▼ ___2話、価値のない私が此処にいる理由






「あらやだ、黒猫が迷い混んでいるわ」

「朝日様……」


二の丸の自室へと戻る途中、同じ側室として身を置いている朝日(あさひ)様と出会ってしまった。朝日様の唇に濃く塗られた紅は、今日も際どくよく目立っている。

朝日様の後ろには侍女らしき女性が二人、その方共々、廊下で鉢合わせになった私の方を見てくすくすと笑っているようだった。だが驚きはしない、何故ならこんな事、此処に来てからは日常茶飯事だからだ。

目の前にいる彼女だけでなく、たくさんいる側室同士は仲が良くないようで、特に新入りの私は見かけられるたびによく毒を吐かれたり、聞こえるような陰口を言われている。女達からの言葉の暴力にはもう慣れてしまった、とは言いたくはないものだが、こう会うたびに何度も小言を言われていればいずれは慣れるというものだ。





「ああ汚らしい、乾いた土の匂いがするわ。よく城内にこの匂いを撒き散らせますのね、正気じゃないわ」

「部屋では香を焚いているのですが」

「そんなの知らないわ、だって貴方からは泥臭い匂いがしますもの。そんなに土がお好きなら、おうちに帰って畑でも耕したらどうですか?」

「家に畑はありますが、私の家は農家ではありませんので……」

「あら貴方、まさか自分のような者が此処に居ていいと、本気でそう思っているんじゃないわよね?」

「……。」

「嫌だ嫌だ、どう見ても浮いているのが自分で分からないの? もしかして鏡を見た事がないのかしら? いいから迷い猫はさっさと出て行きなさい、貴方のような娘、久秀様の目に留まるわけないじゃない」


そう言ってくすくす笑う女達、私が気に入らないのか、汚い・迷い猫と例える女達、ああ何て事だろう、彼女達は此処に永らくいたせいか心が汚れてしまっている。とても濁ってしまっている。

この人が吐き出す言葉は何て汚らしいのだろうか。何が彼女を変えてしまったのだろうか。

しかし、此処は例えるのならば戦場のようなところだ。女同士の卑劣な争い。誰もが久秀様のお気に入りになろうと必死だ。誰よりも自分が一番優れていると、自分が久秀様のお気に入りだと言い張っている。






「そういえば貴方、久秀様とお会いした事があるのかしら?」

「……。」

「久秀様に名前を呼ばれた事は?」

「……。」

「寝所に呼ばれた事は?」

「……。」

「ふふっ、貴方って本当に何の為に此処にいるのかしら。求められなければ女としての価値などないというのに。久秀様の正室に最も近いのは私よ、貴方はせいぜい部屋に篭って裁縫でもしていたら?」

「……。」


くすくす笑いながら私の横を通り過ぎて行く朝日様とその侍女達。私は朝日様に何も言い返せなかった。何故なら朝日様の言っている事は全て真実だからだ。


私は久秀様にお会いした事がない。
名前を呼ばれた事もない。
そんな私が寝室に呼ばれるはずもない。






「(私、何の為に此処にいるんだろう)」



答えは決まっている。


「家」の為だ。


鉢屋衆の安泰、それと引き換えに私は此処にいる。しかしこうも自分に価値がないのだといざ自覚してみると、何だか心に矢が刺さったかのように痛んだ。ちくちくと、ずきずきと痛む胸を押さえながら、私は自分の部屋へと逃げ込んだ。

お気に入りの香を炊いているこの部屋は、ぐちゃぐちゃに乱れた心を癒してくれているような気がした。







「松永、久秀様」


この城の殿とは、どのような方なのでしょう。久秀様は何が好きで、何が嫌いなのでしょう。普段は何をして過ごしているか、戦にはいつ行かれるのでしょうか。

私は何も知らない。

知りたくとも、会いたくとも、それは叶わない。久秀様に一番近い女が羨ましく思う。だって私よりもきっと久秀様をよく知っているのでしょう? そんなの羨ましいじゃない。それなのに私は何も知らない。同じ女としてこれほど恥じる事があっただろうか。

私は此処にいます、名前という女は此処にいます、そう呟いたところで久秀様に見つけて頂く事はない。








いつか会えるその日を、

ただ待ち遠しく思うだけ。










「名前様、殿が戦に出かけられて、もう随分と経ちますね」

「そうね、城主様がいないせいか朝日様は松永様との馴れ合いを自慢気に言いふらしていたわ、誰も聞いていなかったようだけど」


彼女の話相手をしていたのは侍女くらいだ。自慢話に耳を傾けてしまえば、そこからしばらくは聞きたくもない話に付き合わされてしまうだろう、そんなのは御免だ。



「ねえ名前様、名前様はどうして松永久秀様の側室としてお呼ばれしたのでしょう?」

「どうしたの突然に」

「だって、名前様をお城に呼んでおきながら、ちっとも松永様は名前様に会いに来てくれないじゃないですか、そんなのってあんまりですよ」

「私を側室に選んだのは松永久秀様ご本人ではありませんよ、御家老様のお一人がこの鉢屋衆を松永軍に引き入れたいという話が浮上して、父上との対談の末に私が松永の家に入るという形で繋がりが出来たのですよ」

「そうだったのですか! では松永久秀様は名前様のお名前すら……」

「知らないでしょうねぇ、鉢屋衆の事は知っているかもしれませんけど、私の事までは」

「そんな……じゃあ、どうすれば名前様の事を松永様に知って貰えるのですか」

「松永久秀様のお姿を見る機会はいくらでもあるけれど、あの方が私を見るなんて難しいでしょうね。だって城内には女中も含めたくさんの女性がいるのよ? それにきっと松永様は朝日様ばかりを見て、相手をするのもきっと朝日様でしょうし、私が出る幕なんて無いわね、悲しいけれど」


鉢屋衆の家紋が入った上質な扇子を開いたり閉じたりしながら千代にそう言うと、彼女は落胆したような表情をしていた。何か言おうとしているが、何も浮かばないのか、再び口を閉じた。





「大丈夫よ千代、私も頑張るから。せっかく呼ばれたんですもの、せめてお手つきくらいにはならないとね」


そうは言っても、松永様の寝所にお呼ばれする日は一体いつになるのだろうか。このままでは歳をとるばかりだ、必要となくなれば、いずれは家に帰らされるかもしれない。それだけは避けたいけれど、こればっかりは自分ではどうしようもない。





「ねえ千代、松永様ってとても凛々しくて素敵な方だと思わない?」

「えっ」

「冷静で、賢くて、話し方も紳士的だったわ。松永軍の兵の方に聞いたのだけれど、随分と多くの兵からの信頼を得ているようなの、流石城主様よね」

「名前様、いつの間に松永軍の兵の方達とお知り合いに……」

「松永軍の鍛錬場を覗いたの、そうしたら向こうから話しかけてくれたわ、私を「城に奉公しに来ている女中」と勘違いしたみたい、せっかくだから女中のフリをして、兵達に話し相手になって貰ったの」


松永軍の兵達は、松永久秀様の良いところをたくさん教えてくれた。話を聞いていると、兵の皆さんから尊敬されているようで、兵からの信頼が厚い松永様はなんて素敵な方なのだろうと胸を弾ませた。




「名前様、あまり部屋の外に出ない方がよろしいのでは……お立場というものが」

「そうなの? もう何度か鍛錬場に行っているけれど、まだばれていないわよ?」

「何度も行かれていたのですか!?」

「ええ」

「いつの間に……」

「けれど、たとえ迷い猫だとしても、一度くらいは松永様にお会いしたいわね」

「迷い猫?」

「朝日様や、その他の側室達は私の事をそう呼んでいるらしいわ。迷い猫、迷い込んだ猫は早く出て行きなさいという意味かしらね」

「名前様は迷い猫なんかじゃありません! 例え猫だとしても、それはそれは美人な猫さんですよ!」

「猫は変わらないのね」

「え、だって猫は可愛いじゃないですか。私は嫌いじゃないですよ猫」

「私も嫌いではないわよ、愛らしいもの」


例え迷い猫だと言われたとしても、だからといってはいそうですかと出て行ったりはしない、迷い猫なら迷い猫らしく居座ってやろうじゃないか。






「けど、このままこんな日々がずっと続くのならば、いつかは迷い猫のようにつまみ出されてしまうかもしれないわね」

「そんな……」

「迷い猫も、飼い主が見つかれば追い出される事も無いでしょうけれど」

「ま、松永様の寝所に突撃……したりとか」

「曲者と間違えられて斬られてしまうわよ、それにそんな無礼を働いたら即打ち首……運が良ければ島流しかしら?」

「……。」

「大人しくしているしかないのよ」

「うう……」



千代は落ち込んでいるが、私だって気は落ちている。こんな何もない日々が続くとあればうんざりもする。周りの女同士は争っており、私を見ればすぐに陰口を叩く。こうやって部屋に篭って書物を読み漁っている方がいくらかマシだ。

たまに鍛錬場に行けば、顔見知りとなった兵士達とお喋りも出来る。私が知らないような松永軍の事情なども教えてくれたりする。もうすぐ戦が近いとか、松永様はとてもお強い方だとか、となり村の村長が平八さんに決まっただとか、私はそんな話を聞くのがとても楽しみになっていた。



どれだけの書物を読んだだろう、どれだけの兵士達と知り合いになっただろう。


城主様とは全く会えずに、蓄積される知識の数と、知り合った兵の数に、思わずため息が出た。




何の為に、此処に呼ばれたんだろう。




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