▼ ___26話、例え単純な女と思われたとしても









「名前様、久秀様がお見えになりました」

「はい」


部屋の片隅で久秀様から退屈しないようにと頂いた三味線を、暇つぶしにと弾いていると何日か振りに久秀が城にお戻りになり私に逢いに来た。あれ以来、私は久秀様に恐怖心を抱いたままとなっている。お慕いはしているが、やはりどうしても私の心は久秀様に対してひと心地がつかないようだ。





襖が開き、部屋に入ってきた城主様を見つめた。いつもの袴姿とは違い、武具を身に付けているという事は、先ほど帰って来たばかりなのだろう。


ふと鉄の匂いがし、はっとした。


これは血の匂いだ。

久秀様の姿を食い入るように見たが、怪我をしている様子はどこにもない。という事は……この匂いは返り血のものだろう。久秀様は幾多の血を浴びている、おそらく何人か斬ったのだ、そうでなければこんなに血の匂いはしない。






「名前」

「お戻りをお待ちしておりました、ご無事で何よりでございます」


持っていた三味線を畳の上に置き、久秀様の方を向いた。無傷で城に帰ってきた事に安堵し、思うままにそう告げた。この部屋には私達のみ、久秀様は血で汚れた武具を外し、部屋の奥にと座っている私にゆっくりと近付いてきた。


そして私の前で体を低くし、私を引き寄せて抱き締めてきた。突然の事に驚いた、背中に回された力強い手に戸惑いながら、「久秀様?」と呟いた。





「名前」

「はい」

「枷は外す事をしなかったのか、咎でも恐れたのかね? 幾らでも時間はあった筈だ、何故君はそうしない」

「……。」


何故自分の元から逃げなかったのか、久秀様はそう聞いているようだった。私がもし此処から逃げ出せば鉢屋衆はどうなるのか、そう言っていたくせに、こんな事を聞いてくるなんて、なんてずるい人だろう。



貴方の元から逃げ出すなど、


私には出来ないと知っているでしょう?







「久秀様、私は貴方から離れないと申し上げたはずです。私は貴方に必要とされたいのです」

「君に枷を付けたのは、そうか、私だったな」

「……。」

「繋ぎ止めておいたのだ、逃げられはせん、君は私の帰りをただ待っていればいい、私だけを見ていればいい」

「ええ、私は好きで枷を付けているのです、この縛りもまた、時が過ぎれば情が湧いてくるものです」

「君を失いたくはないのだ……すまない、私は些か感情というものが少ないらしい、どう告げればよいものか」

「!」



久秀様は力を込めて私を抱き寄せた。


ああ、この人はこんなにも臆病な人だっただろうか、私なんかに押さえ込んでいた感情を無理に出そうとしている、そんな必要などないのに、だってそうでしょう?





「感情が例え少なかろうが、貴方は貴方のままです。ご安心下さい、私は此処におります」

「どうにも、この熱は冷え切らない、それすら知らないようだ……静めてくれないか、熱くて堪らない」

「ならばその熱、どうか私に分けて下さい、さすれば熱さも軽減されるでしょう」

「君にか」

「私にしか出来ない事かと」

「……ふっ、やはりという君の奥にあるものは、私が得られなかったものばかりだ」

「私の奥?」

「偽りなき善など……在るはずもない、しかし、君には」

「?」

「いや、いい、考えるな名前、私が私のままであるように、君は君のままでいたまえ、私は君を手放す気はない」

「私は久秀様の宝となれるのでしょうか、愛でられたいと望んでも」


欲を言えば、宝以上の価値でありたい。しかし、久秀様にとって私という存在は、宝物庫のそれらと変わりはないだろう。

愛でられ、飾られ、そして飽きれば壊される運命だとしても。





「名前、君は私の宝のようになりたいのかね」

「そうですね、久秀様に愛でられるのであれば、それも良いかと」


そう言うと、ずっと私を抱き寄せていた久秀様は体を離し、鋭い視線で私の目を見つめていた。私はなにかおかしな事を言ってしまったのだろうか?





「ふむ、随分と莫迦な事を言うのだね」

「え?」

「私の宝と、君の価値を同等だと思うな」

「も、申し訳御座いませんっ」



久秀様の声は、怒っているようだった。

宝と同じでありたいという私の思いは簡単に退けられてしまった。久秀様にとって収集した宝は何よりも大切なもの、それらと同じでありたいなど、失礼にも程があるというものだ。





「宝と同じでありたいなど、私の考えは些か軽率でした、申し訳御座いません、どうかお許しを……」

「宝などと比べられるものではない、君の価値は宝よりも上だ。自身を卑下するのはやめたまえ」

「!」

「君の代わりなどいない」

「久秀様……」



ああ、私はなんて勘違いを。

久秀様は私の事をこんなにも愛して下さっている。宝以上だという久秀様の甘言につい瞳が潤みそうになる。いやもう遅い、私の視界はぐにゃりと歪んだのだ。





「何故、泣くのかね」

「久秀様、私は、ずっと欲しいものがありました」

「用意しよう、言ってみたまえ」

「私は、久秀様の心が欲しかったのです、私を見て貰い、愛して頂きたかったのです」

「私の心など、とうに君のものだろう」

「!」



今更何をおかしな事を言うのか、久秀様は私の頬を撫でながら、そう続けて言った。




それは一体いつからだったのか、ずっと私が欲しいと望んでいたものは、とうに私は手に入れていたらしい。煌びやかな贈り物なんかじゃない、正室の座なんかじゃない、誰にも負けない強さなんかじゃない、


私が欲しかったのは、久秀様の心だ。






「君は私のものだ、誰の手にも渡す気はない、安心したまえ、私が一生をかけて君を守ろう。恐れるものなど何もない、私の渇きを満たすものは君だけだ、君しかいない」

「久秀様の進む道、どうか私も共に歩かせて下さいませ」

「名前、私は天下取りには興味がない、この戦国の世を君と共に過ごせればそれでいい。しかし、そうはいかない。これから世は大きく動き出す、血を血で洗う狂乱の時代となろう」

「狂乱の時代……?」

「織田が動き出している」

「織田はやはり、日ノ本を?」

「ああ、いずれ全てを手に入れるだろう。しかし松永は織田と手を組んでいる、この地が攻め込まれる事はない」

「織田の勢力は膨大なものと聞いておりますが、久秀様はもしやこの数日間、織田へと赴いていたのですか」

「ふん、ただの茶会だ」

「……これより先、織田がどう動いてくるのか、ますますこの世は荒れていくばかりなのですね」

「されど恐れず松永でいたまえ、私の妻として生きるといい」

「はい」


頷くと、久秀様はふっと満足そうな表情をした。すると、久秀様の視線は私の横にある三味線に向けられていた。

久秀様から頂いた三味線、きっとこれも高価なものだろう、しかしどうしてまた三味線を気にしているのか。




「君は弾けるのかね」


何をですか? なんて聞かない。

久秀様が聞いているのは、きっと三味線の事だろう、私の横に置かれたその三味線は私は先ほどまで遊んでいたものだ。久秀様は織田と会っていたというのに、私は部屋に篭り三味線や手毬で遊んでいる、乱世だというのに遊んでいて良いのだろうかと罪悪感を感じた。




「兄に、よく教えて貰いました」


三味線に再び手を伸ばし、軽く弾いた。




「君の兄といえば、鉢屋衆特攻隊の隊長、だったか」

「いえ、里に残るもう一人の兄上でございます。鉢屋衆は芸を得意とする者が多くおります。芸能衆と呼ぶ人もいますが、旅芸人に化けて日ノ本の情報を得ています、我が鉢屋衆は、芸を身に付けていて損はない、という考えを持っています」

「ふむ、通りで情報収集に長けていると」

「戦力となる者は少ないですが、鉢屋衆の情報収集術はきっと久秀様の役に立つかと」

「ならば思う存分に利用させて貰おうか」

「鉢屋衆も今は松永軍にございます、是非とも手足のように」


久秀様に微笑みかけると、すぐに唇を奪われた。久秀様はすぐに離れて行ったが、突然の事に、私は固まってしまった。

そんな私ににやりと笑った久秀様は、すっと立ち上がり「名前」と、私の名前を呼んだ。





「は、はい」

「囲炉裏へ、私の宝を見せよう」

「ええ、是非」

「先に向かってくれ、私は着替えを」

「お供してもよろしいですか?」

「着替えを済ますだけだが」

「構いません、今は久秀様から離れたくないのです、一人というのはもう飽きてしまったのです」


ずっと部屋に篭っていたのだ、退屈しないようにと物はあれど、久秀様の帰りをただ待つだけなのはとても窮屈だった。

折角帰還したとしても、きっと久秀様はすぐにまた何処かへと出かけて行ってしまうだろう。そうなればまた私は部屋に一人だ。




「ならば新たな居城には、飽きないような庭園を造らせよう。君の庭園だ」

「……庭園はとても魅力的で素晴らしいですが、私は久秀様との時間を」

「急ぐ事はない」

「……はい」


そう呟くと、久秀様は私を見下ろしたまま「いやはや、どうやら私はまだ未熟のようだった」と言った。どういう意味だろうかと首を傾げると




「全てを知ったつもりでいたが、君は物怖じしないのだね」

「?」

「血の匂い、気付いているのだろう?」

「……はい」

「鉢屋衆だからか、それとも」

「私は久秀様の望む行為、行った事に関して口出しは致しません。例え久秀様が人を斬ろうが、理由なく人を殺める方だとは思っていません」

「ふむ」

「得たものはありましたか?」

「ふふっ、やはり君は私好みだ。しかし名前、君は争い事が苦手だろう? 気が利かなくて済まない、次は血の匂いを落としてから君の元へ」

「それは……私に早く会いたかった、という事でしょうか」

「……。」

「久秀様」

「……そういう事に、しておこう」

「はい」


微笑みかけると、久秀様は私から視線を外してすぐに部屋から出て行った。その様子をずっと見て、私はきっと緩みきった表情をしているだろうなと思った。

血の匂いを落とす時間すら惜しい、それほど私に早く会いたかった。これだけでもう、これまでの一人で部屋に篭っていた寂しい時を埋める事が出来る。些か単純な女かもしれないが、小さな幸せを感じたんだ。



ねえ久秀様、

私は貴方の優しさに甘えてみたいんです。




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