▼ ___11話、向き合う覚悟は出来ていますか?
薄暗い部屋の中、布が掠れる僅かな音でふと目を覚ました。いつの間にか、私は眠ってしまったらしい。瞑っていた目を擦り、眠気を払っていく。
今は、何刻くらいだろうか。
眠気が冷めて、少しずつ目の前の視界がはっきりとしてきた。薄暗いが、暗さに目がようやく慣れて来たようだった。
ああ、目の前にあるのは何だろうか。
「起きたのかね」
「……。」
薄暗い中で、ようやく視界に入って来たのはこの戦国の世で梟雄と呼ばれる男だった。一人きりの部屋で、いつも会いたいと願っていたあのお方、彼は私と同じように寝衣を身に付け、隣で横になっていた。しかし起きていたようで、目を覚ました私の顔を覗き込んできた。
「……。」
「ん? 聞こえているんだろう?」
「……。」
私は無言のまま、目の前にある胸にゆっくりと飛び込んだ。突然の私の行動に、嫌がる様子のない彼の喉元に顔をすり寄せ、その暖かな存在を確かめるように、動く鼓動を確かめるように、身を寄せた。
「……寝惚けているのかね」
「寝惚けてはいません」
「では、甘えているのか」
「そうです」
「正直な女だ、しかし、恥じらいがないのか」
「貴方様に全てさらけ出した後で、恥じらいなどもうどこにも」
「そうか、それは残念だ。苦渋の表情や恥じ入る表情を見るのが好きなのだが見る事が出来ないと……しかし君には少々無理をさせてしまったか、体は大丈夫かね?」
昨晩は乱れに乱れて、激しく愛されて、耳元ではたくさんの甘事を囁かれ、身を何度も何度も喰われた。しかし何故か腕を噛まれてしまい、右腕には痛々しく噛み跡が残っていた。人に噛まれたのは初めてだ。
「……大丈夫です、が」
「どうした」
「久秀様、どうして腕を噛むのですか?」
「どうしてと聞かれてもな、私はどうやら君の体に跡を残したかったらしい、それともただ、噛みたい気分だっただけなのか」
「跡、ですか」
「君は私の所有物だという証だ、君はその噛み跡を見て今宵の情事を思い出すのではないかね?」
「……。」
確かにこの跡を見ると昨晩を思い出してしまう、恥じらいなどないと思っていたが、抱かれたという跡が残っているだけで、こんなにも心を熱くさせるとは。
この気持ちを何も言葉に出来ず、顔を久秀様の胸に顔をうずめて誤魔化した。それに対して何も言わずに、ゆっくりと私の頭を撫でて下さる久秀様に優しさを感じた。
「名前、欲しいものはあるかね」
「欲しいもの?」
「私は君に何かを与えたい」
「……。」
「無いのかね」
「二の丸から、桜の木が見えるんです」
「桜?」
「今はまだ蕾ですが、日が過ぎればもう間も無く、花が咲くでしょう」
「花を愛でたいのか?」
「ええ、久秀様と共に」
「……左様か」
ならば共に花見に興じるとするか、と久秀様は私に聞こえるように呟いてくれた。「はい」と答えると、再び眠気がやって来て、私はそのまま夢裡の中へと沈んでいった。この幸せが、いつまでも続きますようにと願いながら。
「名前様、あの、その!」
「落ち着きなさい千代」
「ゆ、雪路様が、処刑されたというのは本当なのですか?」
部屋に入って来た千代は、お茶と菓子を机の上に置きながらそう聞いてきた。突然、千代からそんな事を聞かれるとは思っていなかったので少々驚いた。
「どこでその話を」
「女中さん達が話していました、あの、まさか本当なのですか? 本当に雪路様は」
「本当、よ」
「そんな事って……最近は雪路様の姿が見えないとずっと思っていましたが、まさか処刑されていたなんて……雪路様は松永様の正室に一番近い方だと思っていたのですが、どうして殺されてしまったのでしょう」
「……。」
どうやら千代は雪路様が処刑された理由を知らないらしい、雪路様のを死体片付けた者がいるのだから、処刑理由は皆知っているものだと思っていた。
「千代、久秀様のなさる事に疑問を持ってはいけませんよ」
「名前様」
「ん?」
「最近は、松永様からよく名前様にお誘いがありますよね、それはとても良い事だとは思うのですが……私が知る限りでは、松永様がご自分の側室を殺したのはこれで二度目になります、ですので、その」
「私もいつか殺されるかもしれないと?」
「……そうは思いたくはないのですが、私は心配です。名前様が松永様に呼ばれる度に、私は心配になるんです、名前様は此処にまた帰って来てくれるのか、不安で」
私は名前様に、生きていて欲しいのです。と、千代は不安そうな表情で言った。
無理もない、もう二人も側室が殺されているのだ、心配にもなるだろう。理由はそれぞれ違っているが、二人を殺したのは久秀様だ。それだけは確かなのだから。
「私もいつかは……久秀の機嫌を損ねて殺されてしまうかもしれないわね。でもね千代、聞いて欲しいの」
「何を、ですか」
「久秀様ね、私の頬を引っ掻いた犯人が雪路様だと知ってしまったの。だから雪路様を斬ったのよ」
「なっ……」
「私の目の前で、雪路様は血を流して倒れた、気付いた時にはもう死んでいたわ」
「待って下さい……それが理由で松永様は雪路様を殺したのですか? いえ、頬引っ掻いた雪路様は酷い人だと思います、ですがそれが人を殺す理由になるなんて」
「殺す程の事だったのかは私も疑問が残るけれど、久秀様にとっては大罪だったようなの」
「そんなの……まるで」
「確かに人を殺めるのは良くない事よ、戦人が死ぬ世の中だけど、誰だって人が死ぬ所なんて見たくはないもの、でもね千代、久秀様は私の頬に傷をつけたから雪路様を斬ったの、だから、私が居なければ雪路様は斬られずに、いえ……殺される事なんてなかったんじゃないかしら」
「違いますっ、きっと松永様は名前様に傷を付けたから雪路様に対して怒ったんですよ! 名前様は何も悪くありません、だから、私が居なければ……なんて思わないで下さい」
「千代……」
「きっと松永様の御心は名前様に向いております、私はそう信じたいのです」
七人いた側室も、今は三人となり、名前様だって松永様の正室に近くなったのです、だからご自分の立場を誇り、どうか背筋を真っ直ぐに、前を向いて下さい。
千代の言葉は私の中に響いた。
久秀様のおそばに、一番近い存在になりたいのは確かだが、自分のせいで他の側室が殺されるなら、私は潔くこの座を降りようと思った。しかし千代は言った、気にしなくていい、と。前を向いて下さいと。
「名前様、私は思うのです。名前様は優し過ぎるのです、雪路様が亡くなったのは名前様のせいではありません、自分を咎めないで下さい。名前様はとても心優しい方です、けど時には非情におなり下さい」
「非情に、など」
「雪路様への詫びなど必要ありません、先を生きる者として、どうかお忘れ下さい。名前様は松永久秀様の隣に居る存在となるのです、ただその未来だけを見つめて下さい」
「……どうやら私は、覚悟が足りなかったみたいですね」
千代の言う通りだ、久秀様に一番近い存在を夢見ている場合ではない、全てを断ち切り、夢ではなく現実のものとする為に、時には非情にならなくてはならない。側室として私が此処にいる理由をしっかりとしなくては、まずは久秀様に私の存在を認めてもらい、久秀様の心を頂かなければならない。
「あの方の心を……とても難しいわね」
「ですが、名前様はそうするべきです」
「そうね……」
非情になれず、優し過ぎて、この戦国乱世の時代に似つかわしくない私が、久秀様の心を奪う事など出来るのだろうか。人が殺され、自分を責めるだけの私に、そんな事が出来るのか。
出来るとか、出来ないとか、もうそんな風に考えている場合ではない。
私はやらなくてはならないのだ。この時代で生きていく為に、この時代に向き合わなくてはならない。武士の娘として、武将の妻になる者として、名を恥じる事にないように、全てを捨て、全てを背負う覚悟がなくては未来など見えない。過去をばかり気にしていけはいけない。
聡明さと、器量の良さ、どんな困難があっても、屈強な者は相手でもひるまないように。
「千代」
「はい」
「私は、久秀様の良き妻となれるように、今よりも精進を致します」
「はい! 千代も是非お手伝い致します! 何でもお申し付け下さい!」