大阪城、
夜も深く更け、城の執務室では
大谷様の筆の音だけが響いていた。
「……。」
着物ではなく黒装束を身に纏い、面をつけた私は部屋の隅に身を置き、無言で大谷様の背中を見つめていた。
「……。」
「……。」
ひたすら筆の音を聞くというのはとてもむずむずします。なんというか……何か指示の一つでもして頂けたらと思うのですが。
「……あの、大谷様」
「……。」
「(あらまぁ、無視ですか)」
この静かな部屋で私の声が届いていないという事はまずあり得ないのですが。お仕事中ですし、あまり話しかけない方がいいでしょう。
大人しく黙っていると、
カタッと大谷様は筆を置いた。
お仕事が終わったのでしょうか?
「大谷様?」
「そろそろ客が来ようか」
「……客、に御座いますか」
「はてさて、何用か」
「……。」
大谷様が言う客というのは一体誰の事でしょう。聞こうとしたが、大谷様はそれっきり口を開く事はなかった。
こんな夜更けに……客とは、
敵国の間者でなければ良いのですが。
敵ならば、私がお守り致します。
「……来たか」
「……!」
ガタッと音がしたかと思えば、
天井から黒い影が二つ降りてきた。
影かと思ったそれは人のようで、その装いは他国の忍びの姿だった。もしや大谷様を狙う間者かと思い咄嗟に持っていた小太刀を構えたが、
「娘、手を出すな」
「はい」
こちらを振り向かずに大谷様は机に向かったまま私にそう言った。言われた通りに直ぐ小太刀を腰元の鞘に戻した。
しかし相手は敵かもしれない。
油断せずに部屋に降りてきた二人を見た
「どーも、夜遅くにお邪魔するよ」
「武田の猿(ましら)か、待っていたぞ」
「あらら、やっぱりアンタには何でもお見通しだったわけね、しっかりと俺様達の身分がバレちゃってるし」
「おい、疑われてるんじゃないかッ」
ボディスーツのような忍服を着ている忍びは、背後で動かずに部屋の隅でこっちを伺っている黒装束の殺気に怯んでいた。
「……。」
「ん?あれ、この闇は……なんで此処に?ああそっか…うん」
「知り合いか?」
「大丈夫だってかすが、俺らは大谷さんと話をしに来ただけだし、大谷さんに手を出す気ないし、そいつは俺達が変な気を起こさない限り動く事はない」
「……本当なのか?」
疑いながらチラリと後ろを見ると、黒装束の者はやはりこちらを伺うのみで攻撃をしてくる気配はなかった。
しかしそれはこちらが手を出さないからであり、目の前の大谷に手を出せばすぐに牙を向けてくるだろう。
「厄介な番犬付きか……」
「かすが、そいつと戦うのはあんまりお勧めしないよ」
「言われなくても分かっている。誰がこんな不気味な面の奴と戦いたがるか、無駄な争いは避けるに決まってるだろ」
「その方がいい」
突如、部屋に現れた忍び二人はひそひそと話をしているようだった。
「(この人達は一体……?何故佐助さんが大阪城に?徳川と戦う為に同盟を早めに組む根端でしょうか?)」
確かに徳川が率いる東の連合軍が整いつつある今、西軍に武田が加われば大きな戦力になるでしょう。
「(大谷様が言っていた客というのは武田の忍び・佐助さんの事だったのでしょうか)」
客ならば、手を出してはいけない。
大谷様の前で勝手に動く事も出来ない。
「で、おたくさんも俺を待ってたって事は、そっちも武田と同盟を結びたいって事でいいのかな?」
「床に伏せた虎を養う余裕はありはせぬが、軍門に下るならば考えてやらぬ事もない」
「あーらら、やっぱり疑ってんの?まぁこのご時世だし仕方ないか、でも武田を舐めてもらっちゃあ困るぜ」
「われは心配性でなァ、ひとつ遊んで試すとしよう」
「え?試すって何を……?」
「三成!徳川の間者が忍び込んでおる!」「(大谷様……?)」
大谷様は城内にいるであろう三成様に聞こえるように大きな声で言った。どうやら武田の忍び達を試すようです。
「うわっ、きったねぇ!凶王を呼ぶとか大谷さん鬼でしょアンタ!」
「はてなんの事か」
「凶王と落ち着いて同盟の話し合いが出来るわけないからわざわざアンタを探してきたっていうのに!」
「無事かァ、刑部ゥ!」「来ちゃったしッ!!」
「……!」
三成様が部屋の襖を叩っ斬って現れた。それにしても来るの早くないですか三成様……。
というか、
ああ、部屋の襖が無惨な姿に……。
直す手配をするのは私なんですよ!
「……ッ」
面をつけたままの私は、ジッと大谷様の方を睨むと、大谷様は何故か私から目を逸らした。何も聞くなと言う事なのかそれとも自分は関係ないと言いたいのか。
「三成、間者はここに」
「貴様等は家康の忍びかッ!」
三成様は大谷様に言われるまま全て信じて、大阪城に現れた二人の忍びを徳川の間者だと勘違いし、武田の忍び達に向かってひたすら刀を振り回していた。
「貴様ら此処に何しに来たァ!!刑部に手を出す者はこの私が斬ってやる!」
「ええ!?ちょ、待てって!」
「ここはお前の仕事だぞ猿飛ッ!お前がなんとかしろっ!!」
「ですよねッ!」
佐助さんは三成様の刀を避けながら、
私の方をチラリと見た、
「……。(無視)」
「やっぱりアンタは助けてはくれないんだねッ!葵ッ!」
ええ、勿論。
助けを求めてきた佐助さんを無視して、どさくさで三成様の刀に斬られたくないので、「愉快、愉快」と笑っている大谷様の側に近寄った。
三成様は相変わらず間者だと思い、忍び二人に刀を振り回している。佐助さんは部屋から外へ逃げるように飛び降りて、三成様はそれを追った。
いつの間にか一体どこから現れたのか長曾我部様も騒動に加わっており、もう一人のくノ一と対峙していた。
「あら、あれは……長曾我部様までいつの間に此方に?」
「良き時に来よったわ」
「良いんですか?お二人共カン違いなさっていますが」
「これ如き、彼奴らには問題なかろう」
大谷様と私は、執務室から騒動が起こっている外を一緒に見下ろしていた。
なぜか途中参戦の長曾我部様も武田の忍びを徳川の間者だと思っているようで、武器である碇を振り回し、辺りを破壊していった。
「……あ!」
また屋敷の一部が壊れました……。
ああもう!
これでは城が壊れてしまいます!
「ヒヒッ、よき余興よなァ」
「……遊んでますね、大谷様」
私としては壊れた箇所を見て、
ため息を吐くばかりに御座います。
「はぁ、明日は城内の修理で忙しくなりそうですね……どこから手配致しましょうか」
「手配はぬしに任せる」
「……はい」
仕方ない……。
明日は修理の手配をしなければ。
「そこまでだッ!」
「大谷さんの首を取られたくなければそこを動かないでくれる?」
「ヒヒッ、」
「……。」
いつの間にか、外で戦っていたはずの佐助さんとくノ一が大谷様の首元に刃を当てていた。
その瞬間、
私の中の黒い闇がざわっと動いた。
「おいテメェら、姑息な真似してくれんじゃねぇか!こんな夜更けに敵襲とは下衆な野郎共め!」
「貴様等ッ!何が目的だ!家康の忍びめ滅びろッ!さっさと刑部から身を引けえええぇぇッ!」
「ちょっともういい加減にしてよ!残念ながら俺たちは徳川の忍びじゃないよ凶王さん!ほら大谷さんも早く何か言ってやってよ!」
「ヒヒッ、三成よ、こやつらは武田の猿よ」
「なに!?」
「ほんっともう、大谷さんの猿芝居には困ったもんだよ、今夜の本当の猿はアンタだったって事だね大谷さん」
「うわぁッ!」
「かすがっ!?って、うおっと!」
何事かと隣を見ると、黒い手に捕まっている仲間の姿があった。そして自身にも向かってくるどこかで見覚えのある闇の手をなんとか避けた。
「おいおいマジかよ……」
「なんだこの黒い手はッ!離せ!」
「大谷様へ刃を向けないで下さい、その方に手を出す事は許しません」
「……な、お前はさっきの!」
闇の手を幾つか湧き出している黒装束に、かすがと呼ばれたくノ一はなんとか逃げ出そうと体を動かしたが、ビクともしなかった。
「ちょ、ちょっと葵、勘弁してよ!これはちょっとした猿芝居じゃんか!大谷さんに手を出したのは謝るってば!」
「……。」
「娘、やめよ」
「はい、大谷様」
大谷様にそう命じられ、すぐに闇の黒い手を離すと、くノ一はドサッと畳の上に落ちた。
「……き、貴様ッ、よくも……!」
かすがは自身に攻撃してきた黒装束に向かって手裏剣を放とうとしていた。
しかしそれを佐助が静止させた。
「はいはい、油断していたかすがも悪いよ、これ以上こちらさんに手を出したら同盟の話も危うくなるからここは抑えて」
「くッ……仕方ない」
「娘、勝手に動くでない」
「……申し訳御座いませんッ」
湧き出た闇の手を自分の影の中に引っ込めて、大谷様の後ろに腰に下ろした。
「……ッ誰であろうと秀吉様の城を汚した輩は許さん!」
「待て三成、こやつらは徳川の敵よ、しかし徳川はこやつらを欲しがっている。徳川を苦しめ残酷な死をもたらす為に奴の欲しがるモノを先に奪うのだ」
「刑部、武田と組めと言うのか」
「とりあえずさ、凶王さん……うちの大将に会ってくれない?」
「……。」
「三成」
「……分かった、行こう」
三成様は甲斐の武田へと同盟を組む為に向かう事となった。
「……。(ギロッ)」
「……。」
どうしましょう。
くノ一さんがこっちを凄く睨んでいます
「おい、お前」
「ちょ、ちょっとかすが!喧嘩はやめなって」
「どけ、猿飛」
「ちょっと!」
くノ一さんは大谷様の後ろに控えている私を見下ろすように近寄ってきた。
「お前は、なんだ、その、主君の為に動いたというのか」
「ええ、私は大谷様に仕える者に御座います、主様に手を出そうとする輩は誰であっても始末致します、貴女でも」
「忠実、だな。その忠誠心には頷くしかあるまい」
「……その様子だと貴女にも守るべき者がいるのですね、ならば主君の為あらばとお分かり頂けますか」
「……お前、その声は女か」
腰を降ろしている私を見下ろすくノ一は、面をしていたせいで私が女だと分からなかったようだ。
「はい、女ではいけませぬか」
「いや……この時代だ、女も戦うだろう」
「……そうですか」
「ふん、せいぜい主をお守りする事だな闇の女」
そう言い、くノ一は外に出て行った。
「……娘、」
「はい、大谷様」
「今宵は賑やかよなァ」
「……そうで御座いますね』
周りを見れば壊れた床や壁。
見て見ぬフリは出来なさそうです。