▼ ___15話、本当の姿を貴方だけに見せましょう
勘助の不審死の知らせを聞いてから、どこか落ち着かないこの気持ちをどうにか晴らしたくて、私は侍女の千代がいない隙に静かに立ち上がり、部屋を出た。
部屋を出て向かった先は久秀様がいらっしゃるであろう部屋、しかし部屋の少し前には久秀様を警護する兵が二人程立っていた。兵達の間を通らなければ久秀様のお部屋に行く事は出来ない。
さてどうしたものか。
「ん? 名前さん、どちらへ?」
「この先には殿がいらっしゃいますよ、しかし何やら殿は機嫌があまり良くないようで……どうか怒られる前に部屋お戻り下さい」
そこに居たのは顔見知りである兵達だった、彼らは私を見ても邪険に扱う事なく、むしろ私を心配してくれているようだ。久秀様の機嫌が悪いという事も、こっそりと私に教えてくれる。
「こんにちは、久秀様に会いに来たのだけど、今はお忙しいのかしら」
そう言うと、兵達は顔を見合わせた。突然やって来た私をどうしようか迷っているらしい。しかしすぐに追い返される事はなく、兵の一人が「少々お待ちを」と言って奥へと行ってしまった。どうやら久秀様にお取り次ぎをしてくれるらしい。
しかし、私は呼ばれてもいないのに会いに来てしまったので、久秀様には追い払われるかもしれない、会いたいと思っているのは私だけで、久秀様はお忙しいのかもしれない、勝手に部屋を出て来てしまった事を怒られないように、と祈りつつ、久秀様からの返事を待った。
すると久秀様に聞きに行ってくれた兵が戻ってきた。
「殿から名前さんをお通しするように、との事です」
「ありがとうございます」
追い返される事はなく、どうやら久秀様は私と会ってくれるようだった。このまま二の丸に戻る事にならなくて良かった。警護を任されている兵の一人と共に、奥にある久秀様のお部屋へと向かった。
「……久秀様」
「名前か」
襖の前で久秀様をお呼びすると、名前を呼ばれ「入れ」と言われた。襖をゆっくりと開き、部屋の中へ入ると、刀を自身の前にいくつか置いて座っている久秀様のお姿がそこにあった。きっと名刀の数々だろう。しかし久秀様は私の方には視線を向けず、お気に入りの刀を見るばかりだった。
「名前、如何したのかね」
久秀様は名刀であろう刀を品定めしながら、私に部屋を訪ねてきた理由を聞いてきた。機嫌があまり良くないと聞いていたが、見たところそうでもないように見える。いつも通りの久秀様だと思うけれど、怒らせてしまわないように注意しなければ。
「如何もしません。久秀様に、会いに来ました」
「……。」
久秀様の向かいに座り、正直にそう伝えると久秀様はようやく私の方に目を向けた。そして再び刀の方に視線を戻し、鞘へと納刀した。鞘へと戻した刀は畳の上に置かれ、久秀様は私の方を向いた。
この方の瞳の中には私しか写っていない。
「名前、こちらに」
「はい」
手招きをされ、久秀様に近付くと腕を急に引っ張られた。そしてそのまま久秀様の方へ倒れそうになったが、私の小さな体は久秀様に受け止めて貰い、今は腕の中へと閉じ込められてしまった。
「ひ、久秀様……!」
久秀様との距離が近くなり、私は焦ってしまった。だって急にこんな事をされるなんて思っていなかった、この早くなる鼓動をどうにかして欲しい、久秀様にこの音が聞こえてしまっていないだろうか、久秀様が私を抱きしめてくれているだなんて、どうしよう、こんなにも顔が近い……いやそれよりも久秀様の体温が密着する体から感じられる、もう何度も体を重ねているはずなのに、久秀様にこうして抱きしめられるだけでこんなにも動揺してしまうのは何故だろうか。
いっそもう爆発してしまいたい。
「名前」
「は、はい、久秀様」
ようやく名前を呼ばれて顔を上げると、久秀様は私の頬に手を添えて見下ろしていた。優しげなその視線に体温が熱くなった。
「よい顔だ、よく見せなさい」
「久秀様……」
「君は私のモノだ、決して壊れるな、君が君である限りは私の元から離れてはいけない」
「はい」
久秀様の言葉一つ一つに、私は溶けそうな気持ちだった。お慕いしている久秀様からの甘言に、体や心など、全てを持って行かれているような気持ちになった。
しかし、久秀様は私を見ながら、私に触れながら「誰の手にも、触れさせたくはない」と呟いた。時折、殺気走っているような久秀様の表情に驚いた。一体、どうしたというのか。
「……。」
「久秀様? どうかしましたか」
「いや、何もない」
「しかし、ご様子がおかしいようで」
「ふふ……そうか、おかしいか」
「!」
「名前、今の私はおかしいかね。そうかもしれないな、何故なら私は、君を失う事が怖くなったのだからね」
「失う……? 久秀様、私は此処におります」
私を引き寄せる久秀様の胸に、私は頬をすり寄せ「離れません」とお伝えした。
「だが……この視線、この感触、君は私のモノだというのに、もし君の全てが他の者の手に渡ってしまう……と、不安になる」
「他の者のところになど行くはずがありません……どうされたのですか久秀様、私はいつも変わらず貴方のお側におります、こうして久秀様と共に」
「ああ、君は誰にも渡さない、君は私のモノだ、君を愛でるのも私だけだ、他の者が君に触れる事は許さない、ましてや他が君を抱いてでもしてみろ、私はその者を許さない、切り刻み、灰にし、すぐに黄泉の国へと連れて行こう」
「久秀様……」
一体どうしたというのか、久秀様がこんなにも私が他の者に奪われる事に懸念しているなんて、今の久秀様はとても怖い、恐怖を感じた、しかしそれ以上に強い愛情を感じた。
「久秀様、私を見て下さい、名前は此処にいます、どこにも行きません」
「名前、君の瞳には私が写っている、しかしこれさえも奪われてしまうのならば、私は君を殺して、君の瞳の中は私だけにしてしまいたい、そうすれば他を見る事もなくなる」
久秀様は、畳の上にある刀へと手に取った。鞘こそは抜いていないが、久秀様ならいつでも抜く事が出来るだろう、私を殺すなどこの人にとっては簡単な事だ。楽に私をあの世へ行かせてくれるだろう。
「私の瞳の最期に写るモノは、愛おしい久秀様でございますか、それはそれは素敵な最期でございますね」
「最期……いや、やめておこう、私は君を殺したいわけではない」
久秀様は、刀を畳の上に戻した。
私は殺されずに済んだが、久秀様は一体どうなされたのだろうかと心配になった。
「久秀様、一体何があったのですか」
「……。」
「久秀様……」
「名前、君は私の側室となる前に、恋仲となる男はいたか」
「恋仲? そんなものおりません、私は鉢屋衆頭領の娘、武家階級の娘である以上、厳格な環境でしたので恋愛すら」
「幼馴染の男が、居たのではないのか」
「!」
幼馴染の男、久秀様が仰っているのはきっと同じ鉢屋衆の勘助の事だろう、どうして久秀様の口から勘助の名前が出てくるのか……やはり、勘助を殺したのは久秀様なのだろうか。
「はい、確かに幼馴染はおりましたが、その者とは何も……」
「名前、君は私のモノだ。君を想う男はこの世に私だけで良い、他は必要ない、私のモノに想いを馳せるなど、それだけで死罪になるとは思わぬかね?」
「!」
死罪。
やはり勘助を殺したのは久秀様だ。
千代は言っていた、勘助は私をずっと想っていたと……その気持ちは、里を離れてもなお、忘れる事が出来ぬ程に。そして久秀様はそんな勘助の存在を知り、私が奪われると思ったのか、勘助をこの世から消し去ったのだろう。
なんて、恐ろしい人だろうか。
それだけ、久秀様は私を必要としているという事なのか、そうだとすれば、これほど嬉しい事はない。
「名前、私はおかしいのだろうか」
「いいえ、おかしくありません」
「私は、君を想う男を殺した」
「ええ、勘助は死んでしまいました」
「知っていたのかね」
「兄から文が届きました、しかし……勘助が私を想っていたとは知りませんでした」
「君は私が憎いか?」
「え……?」
「幼馴染の男を殺したのはこの私だ、私が殺せと命じた。彼は君と同領の者だ、悲しくはないのかね、私が憎くないのかね」
「……。」
「正直に言いたまえ」
久秀様は私を離す事なく、私の顔を見ていた。私の顔に触れるその左手には火薬が仕込まれている事を知っている、朝日様のように私を爆破する事も久秀様なら可能だ、言葉次第では灰になってしまうのだろうか。
「勘助とは昔から仲が良かったです。正直なところ、もう彼が居ないと思うと悲しいです」
「……。」
「しかし、それ以上に私は嬉しいのです、久秀様が私を欲さんとしたそのお気持ちが、私の心など全て久秀様のモノだというのに、何を恐れているのですか、私は今こうしてお側にいるではないですか」
「名前……」
「どうかお願いです久秀様、私を必要として下さい」
「何を……私がいつ君を捨てたと言うのか、私という男は自分のモノを易々と取られるのが気に入らないだけだ」
「それさえも、私は久秀様のモノだと嬉しく思ってしまうのです」
「私には君が必要だ、女としてではない、名前、君が欲しい」
「久秀様……」
この久秀様の言葉に心酔し、喜んでいた私だったが、久秀様の私を想う気持ちは私が思っているよりも大きくお変わりしたようで、私への待遇はそれまでのものとは違った。
そして、とある日に
突然、家臣の方にこう言われたのだ、
今いる部屋から出なさい、と。