▼ ___9話、力を持つ者と、持たざる者とは










何がきっかけかは分からないが、


最近の私はよく久秀様のおそばにいる事が多い。静かな部屋で寂しさを紛らわせていた退屈な毎日、久秀様に会いたいとただ願っていた私だったが、今では隣を見れば久秀様がいる。日常というのはこんなにも簡単に変わっていくものなのだろうか。






「どうしたのかね?」

「いえ……」


様子のおかしい私を、久秀様は気にかけて下さった。貴方のおそばにいられる事が夢心地のようです、とは流石に言えない。

久秀様が他でもない、ただ私だけをその眼に映して下さるなんて夢のようではないですか。





「君の顔に傷が残らなくて良かった」

「ありがとうございます」


私の頬の傷はなんとか残らずに済んだ。久秀様に謎の薬を頬に塗りたくられたのが効いたのかもしれない。

久秀様は傷が消え去った私の頬を撫でていた。私に触れるこの手は、今は私だけの為にある。それだけで幸せだと感じてしまう。



どうか私を必要として下さい。




「時に、名前。君は鉢屋衆の娘と聞いているが、君も刀を振るうのかね」

「……身を守る程度ですが、この乱世ならばこの手で刀を握る事も御座いましょう」

「そうか、だが例え時代がそうであろうと、私は君のこの手に刀を持たせる事はしない」


久秀様は私の右手を取り、握った。




「しかし、世は、どの国も天下を取らんと動いております。なれば女であれ、刃を持つべきでは」

「私は同じ事を言うのは嫌いでね、そして物分かりの悪い女も嫌いだ」

「……。」

「ならばどうするべきか分かるだろう?」

「……はい」

「安心したまえ、君の安全は私が保障しよう。この乱世、君が心配するような事は何一つない、私は権力や世間の常識などは気にしない、皆の欲しがる天下などに私は興味がないのでね」

「天下を、望まないと?」

「私は私が欲しいものだけ手に入ればそれで良い、その為の力だ、君は座していれば良い」

「久秀様の欲しいものとは、一体何なのですか」

「宝だ」

「……。」


宝と言っても、様々ある。家族や民など、人を宝とする者もいれば、数多くある素晴らしき一級品の品々。久秀様の言う宝とは、どういったものの事をいうのだろうか。




「欲しいものは多くある、だが……」


久秀様がそう言葉を零した時、部屋の外から足音が聞こえた。こちらに向かっているようで、それに気付いた久秀様は私の手を離し、襖の向こうへと視線を向けた。

何かあったのだろうか?




「松永様! 松永様はいらっしゃいますか!?」

「何かね」

「失礼致します! ……あれ、名前ちゃん?」


襖を開け、部屋の中に入って来た松永軍の兵士は、松永久秀と共にいる名前の姿を見て驚いていた。




「太一郎さん?」

「え? 何で名前ちゃんが此処に?」


久秀様の元に来たのは、鍛錬場で知り合いになった兵士の太一郎さんだった。久しく鍛錬場には行けていないが、太一郎さんともいつもよく話をした。




「……何事かね?」


久秀様は私の姿を隠すように立ち、兵へと用件を尋ねた。太一郎さんはハッとし、久秀様の方へと再び向き直した。




「敵襲です! 何者かが城外にて松永軍の兵に攻撃を、既に何名かが倒され、今現在も派手に暴れております! 」

「ほう、この地を奪おうとする者か」

「今は鉢屋衆の特攻隊長、鉢屋兄が対峙しておりますが、このままでは兄殿も!」

「兄上が……!」


鉢屋兄とは兄の名だ。太一郎さんが言うには兄が松永軍の兵と共に、襲って来た敵と戦っているらしい。兄は鉢屋衆の中でも強い、しかし相手の力量は相当なものらしく、兄が怪我をしていないか不安になった。





「松永様、どうかご加勢を!」

「全く、挨拶もなしに来るとは、礼を知らぬ者がいたものだな」

「久秀様」

「君は此処に居たまえ、なに、すぐに戻って来よう」

「私も共に」


そう口を開いたと同時に、私の首元に刀が添えられていた。光る刃は、動けば私の肌など簡単に斬れてしまうだろう。しかし一体いつ刀を抜いたのか、久秀様は私を見下ろしていた。




「言いつけは守りたまえ、君の為だ」

「鉢屋兄は私の実の兄、その身を案じてはならぬのですか」

「ほう、この状態でも私に物を言うとは、君のその口はどうすれば閉じるのか、是非教えて頂きたいものだ。私は君を殺したくはない、大人しく此処にいたまえ」

「……。」


久秀様は刀を私の首から下げ納刀し、兵と共に部屋を出て行った。姿が見えなくなり、私は息を大きく吐いた。


殺されるかと思った。


太刀筋がまるで見えなかった。久秀様が私を殺そうと思えばそれは容易な事だろう。私のこの首なんて一振りで済む、それか朝日様のように爆破させれば一瞬であの世行きだ。久秀様にはそれを可能にする、圧倒的な強さがある。恐ろしいと思うと同時に、その強さに心酔した。



















「全く、宝を愛でていたというのに」


松永久秀は城を降り、すぐに我が松永軍を相手に攻撃をしてきたという者の所へ向かった。そこに居たのは大男がたった一人、だが周りを見れば松永軍の兵の多くはその大男の強さにやられたのか倒れているようだった。その中でも特に怪我をしながらも必死に二本の足で立つ者がいた。





「(なるほど、名前の兄か)」


松永軍の兵とは違う装い、彼が鉢屋衆の者というのはすぐに分かった。どうやら彼がこの大男と対峙し、怪我を負いながらも他の兵を守っていてくれたらしい。


ふらつきながらも、眼は獣そのものだ。



なんとも勇ましい男だ。













「この程度かね」


松永を襲ったという大男の体は呆気なく地に落ちた。大男の手には短刀が刺さり、血が流れていた。





「ぐうっ……!」


痛みに苦しむ大男の声がその場に響き渡った。動けそうにはなく、ただ苦しそうに唸るばかりだ。




「大丈夫かね、鉢屋衆の若者よ」

「え……は、はい、ありがとうございます松永様! すみません、食い止めるので精一杯で」

「一人で松永の兵を守ったのだろう? 怪我を負いながらも……君は実に良き働きをした。よくやった」

「は、はい!」

「さて、この者をどうするか」



大男の手に刺さった短刀に足を乗せ、どうするべきかと考えた。このまま生かしておいてもいつまた襲ってくるか分かったものではない、ならば此処で最期を迎えさせるのが得策だろうか。松永を敵にした時点でもはや生きる価値などない。





「ふむ」

「ぐっ……」

「弱いというのは実に悲しい事だ、何も守れず、何も残らない、卿はこの程度で戦を仕掛けようとしたのかね? いやはや面白い事だ」

「弱さは……何も、守れず……」

「弱さは失うばかりだ、欲しいものがあるならば強くあるべきだ」

「……っ」

「さて、もういいだろう、罪を償いたまえ」


刀を抜き、大男の首を落とそうとした。






「おいテメェ! 秀吉を離せ!」


騒々しい声がし、何事か思えば、そこには大男の元に駆け寄る少年の姿があった。どうやらこの大男の知り合いらしい。





「ふっ」


大男の手に刺さったままだった短刀を抜き、地面に投げ落とした。短刀が抜かれた痛みに、大男はまたもがき苦しんでいた。



「ぐっ……!」

「秀吉っ!? テメェ……何すんだ!」

「ん? 何故怒る? 戦を仕掛けて来たのは君達だろう。理解しがたい、全く以って理解しがたい」

「戦? べ、別に、戦ってわけじゃ……俺達はただ、腕試しを!」

「慶次……に、げろ」

「秀吉!?」


少年二人の様子を、松永久秀はただ見下ろしていた。松永軍を襲っておきながらこれは戦ではないとするこの者達、しかし松永軍の兵を傷付けた事には変わりはない。




「何で秀吉にこんな事を、やり過ぎだろ!」

「手を出したのはそちらが先だ、見たまえ、うちの剣(つるぎ)はその大男にやられた。それでも尚、君はやり過ぎなどと喚くのか」

「そ、それはっ……!」

「若い君達はまだ知らないかもしれないが、力の無いものは何をされても仕方がない。それが世の真理。君は世の真理を味わったのだよ。そして君が相手にしたのは、そういう人間なのだよ」

「秀吉に何をする気だ!」

「戦には死がつきものだ、彼は今、身をもってそれを知ろうとしている」


松永軍の兵達は、刀を抜いて地に伏せる大男へと近付いてきた。




「なにを、ま、待ってくれ、秀吉を殺すっていうのか……? 頼む! 許してやってくれ! お願いだ! ただの腕試しのつもりだったんだ! 殺さないでくれ! 何でもするよっ、だから!」


大男の前に立ち塞ぐ少年は、松永軍の兵に殴られ、蹴られ、ばたりと地に倒れた。しかし何度も何度も「やめてくれ!」と叫んでいた。





「勘弁してくれ! 助けてやってくれ! 俺の、友達なんだ!」


殴られ、いくら倒れてようとも、ふらふらと立ち上がり、少年は大男を庇うように兵達の前に再び立った。






「俺達が悪かった! もう腕試しなんてしない! 此処にはもう来ない、だから!」

「私は、君ら世を知らぬ子供に対して、大人の務めを果たすだけだ」


松永久秀はゆっくりと地に倒れた大男と、その大男を庇う少年に近付いた。













「久秀様」


この場に似つかわしくない高い声に、松永久秀の足はぴたりと止まった。そしてその場いた全員が声がした方向を見ると、そこには女性が一人いた。





「……名前」

「大人の務めと仰るのならば、それはもう済んだでしょう」

「何故君が此処にいるのか、君には私の言いつけを理解する頭が無いのかね? 羽織りも着ずにその身で何故来たのか、ではまずは言い訳から聞こうか、さぁ述べたまえ、私を納得させる言い分を聞こう」

「兄上が心配で来ました。それだけです」


そう言うと松永軍の兵の中にいたらしい兄が「名前……」と何故か涙ぐんでいた。




「私はただ、怪我をした兄を心配する妹です。言い訳はしませんし、そんなものもありません」

「それだけかね?」

「……。」

「君が言いたいのはそれだけか? 兄を心配? それだけの理由でこの場に来たというのかね、君は死に急いでいるのか、それともただの馬鹿なのか」

「!」


喋りながら私の方に歩み寄って来たかと思えば、久秀様は私の首を掴み、高く持ち上げた。突然、足が浮いて地面につかず、ばたばたと動かした。





「……かはっ」

「苦しいかね、痛いかね、死に近付く気分はどうだ?」

「っ!」

「お、おいアンタ何やってんだ! 女の子相手にっ、やめてやってくれ!」

「これはこちらの問題だ。口出しをしないでくれないか」


少年にそう言い、松永久秀は持ち上げた名前の首から手を離した。するとそのまま地面にどさっと落ちていった。そして呼吸が苦しいのか、座り込み咽せている名前を松永久秀はただ見下ろしていた。




「まぁいい、子供の相手も疲れる。少年よ、この者に感謝をしたまえ、この者のせいで私は気分を害した。子供の相手をする気分では無くなったのだよ、ではさようなら」


そう言って、松永久秀は来た道を戻って行った。松永軍の兵士の数人と鉢屋衆の鉢屋兄は、すぐに地面に座りこむ名前の元へ駆け寄った。




「名前っ、大丈夫か!」

「あ、兄上、お怪我は大丈夫ですか?」

「はぁ? 馬鹿か! 私の事より自分大事にしろ! 痛くはないか? 苦しくはないか?」

「名前ちゃん大丈夫か!」

「名前ちゃん、何でこんな危険な場所に来たんだ!」

「すみません……どうしても、兄上が心配になってしまって」


久秀様に怒られるだろうなとは思っていましたが、まさか首を絞め上げられるとは思いませんでした。




「お前、松永様に此処に来るなと言われていたのに来たんだろう、だから松永様はあんなにも怒ったんだ」

「やはり、怒らせてしまいましたね……けど命があって良かったです」


もしかしたら殺されていたかもしれませんね、言いつけをまた聞かなかったんですもの、ひょっとしたら愛想を尽かされてしまったかも、もう私をお誘いしてくれないでしょうね。





「なぁアンタ」

「はい?」


声がした方を向くと、

少年が私の方を見ていた。





「何で、見ず知らずの俺達を助けてくれたんだ。何で、あの男を止めてくれたんだ? 俺は……もう駄目かと思ったんだが」

「戦ならともかく、これはただの子供の悪戯でしょう?」

「子供の……悪戯?」

「けど、あの方は例え子供の悪戯でも死人を出しかねないお方なのです、貴方達はここで死んでいたかもしれません」

「かもしれねぇ、秀吉も俺もあの男に殺されて……あの野郎、明らかにやばい雰囲気だったからな、そうなっていたかもしれねえ」

「腕試しとはいえ、貴方達が松永軍に手を出した事は許される事ではありません、けど、もう報いは済んだでしょう? お説教はもう済んだでしょう?」

「説教って……随分と俺を子供扱いすんだねアンタ」

「これが戦なら止めはしませんよ。けれど、今回は相手が悪かったようです。どうかこれからはこの松永に喧嘩を売らない方がよろしいかと、せっかく残った命です、何の為に使うのかよく考えて生きて下さい」

「ああ……ありがとな、えっと、確かアンタの名前は名前だっけ? 助けてくれありがとう。秀吉を、友達を、失わずに済んだ」

「いえ、私の名前は覚えなくても結構です、貴方達は久秀様の気分が変わらないうちに早く此処から立ち去って下さい。それとも松永軍を敵に回しますか?」

「い、いいや! 帰るさ! けど本当に悪かった! この恩は絶対に忘れねぇ、本当にありがとう!」


少年は友達だという大男に肩を貸して、ゆっくりと歩き出した。そして松永の兵が見えなくなり、なんとか逃げ出して近くの林で腰を下ろした。











二人は随分とたくさん歩いた。

しかし此処はまだあの男の領地かもしれない、早く帰ろうと先へ先へと進んだ。





「ふー、此処まで来れば大丈夫だろう! しっかし、やけに聡明で器量の良い子だったな、まつ姉ちゃんみたいだ!」

「……。」

「おーい、秀吉? 生きてるか? 腕試しも相手を選ばねぇとな! あれじゃ洒落になんねぇよ! 早く此処から離れようぜ!」

「……。」

「秀吉?」

「……力、持つ者と持たざる者、俺は、何と無力な存在だ」

「え?」


秀吉はゆっくりと立ち上がった。




「無力は罪、力なき者は、何も掴めぬ、俺は力を手に入れる!」

「お、おい、どうしたんだよ秀吉?」



拳をジッと見つめ、秀吉はただ怒りに体を震わせていた。そのただならぬ様子に、慶次は慌てていた。




「力が無いばかりに、何をされても、殺されていてもおかしくはなかった。この拳に尊大していたが故に俺は負けた。あまつさえ女に救われ、諌められてしまった」

「あ、相手が悪かっただけだって!」

「……。」




必死に秀吉を説得しようとしたが、秀吉は己の拳ばかりを見つめていた。



その時、草むらから物音がし、何かと向けばそこには僧侶が数人、武器を手にこちらを睨んでいた。



「拙僧らは本願寺の者なり!」

「もはや忘れたとは言わせんぞ小僧共!」

「顕如様は笑って許されたが、お前達にやられたままでは気が済まん! 腹の虫がおさまらん!」

「ゲッ、この前の本願寺の奴らだ、まーだ腕試しで倒した事を根に持ってんのか、ごめんよ本願寺の僧兵さん達! この間は調子乗り過ぎちゃって、何なら今から顕如さんの所に行って……」

「……。」

「秀吉? 何を……おい、秀吉!」



秀吉は僧兵達の方を睨み付けると、ゆっくりと近付いて行った。



「おい! 秀吉、何を!」

「力、力がいる、力を手にしなくては!」

「やめろ秀吉!」





慶次が秀吉を止めに入ったが、怒りに暴れ散らしている秀吉を止める事は出来ず、そこには無残にも死体が転がっていた。






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