんが、最近の狐さんはお好きなのかもしれませんね」

「変わった狐だ」

「とてもふわふわでした、もう少し撫でたかったものです。ああ久秀様、大福でしたらもう一つありますのでお召し上がり下さい」

「いや、いい。君が食べたまえ」

「しかし……」

「甘いものは嫌いかね?」

「いいえ、では半分こしましょう? 狐さんが欲しがるくらいですもの、きっと美味しいのでしょうね」



畳の上に腰を下ろし、茶室で久秀様とゆっくりとした時間を過ごした。とても珍しい狐さんに出会い、不思議な出来事があったけれど、こうして久秀様と二人きりで過ごせるなんて夢のようだ。

先程出会った狐さんの行方が気になったが、賢そうな狐だったのできっと大丈夫だろうと思う事にした。










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