▼ ___13話、あの雉も鳴かずば射たれまい





「あれ? 名前ちゃん?……と侍女の千代ちゃん、こんにちは」

「こんにちは、甚内様」



いつものように部屋を抜け出して鍛錬場を遠くから見つめていると、私の姿に気が付いた甚内様がわざわざ話しかけてくれた。この場所は鍛錬場から少し距離があったはずなのに、すぐに私を見つけた甚内様は視力がとても良いらしい。





「どうしたんだい? 君が此処に来るなんて……というか、君は久秀に鍛錬場の立ち入りを禁じられていなかった?」

「遠くから見るなら、鍛錬場に行っても良いとお許しが出たのです」

「え! あの久秀が許した? 一体何と言ってお願いしたんだ、だって久秀は君の事をとても心配していただろう」

「ええ……」


久秀様は私が鍛錬場に見学に行き、怪我をしてしまわないかを心配をしてくれた。

その日以来、此処に来る事はなかったが、先日「お部屋に一人は退屈です、また鍛錬場を眺めていたいです」と呟いてみると、なんと久秀様は侍女を共にし、遠くから見るのならば良いと言って下さった。




「条件はありますが、久秀様から許可は頂いています。此処からですが、もうしばらく見ていても良いですか?」

「構わないよ、休憩になったら兵達に名前ちゃんが来ている事を伝えよう、兵達と話すのは許されているのかな?」

「大丈夫かと……」

「駄目です」


千代が私の言葉を否定してそう言った。千代はキリッとした表情で私の方を見た。




「駄目なの?」

「名前様、鍛錬場というのは男が多くおります、久秀もきっとそれを懸念して、名前様が鍛錬場に行く事を許して頂けなかったのではないでしょうか? どうかお立場をお考え下さい、お許しが頂けたのは此処で見る事のみです、男と談笑する為ではありません」

「男の方と話をしてはいけないの?」

「いけません、久秀様の機嫌を損ねかねません」

「久秀様の機嫌を? どうして? 私が誰と話そうが、久秀様は興味などないでしょう」

「そんなことはありませんよ。自分の妻が男だらけの場所に行くのを、嫌がらない夫などおりましょうか」

「鍛錬場に行くなと言ったのは、怪我をしないように、というだけではなかったの?」

「名前様、殿のお気持ちをお察し下さい」


千代がそう言うと、名前は照れているのか、着物の袖で顔の半分を隠した。そして「久秀様が機嫌を……」と小さく呟いていた。






「久秀は名前ちゃんの事を大事にしているようだね、確かに奥が男所帯の場に行けば心配にもなるだろう、まして名前ちゃんのような綺麗な人がいれば男の目線をたちまちに奪ってしまう」

「そんな事は」

「いいえ名前様、どうか松永様の為に今後一切は男性と仲良くしないお願い致します」

「今後一切?」

「はい、殿以外と仲良くする必要はありません」

「……分かりました」




千代にキツく言われてしまい、久秀様の為にと言われてしまえば、それはもう頷くしか出来なかった。

しかし、久秀様が気にするとは思えないのだ。あの方の目に私が写っているとは思えない、私も数人いる側室の中の一人としてしか見ていないだろう、私が久秀様以外の男性と話をしたところでどうなるというのか、久秀様が妬いて下さるというのならばそれほど嬉しい事はない。





「ところで千代ちゃん、僕は名前ちゃんと話しているけど、久秀に怒られないのかな?」

「とんでもないです、甚内様は松永家の者であり、名のある武将。それに甚内様には奥方様がいらっしゃるではありませんか」

「なるほど、僕は久秀公認なのか。久秀に怒られないようで安心したよ」

「しかし他の方は駄目です。名前様は松永様のものです、気軽に話せる方ではないのですから」

「でも千代、此処で鍛錬をしている方達はこの松永の為に頑張っているのでしょう? それなのに声をかけてはいけないなんて」

「それは……」

「確かに名前ちゃんの言う通りだね、それに兵達はもう名前ちゃんに懐いているんだ、名前ちゃんの優しさはとても良いと思うよ、その気持ちだけは失って欲しくない」



甚内様にも言われ、千代は「ぐぐぐ……」と唸っていたが、千代の想いは変わる事はなく、「松永様の為です、名前様はどうか松永様だけを見てあげて下さい」と言い放った。





「千代、私がお慕いしているのは久秀様だけですよ」

「それでも、どうかご辛抱下さい」

「……分かったわ」




千代の言う通りにするしかなく、再び鍛錬場の方へと目を向けた。丁度良く休憩になったらしく、兵達は甚内様から教えて貰ったのか遠くで私に向かって手を大きく振ってくれた。

話が出来ないというのはとても寂しいけれど、こうやって手を振ってくれるだけでも嬉しかった。


しかし遠くにいる兵の中から、こちらに向かってくる男性の姿があった。私と話してはいけないと甚内様から言われているはず、なのにどうして彼はこちらに向かってくるのか、


こちらに来る彼の顔を見た瞬間に、「あ」と声が溢れてしまった。






「名前っ!!」

「勘助……?」

「やっぱり名前だ、久しぶり! しばらく見ないうちにまた美人になったな!」


私の前に現れたのは、同じ鉢屋衆である勘助だった。彼とは幼い頃からよく一緒にいて、幼馴染という関係である。

私がこの城に来てからは一度も会っていないので、久しぶりに会った勘助を見て、つい頬が緩んでしまう。




「城はどうだ? ていうかお前痩せた? ちゃんといっぱい飯を食えよ? つーか名前が作った飯がもう食えなくなったから、いつもの飯じゃ物足りないというか、いやでも元気そうで安心した!」

「勘助……」


「駄目です、名前様」


千代は私の前に来て、勘助からは見えないように立ち塞がった。突然の行動に勘助は「あ?」と、機嫌を悪そうにしていた。




「おい千代、何のつもりだ。俺と名前が話してんだ、邪魔するな」

「何のつもりか、はこっちの台詞よ勘助。あなたの目の前にいるのは、もう鉢屋衆にいた頃の名前ではないの、気軽に話しかけてこないで頂戴」

「んだとっ! 何でお前にそんな事を言われなくちゃいけねえんだ! 別に話すくらいいいだろ!」

「だから! 駄目だから言ってるのよ、鉢屋衆の名前は、今では名前様と呼ばれ、松永弾正久秀様の側室。もうあなたの幼馴染の名前とは違うのよ、仲良しこよしだったあの頃とは全く違う、それくらい勘助も分かる事でしょ」

「んな事、お前に言われなくても知ってる、けど名前は名前だ、身分や立場が変わろうとも名前には変わりねえだろうが! 変わったのはむしろお前だろ千代!」

「何を言っているの? 私達は変わろうとしないと駄目なの、勘助には分からないの? 此処は鉢屋衆とは違う、毎日走り回っていた里じゃない、此処は松永様の居城よ、勘助が名前様に話しかけてるところを松永様に見られでもしたら」

「見られたから何だって言うんだよ」

「勘助……あなた」





千代と勘助は睨み合っていた。

そんな二人を見て、私がどうしようと困っていると「名前ちゃん」と甚内様が声をかけて来てくれた、しかし甚内様は千代と勘助と言い合いを止めるわけではなく、私の手を引いて鍛錬場から遠くへと連れ出した。

その場を離れる時に千代が甚内様に「ありがとうございます」と言っていた。甚内様は困ったような表情で、私を二人から遠ざけた。勘助は「おい、名前!」と私を呼んでいたが、何も答えずに私と甚内様は城の中へと進んで行き、彼らからは見えなくなった。久しぶりに会った勘助ともう少し話をしたかったが、そうもいかないようだ。







「……おい千代、お前どういうつもりだ、名前とせっかく会えたっていうのに、どうして俺達を引き離そうとするんだ!」

「いい加減に理解して、勘助。あなたはそんなに馬鹿じゃないはずよ、現実を見て、ここはもう里とは違うの」

「何をだ! 現実なんて何も変わらねえ! どうしちまったんだ!? お前変わっちまったんじゃねえのか!」

「あなたが変わってないからよ」

「意味が分かんねーよ!」

「勘助、あなたは名前の事が好きでしょう?」

「!」

「昔からずっと、あなたは名前の事が好きだった。いつから好きだったのかは知らないけれど、名前に恋い焦がれていたんでしょう?」


千代は勘助とは違い、落ち着いた声色でそう言った。名前に恋い焦がれていると言われた勘助は驚いた表情をしていたが、すぐに「そうだ」と答えた。




「俺は名前が好きだ」

「勘助……」

「小さい時から俺達は一緒に居たんだ、だんだんと綺麗になっていく名前を近くで見ていたんだ、好きになるに決まってるだろ」

「大好きな名前が松永家から声がかかり、名前が嫁に行くと決まったのを必死で止めてたのは、あなただけだったものね」

「縁談なんて、断れば良かったんだ。なのに頭領も、兄さんも、千代も、なんで誰も名前を止めなかったんだ! なんで名前が嫁に行かないといけなかったんだ! 名前は嫁入りなんて望んでいなかったはずだ! 」

「名前の覚悟を、そんな風に言わないで頂戴。名前が松永となる事で鉢屋衆はこれからも存続する。名前は鉢屋衆の為に、みんなの為に決めた事なの、それに……あの状態の鉢屋衆が、縁談を断るなんて出来るはずないでしょう」

「だからって……好きでもない奴のところに嫁ぐなんて、おかしいだろ! 俺だったら、名前を幸せにしてやれるんだ、誰よりも、名前を愛しているんだ!」

「やめて勘助!」

「何がだ! 名前を好きだと言って何が悪い!」






勘助は叫ぶように千代に言った。



千代の表情は焦っているようで、勘助に「もうそれ以上言わないで!」と必死に勘助の口を閉じさせようとしていた。しかし身長差がある為か、勘助は千代を突き飛ばして倒れた千代を見下ろしていた。







「名前を想う気持ちだけは、どんな時でも忘れたりはしねえ、俺は昔からずっと名前が好きだ! 誰よりも好きなんだ!」

「お願いだから、もうそれ以上は言わないで、もし誰かに聞かれたら、もし松永様の耳に入ってしまったら……あなたは」

「例え、名前が遠い存在になったとしても、例え俺と夫婦になれなくても、俺は名前をこれからもずっと愛し続ける、応えてくれなくてもいい、けどいつかはこの想いを名前に伝えたいんだ」

「駄目、駄目なの、お願い勘助、名前を好きだと言わないで、名前はもう松永様のものなの、この話を松永様に知られたら……あなたは殺される」

「ふん、「松永様」ね。遠くから姿を見た事はあるが、あんな男じゃ名前を幸せになんか出来やしない、だってそうだろう? 噂じゃ宝ばかりに目を向けて己の女には目を向けないって話じゃないか。ああでも側室がたくさんいるんだっけ? 名前以外にも側室がいるだなんて、とんだ女好きだな。けどあんなにも綺麗な名前を見ようとしないなんて、同じ男としてどうかと思うぜ。宝を集めているって言ってもあれじゃあ見る目が無いな」

「……。」

「何だ千代、言いたい事があるなら言ってみろ、ったく、やっと名前と会えたっていうのに邪魔しやがって」


勘助は、しゃがみ込んでいる千代を見た後、再び鍛錬場の方へと戻って行った。その場に残された千代は、ただただ青ざめていた。






何故なら、城主である松永久秀様が



こちらを見ていたからだ。















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