▼ ___19話、小鳥からお便りを頂きまして
「名前様、文が届いています」
千代からそれを受け取り、中身を拝見してみると差出人は「揚羽」と書かれていた。何故、彼女から文が届いたのか……私に何用があって文出したのか。
「……これは」
「名前様、何と書かれていましたか? あの娘は名前様に何と?」
「……読めないわ」
「へ?」
「字が汚すぎて読めないのよ」
千代に届いた文を渡すと、千代は「これは酷い」と呟いた。文の端に書かれた「揚羽」という名前は何とか理解出来たが、肝心な文は、とてもじゃないが読めるものではなかった。
「名前様、これは字と言えるのでしょうか? いくら若い娘とはいえ、側室として呼ばれる程の女なら、文事に優れているものではないのですか」
「最低限の教養は必要なものだとは思います、しかし……これでは大事な用件が読めませんね、どうしましょう」
「放っておいても良いのでは? だってこの字ですよ? どうしようとも理解が出来ませんよ」
「待って千代、えっと……「明日、刻、挑む」までは読めるわ、時間はかかるでしょうけどなんとか解読してみせるわ」
「えっ! この酷い字をですか!? しかし、この後は殿とお出かけの予定ではないですか!」
「お迎えが来るまでまだ少し時間があるわ、彼女が私宛に書いた文よ? どんな事が書かれているのか読んでみたいじゃない」
「お優し過ぎます!」
「えっと……茶、刻」
「名前様、そろそろ準備をっ」
お出かけ用の羽織りを用意している千代には申し訳ないが、揚羽という娘から届いた文の内容をなんとか解読しようとした。私の手は文を離す事はなく、目はしっかりと文を見つめていた。
「名前」
文と睨み合いをしていると、後ろから声をかけられた。文に集中し過ぎて気付かなかったが、いつの間にか私の部屋に久秀様がいらしていた。千代は申し訳なさそうに「お、お声かけは何度もしましたよ」と小声で言っていた。
「久秀様」
「何を見ているのかね?」
久秀様は私の隣まで近寄り、私の手に持っている文を覗いた。するとどうだろう、珍しく久秀様が呆気にとられていた。それほどまでに、この文の字は酷いものなのだろう。
「……君の字ではない事を祈るよ」
「わ、私ではありませんっ、この文は私宛に届いたものです」
「ほう、ではこの文の差出人は男か? 君に手を出そうとする不埒な者は多い……ならば私が手を下さねばならぬが」
「その必要はありません、これは女性から送られたものです」
「はて……君はこれらの字が読めるのかね? いや、字とは呼べぬものだ、これはまるで幼子の遊び事のようだな」
「これを書いた者は、慣れない字で頑張って私宛に書いたものでしょう、ならば読まねばなりません、文とは相手に用件が届かなければ、その意味を成しません」
「私ならば即刻、破り棄てるものだが」
そう言いながらも、久秀様は私の隣に腰を下ろし、私が持っている文を覗いていた。共に出かける予定ではあったが、久秀様は私を急かす様子もなく、どうやら共に文の内容を解いてくれているようだった。
「ふむ、明日の昼に、とあるな」
「呼び出し、という事でしょうか、茶や華、楽……これはどういう意味でしょう」
「君は茶を共に楽しむ者がいるのかね」
「久秀様以外にはおりません」
「ならばこの誘いはなんだ」
「揚羽様と私は、茶を楽しむような間柄ではありません……ならばこの内容は」
「揚羽?」
「久秀様の側室のお一人ですよ、十二の娘です、ご存知ないのですか?」
「知らんな」
「……まさか、久秀様は側室の女達の名前と顔を把握されていないのですか」
「私が知っているのは名前という者だけだ、成程……私の知らぬ間にまた側室を増やしたのか、奴らめ、いらぬ世話を」
「揚羽という娘は、いずれ久秀様の本妻になると私に宣言しておりました。自分はそうなるべきだと、若さと美貌で久秀様に気に入られると……」
揚羽という娘は私を蹴落とし、久秀様に選ばれ、本妻のなると自信満々に宣言していた。こればっかりは私自身がどうこうする問題ではない、本妻を選ぶのは久秀様だ。
選ばれた者だけが、久秀様と共に生きていける。それだけだ。
「久秀様が揚羽という娘をお選びするのであれば、私は身を引く他ありません」
「……君は私を馬鹿にしているのか」
「え、いえ、そんな事は」
「私が十二の小娘に本気で心酔するとでも思うのか、私はこれでも忙しい身でね、小娘に付き合う暇などない。いや、私にも女の好みがあると言った方がいいか」
「好み、ですか」
「世間一般的に、綺麗な容姿や若い女人というのは確かに魅力的ではあるが、私が求めるのはそれではない、私が持ち得ないもの、美しき心の持ち主こそ、人を惹きつける事が出来るというもの、それこそが真の魅力と言うのではないかね? 形の美しさなど、とうに見飽きている」
「で、では、揚羽のような娘は……」
「字の汚い小娘など知性の欠片もない、君の賢さには到底及ばない」
久秀様がそう言うと、部屋の隅で大人しく座っている千代がうんうんと頷いていた。千代はどうも、揚羽という娘をよく思っていないらしい。
「さて、そろそろ茶番も良いだろう、謎解きをする程の時間はないのでね、出かけるとしよう」
「しかし、まだ文の内容を」
「時間の無駄だ」
文を久秀様に奪われてしまい、「あ」と言う間もなく、文はぼうっと燃え上がり、消し炭となってしまった。久秀様が持っていたはずの文は一瞬で無くなってしまった。まだ内容を全て解読していないというのに、それはもう叶わない。揚羽という娘は私に何の用件があったのか、それは分からず終いとなってしまった。
「……。」
「それは君にとって大事なものか」
「いいえ」
「ならば私に君の時間を譲りたまえ」
座り込む私に手を伸ばし、私はその差し出された手を取り立ち上がった。そして先へと進む久秀様の後ろを歩いた。今日は東大寺で行われるという茶会に参加されるらしい、「君も来たまえ」とお誘いを頂いたので私も共に向かう事となった。
燃えてしまった文をつい気にしつつ、千代や家臣の皆に見送られ、久秀様と共に馬に乗り東大寺へと向かった。
東大寺にはよく行かれるらしく、「東大寺に向かう手前に、築城を考えている」と久秀様は教えて下さった。東大寺の手前には良い形の山があるらしく、近々築城するらしい。
「この土地は街道や川の水運を押さえる整備がまだ不十分でね、それらも含め、あの山に新たな居城を建築するつもりだ」
「山に、築城ですか?」
「城から東大寺や興福寺などが見下ろせる良い場所だ、城壁は白く輝き、全ての家屋を漆黒の美しい瓦でおおう、大きさも申し分ないものにしよう、どう思うかね?」
「それは、先進的でとても美しいものとなります。山の中とあればまるで隠れ城のようで、攻め込まれてとしてもこちらが有利となるでしょう」
「先進的か、悪くない言葉だ」
「久秀様の築城の才であれば、良いものとなりましょう」
現在住まう居城でさえ、とても美しい城だ。それよりも大きな城を築城しようと考えている事には驚いたが、久秀様はこの大和国を治める方だ、城がある事で国の強化にもなる。水源が整えば、城下には村や町が出来る。人が住みやすくなり、民は平和に過ごす事が出来る。
「しかし久秀様がこちらに住まわれてしまうと、またお会いする時が減ってしまいますね……この国は広いですから、仕方ないです」
「はて、君は何を言っている」
「え?」
「名前、君も共に来るのだが」
「!」
「何故、そんなにも吃驚するのか、私には理解し難い」
「え、私は、ええっ……」
「君のその表情も、嫌いではないがね」
驚いている私を見て、久秀様は妖しく笑った。何だか楽しそうだ。こちらは驚いて言葉が上手く出ないというのに。
共に来るという事は、今まで通り側室として、という事なのか、それとも別の意味なのか。どちらなのでしょうか。
「少し揺れる、名前、しっかり私に捕まっていなさい」
「は、はい」
揺れる馬の上で、私は言われた通りに久秀様の胸に前から抱きついた。鼓動が聞こえそうな程に距離が近かったが、私の心はそれどころではなく、早く東大寺に着いて欲しいという気持ちと、もうしばらくこのままでいたいという気持ちが交差していた。
東大寺まで、あと少し。