▼ ___5話、花に例えられ喜ばぬ女はいない




ようやくお会いする事が出来た、会いたくて会いたくて堪らなかったあのお方。


あの鋭い眼光に見つめられ、私のみをその瞳に写して下さった。なんとも嬉しき時間だったか、それだけではなく私の名さえも聞いて下さり、呼んで頂けた。しかしそのお方はとても残酷な人だった。己の側室の一人を、殺してしまったのだ、朝日様が犯した罪は許される事ではないが、殺さなくても良かったのではないかと疑ってしまう、しかしこの世は、城主の機嫌次第で人の生死が分かれるようなものだ。


周りの兵士達も松永様の愚行に慣れているのか、朝日様の死に対しそこまで気にしている様子は無かった。それだけではなく、甚内様が言うには朝日様は城の中では嫌われていたと教えてくれた。だからといってこうもあっさりとあの爆発を忘れて良いのだろうか。



私は、受け入れなければならない。


乱世、皆が天下を取ろうと動いている。



あちこちで戦があり、戦ではたくさんの人が散っているだろう、鉢屋衆でも人の死には触れていたはずだ、一人、また一人と仲間が居なくなるたびに、私の心は次第に強くなっていた。






「戦国の梟雄、松永弾正久秀。か」


私はいつものように自室の窓辺に寄りかかり、空を見上げていた。

今日は曇り空で、涼しい風吹いていた。こんな空も悪くはない。しかし空を見上げながらも思い出すのは松永様の事、あの優しい手を思い出し、恥ずかしさで頬が熱くなるのを感じていた。人が死んだというのに、あの人の顔が忘れられない。






「はあ……」



もう一度、もう一度だけ、あの方に見つめられてみたい。名を呼ばれてみたい。


もう一度、私に触れて欲しい。


再び会える日はいつになるのだろうか。








「名前様、千代です」

「どうぞ」


部屋の向こうから千代の声がし、入室を許可すると千代が布に包まれている何かを持ちながら部屋に入って来た。



「千代、それは?」


千代に尋ねてみると、彼女は包みを私の前に丁寧に置いた。包みを見る限りでは中身が一体何なのか分からない。





「松永様から、です」

「松永様?」


千代は、持って来たこの包みは松永様から私宛のものだと言った。私は恐る恐る、目の前に置かれた高級そうな布の包みの結び目を解き、中を見て驚いた。





「櫛と、綺麗な珊瑚の簪……」


細やか細工されている櫛と、黄金と黒と珊瑚の赤の組み合わせがとても上品な簪を手に取った。


なんて綺麗なものだろうか。





「こんなに素敵な物を、松永様が私に?」


なにかの間違いではないだろうか、だってあの松永様が私なんかに贈り物をして下さるなんて。




「確かに松永様からだと承っております、名前様へと」

「ねえ、千代」

「はい」

「殿方が、女に櫛を贈る意味、知ってる?」

「えっと……」

「櫛、苦(く)と死(し)。苦しい時も、死ぬ時も貴方と一緒に、という意味らしいの。言葉遊びのようだけれど、素敵だと思わない? 男は共に生きたいと思う女に櫛を贈るらしいわ」

「では、松永様が名前様に櫛を贈った意味というのは、もしかして」

「さあどうかしら、賢明な松永様の事ですから、意味を知っていてもおかしくはないと思いますけど、女が喜ぶ贈り物というのはやはりこういった物になるのではないかしら」


手元にある櫛と、綺麗な簪を見つめながらこの贈り物の意味を考えた。ひょっとして松永様は私を、なんてますます私の熱を高めそうな想いなんとか表情に出ないように我慢をした。

だって、こんなにも嬉しい事があっても良いのだろうか。





「名前様、松永様とはいつ会えるのでしょうか」

「待ちましょう、もう此処に来て随分と経つんですもの、流石に待つのには慣れたわ、再び会えるその時まで、この贈り物の意味に恋い焦がれるのも悪くはないわ」

「名前様……実は、他にもお伝えしないといけない事はあるんです」

「どうかしたの千代?」

「松永様に一番近い存在としていた朝日様が世を去り、朝日様を殺めた松永様に恐れをなした側室の者が二人、城より逃亡致しました。三人減り、残るは四人となりました」

「そう……」

「名前様、私達は此処に残っていても良いのでしょうか、だって松永様は朝日様を、私にはあの方が分かりません」

「それを決めるのは私ではないわ」

「しかし……」

「ねえ千代」

「はい」

「確かに松永様は人を殺しました。怖い人かもしれない、けど、それでも私はあの方のそばに居たいと思っています。誰よりも、強く賢いあの方のそばに、今はとにかく待ちましょう」

「名前様……」

「ほら、風が吹いているわ。これは良い風よ、きっと良いことがあるに違いないわ」


窓から再び空を見上げた。外から入り込む風はとても心地よく、これからの出来事がどういうものなのか暗示しているようだった。風とは良いものだ、暗雲の風もあれば、こんなにも良い風もある、風は人を殺める風もあれば、人を救う風もある。身近に存在する風というものは幾多もある、感じ方はそれぞれ違っているが、それでも私は風が好きだ。









「こんにちは名前ちゃん」

「……こんにちは、甚内様」

「君は久秀の側室殿だ。僕と同じ松永の者、そんなに暗い顔をしてはいけないよ」


鍛錬場を覗きに行くと、すぐに甚内様が挨拶をしてくれた。優しく声をかけて下さった甚内様に何も言えず申し訳なかったが、彼が私に笑顔を向けてくれたのが嬉しかった。

周りの兵達も私に気付いたのか挨拶をしてくれた。随分と此処によく来ていたせいか、ほとんどの兵に顔を覚えられてしまっているようだ。




「ああそうだ、側室といえば久秀には側室が何人もいるだろう?」

「え、はい」

「でも、僕達……此処にいる兵達に、こうして会いに来るような者は今まで誰一人としていなかったよ、いつだって彼女達は久秀にしか目に入っていないようでね。ひょっとしたら、松永家である僕の顔すら知らないんじゃないかな」

「誰一人として……?」

「君以外はね」

「変わり者、でしょうか。側室として身を置いている者が、こうして皆さんの話を聞きたいと望む事は」

「変わり者か、そういう事になるかもしれないけれど、僕達は君が此処に来ても拒絶はしない。むしろ歓迎しよう。君は来たばかりだから知らないだろうけど、側室の女達は兵をただ戦に向かう駒としか見ていない、兵を労う言葉など聞いた事もない、そもそもあの女達は兵の前に姿を見せやしない」

「……。」

「だから久秀には正室が居ないんだろうね、だってどの女もそれに相応しくない。けど君は兵達の言葉を聞いてくれた、まさか君があの側室達と同じ立場だとは思いもしなかった、けど、君は彼女達とは大きく違うようだね」

「いいえ、違ってなどいません、私は他の側室達のように、彼女達と同じようにただ、松永様のおそばに居たいと」

「君は久秀のそばにいるべきだよ。どうか寂しがりやの彼に手を伸ばして欲しい、どうか共に居て欲しい、久秀はいつも一人だからね」

「一人……? しかし松永様のそばには常に側室の方がいらっしゃるのでは」

「まさか! 久秀が女よりも大事にしているものはいつも骨董や宝刀ばかり、今までそんな女を見た事がないよ。まあ僕も久秀とは年が離れているし、分家だから久秀の全てを知っているわけじゃないけれど、彼が女に夢中になるなんてあり得ない」

「……。」

「君は朝日殿とは違う、自信を持つといい」

「自信など」


新入りの私なんかに何が出来るというのか、女としての身嗜みを磨いたところで見て欲しいあの方はまだ遠い。贈り物をいただいたところで、私はあの人の心を頂いたわけではない。欲しいと願ったところで手に入るものでもない。








「名前様!? また此処に居たのですか!」

「あら、千代」

「あら千代、じゃありませんよ! また羽織も着ずにそんな薄着で! 部屋の外を出る時は羽織りを着て下さいとあれほど……!」


鍛錬場に入って来たのは私の羽織りを手に持った千代だった。部屋から居なくなっていた名前を探し回ったようで、少し疲れているようだ。





「今日は肌寒いんです、風邪でも引いたらどうするんですか!」

「そんなにやわな身体ではありませんよ」

「いけません! ここは鉢屋衆の里とは違うのです、お身体をどうか大事にして下さい」



千代に羽織りを着るように勧められたが、名前は千代が持つ上質な羽織りをどうも着る気分では無かった。羽織る事を拒んでいたが、千代も引き下がらずぐいぐいと押し付けてきた。

千代は侍女になってから特に世話焼きになったような気がする。里に居た頃はそうでもなかったのに。







「千代、悪いけれど私はそれを」

「着ないと言うのかね」

「!」


私が聞き間違う筈もない、会いたいと願ったあの方の声がし、すぐに振り返れば鍛錬場へと足を踏み入れる松永様のお姿が。





「松永様……」

「今日は冷える、その者の言う通りにするべきだと私は思うがね」


松永様は千代が持っていた羽織りを優しく奪い、その羽織りを私の両肩にかけた。

羽織りの暖かさよりも、松永様に着せられたという事に驚き、言葉が出なかった。








「君は己の身を大事にしないのかね」

「え……」

「花というのは己の身を守り、美しく咲く。君はそうあるべきだ」

「私を、花と……?」

「はて、例えが気にくわないと? これは困った、私は女に甘言を吐くのは慣れていないものでね、美しいものは他に何が良いか」

「甘言などっ、私のような者に言葉をお考え頂く必要はございません」


そんなお言葉、私には勿体ないです。花に例えられただけでも、もう十分だというのに。羽織りをぎゅっと握りしめ、私を見る松永様を見上げた。







「さあ、部屋に戻りたまえ、此処は君が来るべき場所ではない」

「!」


鍛錬場に来てはいけないと言われてしまい、私は顔を下に向けた。やはり女は男所帯の鍛錬場に入ってはいけなかったのだろうか。甚内様や他の兵達はいつも快く受け入れてくれたのに。





「此処に、来てはいけないのですか」

「ん? そう言ったのだが」

「それは、私が女だからでしょうか」

「君だからだ」

「それはどういう……」

「此処は武器を多く扱う、君に怪我をして欲しくはない」

「!」

「聞いてくれるかね」

「……分かりました」


ちらりと甚内様を見ると、彼は困ったように笑っていた。松永様にこう言われてしまえば聞く他ないらしい。






「名前様、お部屋に」

「ええ」


千代に呼ばれ、後に続き鍛錬場を出るしかなくなった。本当は此処に居たかった。また兵達の話を聞きたかった。戦う者達が常にそばにいた里と同じように、此処にはたくさんの戦う者達が集まっている、里を思い出してしまうのだ、だからこそ此処にいると落ち着く時があった。






「名前」

「……松永様?」



名前を呼ばれ、振り向くと松永様は私を見てくれていた。彼の瞳には私のみが写っている。こんなに贅沢な事があるのだろうか。





「その簪は、君によく似合っている」

「とても、素敵な物を、ありがとうございます」

「君には何が似合うか、また贈らせてもらおう」

「勿体無きお言葉……嬉しく思います」



松永様に頭を下げ、鍛錬場を後にした。部屋へと戻る途中、千代に「名前様、顔が赤いです」と言われてしまった。

仕方ないじゃない、だって松永様は、私が贈り物の簪を付けていると気付いて下さった。そして似合っていると言ってくれた、花に例えられただけでなく、褒めて頂けるなんてこれほど嬉しい事はない。



きっと私の熱は、

しばらく下がりそうもない。







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