▼ ___24話、例え許されない事だとしても私は
「なんでよ! どうして来ないのよ!」
兵士達の鍛錬場では、竹刀を片手に仁王立ちしている娘がいた。そして何度もその場で地団駄し、その異様な姿は誰が見ても機嫌が悪そう、というものだった。
揚羽という娘は、とある相手に果たし状を送った。そして、その果たし合いの相手を鍛錬場にてひたすらに待っていたが、その者は一向に現れなかった。どうして来ないのか、一度ならず二度ともなれば、もはや怒りは頂点に達していた。
「なんでなの? 私との勝負を無視する気なの?」
「そういうわけではないだろう」
「陣内様……ですが、いくら待っても名前さんは来てくれません!」
「だから何度も言っただろう? 名前ちゃんはこの果たし合いにきっと来ないよ。久秀に果たし合いを受けるなと言われた以上、此処に来る事はない。いや、そもそも彼女は部屋から出る事すらも久秀に許されていない……さて、君もいい加減に此処から出て行ってくれないか」
君が居ては他の者が鍛錬する事が出来ない、と甚内は揚羽に言った。しかし、揚羽という娘は鍛錬場のど真ん中から全く動こうとはしなかった。
「いいえ! 私は待ちます! 松永久秀様の妻となるには私が一番相応しいと分かって貰わないといけません!」
「久秀に相応しいねえ……強気なのはいいけれど、その真っ直ぐな性格はいつか身を滅ぼすよ。いいかい、君がどう思ったとしても、どうにもならない事だってあるんだ、まだ若い君にはまだ難しいかもしれないが……今はそれを理解するといい」
「身を滅ぼす? それはあり得ません。私は私の正義で、正しいと思うように直すだけです!」
「はぁ……同じ側室だというのに、君と名前ちゃんとでは随分と性格が違ったものだね、こうもまとも会話が出来ないとは。いいから早く出て行ってくれないか」
「まだ名前さんが来ていません! 名前さんが来るまでは出て行きません! この間の勝負もまだ決着がついていないというのに! どうして」
「久秀に止められたのも来ない理由の一つだろうけど、勝負といっても君と力比べで勝負をしたくないからだろう、彼女は争い事を嫌っているからね、そもそも名前ちゃんがよく料理対決を引き受けてくれたものだ」
「許せない……きっと高みでこの私を笑って見ているのね、自分は松永久秀様に近い存在だから勝負などしなくとも結果は見えていると言いたいんでしょう! 許せない!」
「名前ちゃんはそんな事を言っていないよ」
「じゃあ何で来ないんですか!」
「久秀が駄目だと言えば、駄目に決まっているだろう。全く……ほら、兵士達が鍛錬しに集まってきたよ、さあ早く鍛錬場から出る事だね」
「けどっ、まだ勝負してません!」
「はいはい、此処にいると怪我をするよ、隅の方で座ってなさい」
「ちょっ」
甚内に背中を押され、揚羽は鍛錬場の隅の方へと追いやられてしまった。追い出されないだけマシだが、いつの間にか鍛錬場では既に兵達が鍛錬を始めてしまったので、ますます居心地が悪くなった。
怒りがおさまらない揚羽は手に竹刀を持ったまま、鍛錬場の隅に座り込んだ。もしかしたら名前が来るかもしれない、もしかしたら果たし合いに来てくれるかもしれない、そんな思いを描きながら大人しく待つ事にした。
鍛錬場の隅っこでひたすら待っていると、鍛錬中の兵士達に何事ですかと声をかけられたが、答えることなくひたすら名前を待ち続けた。しかし、このまま此処で待っていても仕方ないかなと揚羽は思い始めてきた。こうなればもう、名前がいるであろう本丸の方へ潜り込んでみようかとも思ったが、見張りの兵がきっといるのでそれは無理だなと諦めていた。
「(流石に、簡単には通してくれないか)」
本丸には、憎くてたまらないあの女がいる。鉢屋衆の名前、松永久秀様が一番気に入っているという側室、誰もがこのまま彼女が正妻になるだろうと思っているが、私はそうは思わない。正妻になるのは名前ではない、この私だ。
松永久秀様に自身を認めて貰うには、まず名前という女を倒さなければならない。
倒さないと、前に進めないんだ。
私は、竹刀を持ったまま鍛錬場の外に出て。名前がいる本丸に向かって立った。そして、自慢のこの大きな声で名前に向かって想いを届けた。
「鉢屋名前!!!出て来なさい、私と早く勝負をしなさいよ」
私の大きな声に、鍛錬場にいた兵達が動きを止めてぎょっとしている様子が伝わってきた。しかし私は止まらない。
ねぇ名前さん、どうせ部屋に引きこもっているんでしょう? そんなに私が怖い? 私に負けるのがそんなに嫌なの? だから逃げているんでしょ?
「このまま逃げる気!?」
松永久秀様に気に入られて、可愛がられて、たいして強くもないくせに。どうして私ではなく貴方が一番正妻に近いの? おかしいじゃない。
「出て来なさいよ!」
何で私じゃなくて貴方なの?
「逃げないで私と戦いなさい!」
貴方よりも私の方が強いんだ。
それを証明して、私は……
「名前様、なりません! お戻り下さい、部屋から出てはいけないと言われているでしょう!」
「!」
廊下の奥の方から声が聞こえた。あの声は名前さんの侍女の声だ。もしかして、と思っていると、鍛錬場へと続く廊下にずっと待っていたあの女が来た。私の心の声が届いたかのような、鍛錬場の前で立ち尽くす私の方に真っ直ぐと向かって来た。その様子はいつもの鉢屋名前の姿とは違っていた。髪型や着物姿などいつもと変わらないはずなのに、名前のその姿に、本当にあの名前なのかと疑ってしまう程だった。そういえば彼女は鉢屋衆の者だった、ならばそれなり精神と武道の心得はあるだろう。
竹刀をぎゅっと握り、あの女と向き合うように見つめた。
「お待たせしました揚羽さん、遅れてしまい申し訳ございません」
「や、やっと現れたわね、私と勝負しなさい名前さん!」
「ごめんなさい、争い事は久秀様に禁じられています、どうかその竹刀をおろして下さい」
「はあ? じゃあ何しに来たのよ」
「話し合いを」
「何よそれ、まさか勝負から逃げる気? 弱気な女なんて松永久秀様の正妻には向いていないわ、ほらやっぱり私が正妻になるべきなのよ」
「お願いです揚羽さん、どうかお聞き下さい……私は逃げているのではないのです、貴方の真っ直ぐな思いに向き合いたいのですが、勝負というのは許されないのです」
「うるさい! どうして貴方なの? どうして私じゃなく貴方が久秀様の近くにいるの? 貴方なんかのどこがいいのよ!」
竹刀を名前に向かって振り下ろした。しかし、それは読まれていたのか、それとも偶然なのか、ひらりと避けられてしまった。すぐに竹刀を横に振ったが、それすらも当たる事がなかった。
周りの兵士達は「何事だ」と鍛錬していた手を止めて、二人の様子を見ていた。
その中で、甚内は頭を抱えていた。
「まさか、名前ちゃんが来るとは」
「申し訳ないです甚内様……これでも私は名前様を一生懸命に止めたんです」
「参ったな、久秀にこんな所を見られないといいけど、もし久秀に見つかったら……」
大変な事になる、と甚内は呟き。甚内に謝っていた名前の侍女である千代は「えっ」と驚いていた。甚内の言う大変な事とは一体何なのか。
しかし今はそれよりも、鍛錬場で見つめ合う側室二人の方を気がかりにしていた。
「揚羽さん、まずは話し合いを」
「うるさい! 勝負して私が勝つのよ!」
「私が膝をつけば負けという事ならば私はそうしましょう、けど勝ったからといってどうなるのです、久秀様の正妻になれるのですか」
「あんたなんかより強いと証明してやるのよ! 正妻に相応しいのは私だと認めて貰う為に!」
ひたすらに竹刀を振り、攻撃を仕掛けたがその太刀筋は一撃も当たる事がなかった。全て避けられてしまい、何かがおかしい事に気が付いた。
「どうして攻撃して来ないのよ!」
「する必要がないからです」
「馬鹿にしてるの!?」
「揚羽さんは、何の為に剣術を身につけましたか?」
「何ですって!」
「ひと振りに、迷いがあります。剣術というのは本来こういった争いの為にあるものではありません、揚羽さんも分かっているでしょう?」
何の為に剣術を身に付けたのか、何の為に強くなったのか、剣を握ったその日から、皆それぞれに確かな想いがあったはずです。
護りたいものがある。
手に入れたいものがある。
強さを手に入れ、認めて欲しい人がいる。
「こんな争いに、せっかく磨いた剣術を使うべきではありません。貴方のその剣の腕は、誰かの為に使うべきです」
「うるさい! 私はあんたより強いんだ! あんたに勝たなきゃ、私は! 一族は!」
「一族?」
「私の家は代々武人の家系なの! 一刀流の道場、なのに身分は低いまま! 私が本妻となれば一族の名は広まる! だから私は!」
「他にやり方というものがあります! また料理の腕で競い合ったり、作法などで勝負しては駄目なのですか? お願いです揚羽さん、その竹刀を離して下さい」
「うるさい!」
「!」
「名前様!」
鈍い音がして、千代の声が鍛錬場に響いた。鍛錬場にいた兵士達も、床に倒れ込んだ名前に驚いていた。
揚羽が振り回していた竹刀が、名前のこめかみに当たってしまったのだ。千代はすぐに倒れた名前の元に駆け寄り、甚内もすぐに動いた。
「や、やった……! 名前さんを倒した! ほら、私の方が強いじゃない!」
「名前様! 大丈夫ですか!」
「名前ちゃん、僕が分かるかい?」
勝った!と喜ぶ揚羽とは違い、千代や陣内、そして鍛錬をしていた数人の兵士達が名前を心配する声をかけていた。
しかし名前は呼びかけには返答せず、ぐったりとしていた。打ち当たりが悪かったのか、気を失っているようだった。
「名前様!」
「軍医を! 早く!」
「は、はい!」
甚内に言われ、兵士はすぐに軍医を呼ぶべく鍛錬場から出て行った。その間も甚内と千代達は返事がない名前に何度も何度も呼びかけていた。
「名前様……! 名前様!」
目を覚まさない名前を見て千代は泣きぐずり、名前に目を覚まして貰おうと必死に呼びかけていた。
「大丈夫だ。呼吸はしている、心配しなくてもいい気を失っているだけだ。しかし打ち所が悪かったんだろう……早く医者に診てもらおう」
「目を、覚ましますか? 名前様は、目を覚ましますか?」
「軍医がすぐに来るだろう、落ち着きなさい。大丈夫、松永の軍医は優秀だ」
「名前様……」
甚内と千代が目を覚まさない名前を心配している中、竹刀を持ったままの揚羽は名前に勝った事が嬉しいのか、「名前さんに勝った! これで私が一番に!」と喜んでいた。その様子はもはや狂気じみているようだった。
「死んじゃえ! そんな女、死んじゃえばいいんだ! そうすればば私が本妻に! 名前さんなんかいらないのよ!」
「名前様は争う事を拒否していました! なのに、こんな事をするなんて、あんまりです!」
「うるさい! 勝った方が強いのよ! 強さこそが正しい! 一番になるには強さが必要なんだ!」
「こんな事で一番になんかなれません! 名前様は誰よりも心が綺麗だからこそ、久秀様は名前様をお選びなられたんです。貴方のような人では名前様に絶対勝てません!」
千代が揚羽に向かったそう言うと、揚羽は千代の言葉が気に入らなかったのか、竹刀を握り、千代に向かって振り下ろしてきた。
「うるさい!」
「きゃっ!」
「私が名前さんに勝てない? 何を言っているの? 私は名前さんに勝ったのよ!」
「丸腰の相手を一方的に攻撃をしてきて、どこが勝負というのですか! 名前様が言っていた通り、剣術をこのように使うのは考え改めた方がよろしいかと!」
「うるさいうるさいうるさい!」
「やめなさいっ!」
竹刀を千代に向かって振り回していた揚羽だったが、その攻撃は甚内の刀によって全て防がれてしまった。千代は「あ、ありがとうございます」と自分を守ってくれた甚内にお礼を言っていた。
「いい加減にしなさい、その竹刀を今すぐに離すんだ。剣術に自信があるようだけれど、剣術をこんな風に使うべきではない。君もお父上から礼儀というものを教わってきただろう?」
「強くあるべきだと教わっているわ、一番になってこそ!」
「君には……どうやら心の修行が足りないようだね」
「心なんて必要ないでしょう? 松永久秀様の妻である為に必要なものさえあれば、そうよ、それは強さ、それさえあれば誰にも負けない」
揚羽の言葉に、甚内は「やれやれ」と呟いた。気を失っている名前と、その名前をずっと心配している千代を庇うように甚内は揚羽と向き合った。
「そんな女、さっさと死んじゃえばいいのに、弱い側室なんて必要ないのよ」
「……。」
甚内は揚羽をどうしたものかと悩んでいたが、鍛錬場の外からこちらに向かってくる複数の足音に気が付いた。
先ほど呼びに行かせた軍医がようやく到着したのだろうと、鍛錬場の入り口の方へ視線を向けた。今はとにかく気を失っている名前を診て貰う事が先決だ。
揚羽という娘をどうするかは後回しでいい。
「軍医殿! 早く名前を……えっ」
鍛錬場に入って来た人物を見て、陣内は思わず言葉を失った。まさか、何故、そんな、色んな考えが脳いっぱいに広がり、混乱しそうになった。
だってそうだろう? どうして彼が此処にいるのか、そんな事など考えもしなかった。
そこに居たのは軍医と
松永久秀だった。