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1話、本日より私は貴方様のものに



武家でありながらも、あまり裕福な家の生まれではない私だったが、滅多に着ないような上質でいかにも高価な着物を着せられ、籠に乗せられてとある城へと向かっていた。

武家階級の娘である以上、こうなる事は分かっていた。厳格な環境でもあったせいか、恋など不要なものはせずにただ自身を磨き、この日をひたすらに待っていた。



私は本日、側室に迎えられました。





相手は大和国の大名、松永久秀公。


私が嫁ぐ事により松永家と繋がりが出き、家族や鉢屋衆のみんなはこれでは安泰だ、契約だ!と喜んで私を城へと送った。そうなるべきだと幼子の頃より理解していた私は特別なんの感情もなくただ従うのみだった。家の為ならばいずれは嫁ぐ、揺れる籠の中でそう思うだけだった。




城に向かう籠の中で、これからお会いする松永様とはどのような方なのだろうと思い馳せた。かなりの知識人で趣がある方だと聞いてはいるが、やはり実際に会ってみないと分からないのが人というものだ。どんな人であれ、駄々をこねたとしても私はもう松永様の所有物となってしまう。今更逃げようという気すらない。

あわよくば、共に生きやすい方であれば良いなと思うばかり。










「……最近は雨ばかりですね」


城へ到着して早くも一ヶ月。側室入りしたというのに、城主の松永久秀様には一度もお会いしていない。側室という事で此処での扱いはまあまあといったところだが、こう毎日、二の丸にある与えられた部屋に篭ってばかりでは退屈してしまう。




「名前様はいつも空ばかり、曇り空ばかり見て楽しいのですか?」

「そう言わないで千代、空というものはとても趣があって良いものよ? それに此処は私達が住んでいた場所よりもとても涼しい風が吹いて心地良いわ」


困った表情の千代は私の侍女だ。

彼女の家系は随分と昔から私の父の下で働いている。同じ里の出身で幼馴染でもある千代は「名前様はいつもぼんやりして心配です」と言い、ここまで共に付いてきてくれた。突然にこの城へと連れて来られ不安だったが、彼女が隣に居てくれて良かったと思っている。



「良いですか名前様、大和国の空を見る為に此処まで来たんじゃ無いんですよ、 名前様は松永様の側室として呼ばれたんですよ?」

「そうは言っても……私はたくさんいる側室のうちの一人ですし」

「それです! どうして側室が七人もいるんですか! そんなの聞いてませんよ! もうっ、どれだけ女好きなんですか松永様は! それにいつになったら名前様とお会いになるのですか! もう此処に来て一ヵ月ですよ!」

「しー、誰かに聞かれるわよ千代?」

「う……」



口元に手を伸ばし、「すみません」と千代は落ち着いたようで私の近くに腰を下ろした。

しかし千代の言う通り、私はこの城に来てから松永様と一度もお会いしていない。遠くから松永久秀様のお姿とお顔を拝見した事はあっても、松永様が私を見ることはない、残念だけれど私はたくさんいる側室の一人でしかない。それ以上になりたくても方法が分からない。





「でも不思議よね、側室の方はたくさんいらっしゃるのに、正室はいないなんて」

「名前様が正室だったらいいのに」

「ふふっ、また難しい事を言うのね千代。一度もお会いした事のない私が正室になんて到底無理な話よ。そうね、きっとそのうち松永様も正室を迎える事でしょう」

「名前様はとてもお綺麗です、なのに名前様を放っておく松永様は見る目がありません」

「ありがとう千代」

「お世辞とかじゃありませんっ、本当に、名前様は」

「お月様、ずっと雲に隠れて出てこないわね。残念」

「……。」


名前様はお月様のようだ、と千代は思った。曇天に隠れて出てこないお月様のように、名前という存在は隠れてしまい見つけられない存在になっていると。こんなにも美しいのに、隠れてしまっていては見つけられない。気付いて貰えない。なんて悲しい事なのだろう。千代は空を見上げる名前を見てそう思った。






「名前様は、本当に良かったのですか」

「ん?」

「松永様の側室に呼ばれて、良かったのですか? 故郷を離れ、家族や鉢屋衆の皆と離れ、名前様だって本当は好きな人くらい居たでしょう? 本当は部屋に篭ってばかりなど嫌なのでしょう? だってお屋敷での名前様の周りにはいつもたくさんの人が」

「千代」

「!」

「会えるのならば、鉢屋衆の皆に会いたいとは思いますよ、でも、そうは出来ないの。私という糸で松永家との繋がりがあるからこそ、鉢屋衆は今も永らえれるの。松永軍の剣となった今、彼らには道が出来たのよ。父上も言っていたわ、鉢屋衆の戦力は主がいてこそ発揮されると」

「鉢屋衆の、為とはいえ」

「松永様でなくとも、私はいずれ大名に嫁ぐ運命らしいわ、母上がいつも私に言い聞かすように言っていたもの、鉢屋家の女に生まれた以上は覚悟していたから、今更どうとも思わないよ」

「こんなの、幸せ、じゃないです」

「……そうね」


松永様とお会いした事も、話をした事も、目が合った事すらない私が此処にいる理由とは、一体何なのだろうか。

この日の為に自身を磨いたというのに、松永様に見て貰えなければそんなもの意味をなさない。誰よりも美しく、誰よりも賢く、誰よりも気高く、鉢屋家の名に、鉢屋衆の誇りに恥じないようにと礼儀や知識を身につけた。鉢屋衆のみんなはいつも褒めてくれた、けど頑張り過ぎるなとも言ってくれた。

里に松永様の家臣だという人が訪れて、私に側室の話が来た時はみんな喜んでくれた。「やったな!」「頑張れよ!」「名前なら大丈夫だ」そう言って送り出してくれた。彼らの為に、里に戻りたいなどとは決して口にはしない。


こんな私にも、覚悟がある。







「松永様にはいつでもお会い出来るよう、常に綺麗で居なくてはいけないわね」

「千代もお手伝いします」

「ありがとう千代」

「名前様は他の側室の誰よりも綺麗です。それに誰よりもお強い……」

「千代、此処では女に強さは必要ないみたいよ。女は刀を持たないの、ううん、持ってはいけないのよ。必要なのは殿方を魅了する仕草や笑顔、そして子を産む健康的な体、それだけは持っていないといけないわ」

「……此処は、とても息苦しいところです。側室の方はみなさん綺麗な方ばかりなのに、隙あらばまわりを蹴落そうという暗が見えています。恐ろしいです」

「女は心を強く持て、ですよ」

「私はどんな事があろうと、名前様の味方です。お守りします」

「ありがとう千代……でも本当に危険だと思ったら身を隠しなさい。私の事など」

「いいえ、私は名前様のお供に」

「……。」


降り続く雨は、止みそうにはなく。二の丸にあるこの部屋にはその雨音がよく聞こえた。静かで、悲しくて、寂しい、そんな感情を感じさせるようだった。





「そろそろ、お日様が見たいわね」




曇り空も、雨も、どちらも好きだけれど、ぽかぽか陽気の風というのもとても気持ちの良いものだ。



風は季節を感じられる。




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