▼ ___20話、その男、将軍・足利義輝





揺れる山道を進んだ先で馬を降り、到着したそこは初めて訪れる東大寺だった。久秀様は何度か訪れているようで、私を気にかける事なくすたすたと先へと進んでしまった。




「(私もお寺に入って、いいのかしら)」


寺というのは女人禁制だと聞いている、ならば私はこの先に進んでいいものか、周りにいる僧侶達は何も言わず、先に進む久秀様に頭を下げている。その少し後ろに私がいるのだが、何か言われる様子はない。







「どうしたのかね」


挙動不審だったせいか、久秀様は足を止めて私の方を振り向いた。



「女人禁制、ではないのですか?」

「ああ、それを気にしていたのかね、ならば案ずる事はない、僧侶は男ばかりだが此処は女人禁制ではない」

「久秀様……私は、何をすればよろしいのですか」

「茶を淹れて貰おう」

「……茶? それだけでよろしいのですか?」

「今日は知人に会い、話をするだけなのでね、用意さえしてくれればいい」


久秀様と共に東大寺の中を進み、離れの方へと進むと、寺とは思えない程に煌びやかな和室に到着した。茶道具や急須、茶葉は既に揃っているようで、しばらくしてから茶室に湯と共に住職が現れ、湯釜を受け取った私はすぐに茶の用意し、人数分の漆塗りの茶碗へと茶を淹れた。




部屋には久秀様と住職様のみ、何やら二人は話をしているようだが、私は久秀様の言っていた「知人」というのは、住職様では無いと気付いていた。



「(という事は、久秀様の知人というのは)」


誰の事なのか、と。

そう考えていると、こちらに向かっているであろう鎧が擦れる重たい足音が聞こえた。もしや、と思うと久秀様と住職様は揃って襖の方を見た。すると襖がゆっくりと開かれた。





「おお、久しいな久秀、息災であったか」

「帝よ、随分と鈍い足運びのようだが」

「はっはっは、すまない、つい寄り道をしてしまった、遅れてすまないな」



軽快な笑いをしながら、「帝」と呼ばれた殿方は鎧具足を外し、久秀様の斜め前に腰を下ろした。きっと彼が久秀様の言う「知人」なのだろう、久秀と気軽に名を呼ぶ人など、そういるものでもない。





「どうぞ」


私はすぐにその「知人」へと茶をお運びした。その知人らしき彼は「ありがとう、お嬢さん」と言い、私に笑いかけてくれた。その笑い方はとても自然なもので、どうやら彼は悪い人ではなさそうだなという印象を受けた。しかし「帝」と呼ばれたこの方がどういう人なのか気にはなったが、まさかこの国の将軍様ではないだろうか? という疑問が浮かんだ。いやいやそんなはずはない。



「(帝……? え、いや、まさか)」


この方がもし有名な将軍様であれば、どうして久秀様と知り合いなのか、いやそもそも、どうしてこのような場に帝がいるのか、この状況で私のような者が帝と同室に居ても良いものなのか。茶を淹れるだけで良いと言われているが、こんなにも緊張する茶会は初めてだ。





「ほう、今日は随分と綺麗な者を用意したのだな久秀よ」

「茶会も男ばかりでは飽きるものだろう」

「そうだな、華があるだけで茶がより美味く感じる、久秀の目利きの才というのはやはり高等なものだ、実に羨ましく思う」

「お気に召したかね、帝よ」

「ああ、連れて帰りたい程にな」

「うむそれは困るな、これは私のものだ。いくら帝とはいえ、あいそれと譲る事は出来ない、どうか許し願おう」

「なんと。珍しいな久秀、其乃方が女人を所有物とするとは、それほど大事か……ますます興味が湧くというものだ、もしや久秀の娘か? ならば所有物というのも頷ける」

「……帝よ、私はそれほど老体ではないのだが、そう見えるのかね」

「はっはっは、すまんな久秀! そうだったな、では娘ではなく其乃方の妹というわけだな!」

「妻だ」


そう言った瞬間、「帝」は口に含んだ茶を盛大に吹き出した。これには私もびっくりだ。共に在席していた住職様も驚き、久秀様に至ってはとても怪訝そうな表情をしていた。






「帝よ、随分と粗末な作法だな、どこで覚えたのかね」

「ひ、久秀! 今、何を……」

「何がかね」

「今、其乃方は、「妻」と」

「ああ、これは妻だ。妹などではない」

「なんと……一体いつ妻を迎えたのか、いや待て、確か久秀には側室が複数存在していたのだったな、ならばその中の一人か」

「どこでその話を聞いたのかね」

「どこだったか、忘れてしまったな」


はっはっは! と笑い、「そうかそうか」と頷いていた。私は「複数いる側室の一人」という言葉を聞いて、少し気を落としていた。そうですよね。私は所詮、久秀様の側室の一人であり、残念ながら本妻ではない。私を自身の妻と紹介して頂き嬉しく思ったが、側室だという事には変わりない。





「では久秀の妻よ、名を聞いても良いか?」

「名前、と申します」

「良き名だ、久秀の妻でなければ予が連れて帰ろうと思ったのだが、ふむ、上手く行かぬものだな」



連れて帰る、という意味がどういう意味なのか……久秀様の方を盗み見れば、久秀様は何もなかったかのように茶を飲んでいた。という事は、将軍様のこのお誘いはお戯れだという事だろう、それもそうだろう、帝が私のような女を見初められるはずもない。それに帝のような存在なら美しい女人など数多く用意されているはず、求める事なく既に存在しているというものだ。






「お戯れを、私は久秀様の妻である身、そうでなくとも、この身は久秀様のものにございます」

「ほう。自らを久秀のものと申すか、これは参ったな、では心も既に久秀に捧げたというのか」


将軍様のその言葉で、ようやく久秀様が私の方へ視線を向けた。久秀様の立場ならば女を手に入れる事はとても簡単だ、けど体を手に入れる事は出来たとしても、人の心までもを手に入れるのはとても難しい。

もし久秀様が私の心を欲しいと望んでくれていたら、どれだけ嬉しい事か。





「どうした名前よ、其乃方の心も久秀のものなのか、予はそれが知りたい」

「無論でございます、私の心は久秀様のもの、私はそう望んでおります」

「自らそう望むと、しかし君が望めば予がその理から引き抜いてやれるが、さてどうしたものか」

「私が……望めば?」

「なに、事というのは既に決まっているものではない、自身が望めば現状を解する事も出来よう、君が望めば予はそれを叶える事が出来る」



例えば、私が久秀様の元に居たくないと言えば。例えば、私が鉢屋の故郷に帰りたいと望めば、それらを叶えてくれるのだろうか。この方の元に行く事も、それも簡単だというのか。





「帝よ、私から妻を奪う気かね」

「名前が望むとあれば、それも仕方のない事だとは思わぬか久秀」

「ふっ、名前が私から離れたいと望む、か」


久秀様の視線は真っ直ぐと私に向けられていた。ああ、どうして私に意見を求めるのですか、私の気持ちなど既に決まっていますよ。何度も久秀様に申し上げたではないですか。





「私の望みは久秀様に叶えて頂いております、これ以上欲しては、いつかバチが当たりそうです」

「十分に望んでいると言うのか、では予が叶えてやる事が出来ぬな、うむ、困った」

「帝に名前を会わすべきではなかったか、不定、不定……」

「人というのは欲望の塊だと久秀が言っていたが、おかしいな、名前はそうではないのか」

「皆同じで、皆人間臭くてはつまらないものだよ、帝」

「ふむ」


久秀様と将軍様は、どうやら私という話題からようやく離れたようで、世の動きや情勢などを語り合っていた。私には難しくて理解出来ない内容ばかりだ。聞いていてもよいものだろうかと不安になる。



言いつけられた事は茶汲みだけなので、それ以外はしないようにした。時間が過ぎればようやく彼らは腰を上げた。






「ではまた会おう、久秀。必要なものを言ってくれればすぐに授けよう、遠慮はするな」


将軍様はそう言って、寺から立ち去って行かれた。どうやら久秀様とは随分と昔からのお付き合いのようで、友好的な印象を受けた。






「名前」

「はい」


名を呼ばれ、久秀様の元に寄ると手首を取られ、顔を向けさせられた。



「名前」

「久秀様」

「……君は」

「久秀様、何を焦っているのですか」

「焦る? 誰が、私がか? そんなはずはない、焦る必要など……どういう事だ」

「久秀様、城に帰りましょう。私が美味しいご飯を作ります、一緒に食べましょう」

「食事など……」

「お腹がいっぱいになれば、焦る気持ちも少しは落ち着くものです、私の願いです、どうか共にお食事をお摂り下さい」

「ふっ、君が望むのならば、私はそれを与えよう。さて、まずは城に帰るとするとしよう」



なんとか久秀様の機嫌が少し良くなったようで、私は人心地がついた。まさかとは思うが、久秀様は将軍様に私を取られるとでも思ったのだろうか? そうだとしたら嬉しいのだけど、久秀様の事だから自分のものを取られるのが嫌なだけかもしれない。




「(私が久秀様から離れるなんて、あり得ないのに)」



揺れる馬の上で、そう思った。



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