▼ ___27話、時には我が儘でも呟いてみようか
久秀様が居城に帰って来たかと思えば、またすぐに出かけてしまいました。
部屋で一人ぼっちの私。
久秀様はふらりとよく居なくなるので、他の側室のところに行っているのかと不安に思ってしまったが、そうではないらしい。側室とは名ばかりで相手にはしていないとか。家臣の方も、久秀様がようやく正室を迎えたとあれば、新たな側室を連れて来るのをやめたようだ。
久秀様は側室のところではなく、城の外へと出かけているらしい。きっとまた宝集めに向かったのだろう。
「私も久秀様と共に行きたいと、我儘を言えば良かったのかしら」
もしそう言えば、久秀様を困らせてしまうだろうか、もしかしたら困るだけでなく、機嫌を悪くされるかもしれない。こう、一人きりの時間が多ければ多いほど、一緒に居たいと思ってしまう。思ったとしても、なかなか口に出せないでいる。
「名前様」
「どうぞ、千代」
部屋に侍女の千代が来た。扉の向こうでは千代が「お客様です」と私に伝えて来た。
「お客様?」
「兄さんです」
「兄上? え、どうして? 通して、千代」
「はい」
千代は客人として私を訪ねて来た兄上を呼びに行ったようだった。わざわざ兄が私を訪ねてくるなんて珍しい……いや初めてだ。いつもは文で近況を伝えあっている。こうして会うなんて今迄なかった。
というより、
兄上は本丸に入れるのだろうか?
しばらく待っていると、再び千代の声がした。応えると、襖が開き、千代と兄の兄の姿があり、二人は部屋の中へと入って来た。
「お久しぶりでございます、兄上」
「よう名前、んー? なんつーか名前、綺麗になったな」
「えっ、そ、そうでしょうか……」
「それにしても随分と物が多い部屋だな、楽器もあるし……名前、あんまり松永様に物を強請るなよ?」
「ち、違います、これらは久秀様が、私が一人でも退屈しないようにとっ」
部屋に置かれている贈り物達を兄に説明したが、どうにも疑っているようだった。一応は信じてくれたみたいだったが、やはりこう物が多いと、私が久秀様に強請ったように見られてしまうらしい。
「ところで兄上が此処に来られるなんて珍しいですね、来て頂けるのなら文のやりとなど……」
「いやいや、正室の実の兄だとしても、まだ本殿に出入り出来るほどではない、ちゃんと此処に来られるよう松永様に許可を取ってある」
「久秀様に?」
「今日この日に名前を迎えに行きたいと伝えて、こうして来たんだ」
「迎えに? あの、兄上? 話がよく見えないのですが」
久秀様に許可を取ってまで此処わざわざ来たなんて、一体どんな理由があるというのか。けど実の兄上ですら、私に会いに来るには久秀様の許可が必要なのですね。
相変わらずの独占欲です、久秀様。
「ああ、京で祭りがあるみたいなんだ。私と一緒にどうかと誘いに来たんだ」
「祭り?」
「年に一度の大きな祭りらしい、名前、祭り好きだろ?」
「祭りには行きたいですが……城を出るのは」
「大丈夫だ、松永様にそれの許可も取ってある。まあ、日帰りが条件だったけど、断られる事はなかった」
「ほ、本当ですか?」
祭りに、行ってもいいと久秀様が?
「にわかに信じがたかったが……部屋に篭っているというには本当だったんだな、ならば尚更だ」
「本当に、祭りに行っても?」
「部屋に篭ってばかりも気が滅入るだろう? 松永様も名前を気にかけているご様子だった、だから息抜きに祭りに行こう、京の祭りは凄いらしいぞ」
「祭り……」
「花火もたくさん上がるらしい、名前の護衛は私がしよう、何があっても守るから安心しろ」
「兄上が一緒ならとても心強いですね、是非祭りに連れて行って下さい」
「よし決まりだな、千代、外出の準備お願いしてもいいか」
兄の兄が千代に言うと「はい」と、千代は目立たない色の着物を選び持って来た。着替え終わった名前は千代に見送られ、城の門の所で待つ兄の元へと向かった。
門には、鉢屋衆の家紋が入った鞍を装着した馬を撫でている兄・兄の姿があった。
「兄上」
「来たか、では向かおう、名前は前に座れ」
「前、ですか?」
「ん?」
「い、いえ、いつも久秀様と相乗りする時は後ろに乗っていたので」
「別に後ろでもいいが、後ろにするか?」
「あ……前で大丈夫です」
後ろだと、兄上の腰に抱き着かなくてはいけない。兄妹とはいえ、少々気恥ずかしいものだ。此処は兄の前に座らせて貰おう。
そういえばいつの間にか、久秀様の腰に抱き着くのにも慣れてしまっている。最初は恥ずかしいものだったが、馬から落ちないようにと必死に抱き着いでいたので、後ろに乗っている時は恥ずかしいと思っている場合ではなかった。
「馬ならば京都まですぐに着く、祭りにも十分間に合うだろ」
「私達が行っても良いのでしょうか」
「京都の祭りは有名だからな、遠いところからやってくる人も多い、物騒な奴も祭りに来てしまうのが難点だが、祭りは盛り上がるぞ、きっと良い気晴らしになるだろう」
「それは、楽しみですね」
それからしばらく兄が操る馬に揺られると、大きな街に着いた。笛の音や太鼓の音、行き交う人々の声に、此処が京都なのだろうとすぐに分かった。
馬を預けに行った兄を待ちながら、京の町並みをきょろきょろと見渡していた。提灯がたくさんつけられている祭り櫓もいくつも設置されており、祭りで人々はとても楽しそうだった。
子供達は駆け回り、仲睦まじそうな男女、年配の夫婦と、みな笑顔で、此処はとても良い所だなとこっちまで表情が緩みそうになっていた。
「(平和な所……)」
争い事なんて、まるで起こりそうもないようで。民は皆、幸せそうに暮らしている。祭りとなれば笑顔が多くなり、行き交う人々を見ればこちらまで幸せな気分になる。
いつか日ノ本中が、こんな風に平和で幸せに過ごせたらいいのになと思う。しかしこの世は織田の勢力が高まっているらしい、きっといずれ日ノ本中で争いが起こるだろう。争いで何人も人が犠牲になってしまう。
平和な世の中は、いつになったら。
「京の娘さんは別嬪が多いねぇ」
「え?」
長屋の屋根の下で兄を待っていると、見知らぬ若い男の人にじろじろと見られた。
どうやら私に話しかけているようでもあるが、どうすれば良いのか。
「娘さん、お一人かい?」
「い、いえ、人を待っていまして」
「え? こんなにも人が行き交う中で待ち合わせを? もしかしたら君のその待ち人は町中で迷っているのかもしれない、これは大変だ、私と一緒に探しに行きましょう」
「迷って? いえ、すぐに戻るので此処にいるようにと言われたのですが……」
「何を言うのか、京の町はとても広い、京出身の私でもたまに迷う程だ、さあ私の手を掴んで、そうしないと君も迷ってしまう」
「えっ」
若い男は私の右手を無理やり掴んで引っ張った。待っていないといけないんです、と彼に言ってもなかなか聞いて貰えず、これでは手も離してくれそうもない。
そればかりか、私の手を引っ張りそのまま町の中へと進んでしまっている。気付けば、とうに待ち合わせ場所から離れてしまい、これは不味いと彼から手を離そうとしたが、なかなかに強く握られているようで、彼の手から逃げられそうもなかった。
このままでは兄とはぐれてしまう。
「あの、私、あそこから離れないようにと、言われて」
「一緒に探してあげるよ、こっちの方にいるんじゃないかな」
「結構です、私一人でっ」
「まあまあ」
「腕を離して下さい」
立ち止まろうと踏ん張るが、断然に男の方が力が強い為、つまずきそうになりながら男に引っ張られていた。
「……いい加減にっ」
このままでは兄とはぐれてしまう、立ち止まってくれないのならば……と、着物の中から扇子を取り出そうとしたが、
「あれ? 吉良の兄さんじゃない、ん? あーらら、もう好みの女の子を引っかけて来たの?」
「け、慶次!」
「兄さんも手が早いねぇ、祭りを楽しまずに今から旅籠にでも行こうっていうのかい?」
「え、いや……ははは」
「旅籠?」
この知らない男の知り合いらしい人物が声をかけてきた。やはりと思ったが、私に声をかけてきた男は旅籠に向かっていたようだ。
「腕を離して下さい、私、旅籠に用はありません」
一瞬の隙をついて、男から掴まれていた手をすり抜けさせた。男は「しまった」というような顔をしていたが、怪しさ満載だったので警戒して正解だったようだ。
「いやいやまさか、旅籠になんて向かってないよ、ほらせっかくの祭りだし、一緒に見て回らないか?」
「すみませんが、一緒には行けません。他の方をお誘いして下さい……では」
「ちょ、ちょっと待ってって、せっかく会ったんだから」
「やめっ」
男は私の腕を掴んだ。
私に一体何の用事があるというのか、この男と一緒にいてはいけない、決して良い人ではなさそうだ。
「離して下さいっ、私は戻らないと」
「まあまあ」
「なあ吉良の兄さん、この子嫌がってないか?」
「何言ってんだ慶次、照れてるだけさ」
「照れていません、大体、貴方とは初対面です。用もありません」
「離してやりなよ吉良の兄さん、やっぱり嫌がってるよ」
「なっ」
「!」
私の腕をぎゅっと掴んでいた男の手を外し、私はようやく男から離れる事が出来た。
「ちっ、余計な事を……せっかく美人を捕まえたっていうのに」
「無理強いはよくないよ」
「はいはい分かったよ、分かりましたよ」
私を此処まで引っ張って連れて来た男は「じゃーな慶次」と言い、人混みの中へと消えて行ってしまった。
ほっと安心した私は、ずっと掴まれて痛む腕をさすっていた。跡が残っていたら久秀様になんて説明しようかとふと思ったが、そんなに目立つような跡にはなっていなかった。
「ありがとうございます、では私はこれで」
「ん? あれ、アンタ……どこかで」
「え?」
助けてくれた少年の顔を見上げた。
少年の顔は、どこかで見覚えがあった。どこで会ったか、思い出そうとする前に少年が「あ!」と大きな声を出した。
「あの時、秀吉と俺を助けてくれた子だ!」
「え?……あ」
私もようやく思い出した。
彼は確か、松永の領地で松永軍に腕試しと行って襲った者の友人だ。どうして京に?というかよく私の顔を覚えていたものだ。
「名前は確か……そうだ、名前だ。アンタ名前さんだろ?」
「そうですが、貴方と話している場合ではないんです、すみません失礼します」
兄上を待っていただけなのに、どうしてこうなってしまったのか。兄上が私を探していたらどうしましょう。
「あ、待って、そっちは旅籠がある方だよ」
「……長屋はどちらですか」
「長屋?」
「馬を預ける場所が、近くにある長屋です」
「ああ、それなら確かこっちだよ、案内しようか?」
「……お願いします」
此処は初めて来た場所だ、このままではきっと私は迷ってしまう。兄とも会えず終いは勘弁して欲しい。だが、再会した彼とはあまり関わり合いたくない……けれど、ここは素直に彼に道案内をお願いした方がいいだろう。
彼は「任せて」と言い、私を長屋の方まで案内してくれた。そして、私が最初に兄上を待っていた長屋の屋根の下にまで、なんとか戻って来る事が出来た。
しかし、そこに兄の姿はなかった。
「ありがとうございます」
「いいって、それよりも祭りに一人で来たのかい? それとも……好い人と一緒に来たとか?」
「いいひと?」
「男だよ男、名前さんすっげえ美人だし、そういう相手がいるんだろ?」
「ああ、好きな人ならいますよ」
「ほぉら、やっぱり! アンタみたいな美人なら好い人がいてもおかしくないと思ったんだよ、あ……もしかしてさ、今でもおっかないあの男の所にいるのか?」
「おっかない男って、もしや松永久秀様の事じゃないですよね」
「そうそう、そいつ! あいつはヤバイ奴だって! 何つーか、とにかく恐ろしい感じで、秀吉や俺を殺そうとしたし、そうじゃなくても今にも人を殺めそうな、雰囲気がヤバイ感じの!」
「あの方は確かに恐ろしい人ですが、理由もなく人を殺すような人ではありませんよ」
「あ、恐ろしいっていうのは否定しないんだ」
「……。」
私だって、久秀様を恐ろしいと思う事は度々ある、しかし、どこか恐ろしい部分を持っているからこそ久秀様というところがあるので、恐ろしいからといって怖いわけではない。
だって、私は変わらずにお慕いしている。
「とにかく! あの男からは離れた方がいいって、アイツとどういう関係か知らねえけど、早いとこ逃げた方が!」
「離れる? どうしてですか」
「アンタはあの男、松永久秀とは違って俺と秀吉を助けてくれただろう、あの男を悪とするならば、名前さんは善だ。アイツは俺達を助けてくれた名前さんの首を絞め上げていた……このままじゃ、いつかアンタは殺されちまう」
「久秀様が私を殺す……?」
そんな事、ないとは言い切れない。
最期を迎えた側室達のように、私もいつか久秀様に殺されてしまうかもしれない。絶対に大丈夫、だなんて言えない。今はおそばに置いて下さっているけれど、心変わりして私を必要としなくなる事だってあるだろう。
「……殺されるかもしれませんね」
「だったら!」
「けど、あの方になら殺されても構いません」
「何を……」
「先ほども言ったでしょう? あの方は理由もなく人を殺したりはしません」
「俺と秀吉を殺そうとしたのは? あの男は俺達を殺そうと」
「松永軍に先に手を出したのは貴方達でしょう、死人が居なかったのが幸い。久秀様が止めていなかったら、死人が出ていたでしょう」
「それは……」
「正義なんて……何が正しくて、何が正解かなんて、誰も知らないものよ。変わりゆくこの世の動き方で、正義なんてすぐに壊れる。あるのは偽りの正義だけよ」
「けど、アンタは俺達を助けてくれただろ! あれこそ、正義があったから」
「私は「良い人」ではないわ、ただ、争い事が苦手なだけ」
「俺には名前さんが分からねえ……どうしてアンタみたいな人が松永に」
「……心配してくれているの?」
「そりゃあ……そうだろう、俺にはあの松永という男が恐ろしくて堪らねえ、出来ればもう関わり合いたくない、けどアンタは、違うんだろ」
「私の心と体は、いつでも久秀様のものですよ」
「心と体? それはどういう……」
少年が首を傾げたので「私は久秀様の」と説明をしようとしたが、
「名前!」という、聞き慣れた声に反応してすぐに声の方へと向いた。
「良かった! やっと見つけた……待っていろと言ったのに居なくなってたから慌てたぞ、何処に行っていたんだ……ん? お前は確か」
「え? 俺?」
私を見つけて駆け寄って来た兄上は、私と一緒にいる少年の方を向いて「あ!」と声上げた。兄上と彼は面識があるだろう、あの日、兄上は松永軍を襲った男と対峙している、あの場に居たんだ。
少年の顔にも見覚えがあるだろう。
「お前は、あの時の」
「え、まさかアンタも松永軍……じゃないよな」
「そのまさかだ少年、私は我が松永軍を襲った君の友達に怪我を負わされた者だよ」
「げっ! あ、あん時はその、腕試しっつうか、えっと」
「今それはいい、どうして君が此処にいる? いや、名前に何の用だ、返答次第では……」
兄は名前を自分の背に隠し、今にも腰元にある刀を抜こうとしていた、そして慶次の方をひと睨みし、殺気を放っていた。
「ちょ、ちょお待ち! 俺は名前さんに何もしてないし、するつもりはないよ! ただ道案内をしていただけだって!」
「……道案内?」
「名前さんも説明してやってよ! こんなところで刀を抜かれちゃあ騒ぎになっちまう!」
「名前、本当なのか?」
兄の兄は、自分の後ろにいる名前を見た。すると名前は「本当です」と言った。
「此処から離れてごめんなさい、知らない男の人に無理やり引っ張られて……でもこの人が助けてくれて、此処まで連れて来てくれたんです」
「知らない男に無理やり? その男は何処だ、私が斬ってやる! 男の居場所を教えろ少年!」
「だーもう! せっかくの祭りなのに血を流させる気!? とりあえず落ち着いてよ! でもまあ、会えて良かったね名前さん、じゃあ俺行くわ」
「はい、ありがとうございます、そういえばあなたの名前は……」
「俺は前田慶次!」
「……前田? もしかして」
「ああ、まあそのへんはご想像通りかな、でも今日はそういうの抜きにして名前さんはそっちの好い人と祭りを楽しんでよ! じゃあな!」
「好い人?」
え? と問いかける間もなく、少年・前田慶次は颯爽と人混みの中へと消えて行ってしまった。
どうやら彼は私の好い人を兄の兄だと思ってしまっているらしい、しかし私は「松永久秀の正室です」と自己紹介するわけにはいかない。身分をそう簡単に晒すべきではない。
しかし、まさか兄とそういう風に見られてしまうとは思わなかった。
「他人からは、そう見えるのかしら」
「名前、彼が言っていた「好い人」とは一体何の事だ?」
「ふふ、どうやら先ほどの少年は私と兄上を恋人同士だと思ったようですよ」
「は? 私と名前が? 勘弁してくれ、そんな事を名前の夫である松永様に知られたら申し訳ないじゃないか、今日の私は名前の兄であり、名前の護衛だ」
「ですが他人からは、私と兄上はそう見られているようですね」
「ふむ、恋人同士という方が我々が松永の者であると、まわりに知られる心配がないということか」
「兄上?」
「よし名前、今から私は名前の恋人役となろう」
「……その方がよろしいのなら、お任せしますよ」
「ああ」
「(兄妹でも構わない気がするのですが)」
私と兄上では、恋人同士に見られるらしい。では私と松永久秀様が共にいればどう見られるのでしょうか? 兄のように恋人同士に見られるのか、それとも兄妹? 年が離れているとはいえ、親子ほどは離れていない。
私としては、
「夫婦」と見られたら嬉しいのですが。
「名前? 風邪でも引いたか?」
「え?」
「顔が赤い」
「な、なんでもありません、さぁお祭りを楽しみましょう、息抜きをさせてくれるのですよね?」
「ああ、任せておけ」
私は火照った顔を隠しつつ、兄上と共に太鼓や笛の音が響く櫓を目指した。しばらくはずっと部屋に引きこもっていたので、解放されたように気分が良かった。