1、呼吸の仕方を忘れたみたい───────----‐‐‐ ‐
「……。」
部屋の時計を見て、ため息をついた。
中学3年になってしばらく経ってからだと思う、双子の兄の帰りが極端に遅くなったのは。
部活で帰ってくるのが遅い時は今まで何度かあったけど、こんなに毎日遅くなるのは最近になってからだ。心配になったので本人にどうしたのか聞いても、彼はいつもはぐらかすばかりで何も答えてはくれなかった。
けれど、いつもヘラヘラと笑っている徹が、ある日を境に、笑わなくなった。何かに追い詰められているような、そんな感じがした。徹がバレー部の主将になって、色々と大変な事が多いのだろうと最初は思っていたが
……きっと違う気がする。
なんとなく、そんな予感がした。
「徹、大丈夫?」
「うん?」
「疲れた顔してる、何かあった?」
「ううん、何もないよ」
「……。」
明らかに様子のおかしい徹に私は気の利いた事も言えず「そう、分かった」と作り笑いで頷くしかなかった。
けど、私の中の心配や不安が掻き消されたわけではなかった。
「……。」
きっとバレー部で何かあったんじゃないかなと、こっそり自主練をしている徹の様子を見に行った。
こっそりとしゃがんで体育館の入り口から中の様子を覗いてみると、徹がひたすらボールを打っていた。何回も何回も、そんなに動いたら疲れて倒れるんじゃないかって思うくらい、ひたすらにボールを打っていた。こんな練習をずっと続けていたら壊れちゃう……そんな不安が私の中で曇り出した。けど、目の前で必死に練習している徹に声をかける事も出来ず。
「(徹……)」
体育館の時計を見れば、夜の8時を超えていた。もうこんな時間、毎日こんな遅くまでやってたらいつか本当に倒れちゃう。
体育館の扉をぎゅっと握った。
「おい」
「!!」
突然の声に、ビクッ!と肩が揺れた。
「誰だ? そこで何やってんだ?」
「……。」
恐る恐る後ろを振り向くと、私の後ろには知っている顔があった。
「い、岩泉君?」
「は? 葵!?」
「しー……!」
そう言うと、岩泉君はパッと自分の口に手を当てた。咄嗟の判断をありがとう。
「何で、お前ここに、いるんだよ」
「えっと……」
「アイツが心配なのか?」
「!」
もう一度、徹の方を見ると
徹はまだ何回もボールを打ち続けていた。その姿を見て、何も言えない自分が悔しくて……唇を噛み締めた。
「……徹が、何か抱え込んでる」
「何か知ってんのか」
「知らない、何も知らないよ、私は徹の事……何も知らない」
「……」
「でも分かるよ、徹と双子だからとかじゃなくて……徹の事を見てたら分かっちゃうんだよ」
「スゲェのな、お前」
「……え?」
「アイツの事だ、葵を心配させねェように何も言わねぇんだろ」
「!」
やっぱり、そうなのかな。
昔からそういうとこばっかり優しいからなぁ徹は。でも少し、寂しい。
「葵」
「え、な、なに?」
「隠れてるって事は、及川に見つかると不味いんだろ?じゃあ後は俺に任せておけって」
「岩泉君に?」
「ああ、アイツ今な、オーバーワーク気味なんだよ。葵の代わりに俺が怒ってやる」
親指で自分の方を差して、岩泉君は言った。
「葵が心配した分も、俺が怒ってやるからな」
岩泉君はそう言って、私の頭をぽんぽんっと撫でてくれた。懐かしい、彼はたまにこうやって私を安心させてくれる。まるで「大丈夫だ」と言ってくれているようで、
「……っ」
凄く、嬉しかった。
岩泉君の言葉ひとつひとつが
とても、嬉しかった。
「じゃ、ちょっと待ってろ!」
ニッと笑った岩泉君は、徹が練習しているであろう体育館の中に入って行った。
「おい!監督にもオーバーワーク気味だって言われただろうが!!自主練もいい加減にしやがれ!」
「……」
「聞けェ!」
「うぎゃ!!」
こっそり覗いていると、徹の自主練を止めに入った岩泉君が自主練を全く止めない徹に蹴りを入れていた。
「(うわ、痛そう)」
「何すんの岩ちゃん!」
「ほら帰るぞ!」
「!」
練習を中断された徹は、岩泉君にずるずると引きずられて来た。
「あれ? 葵? なんでここに?」
「わ、私もさっき部活が終わって……岩泉君とばったり会ったの」
徹が心配だったので、こっそりと徹の様子を見に来ましたなんて言えず、咄嗟に嘘をついた。
「そうなの?岩ちゃん」
「ああ」
「(あ、岩泉君が合わせてくれた)」
「ふーん、じゃあ帰ろっか」
特に徹には疑われもせず、私達は一緒に家へと向かった。
けど徹の様子はしばらく経っても、変わらなかった。相変わらず帰ってくるのは遅いし、岩泉君曰くまだ自主練習がオーバーワーク気味で、いくら言っても聞く耳を持たないそうだ。
何で徹をそうさせたのかは分からないが、バレー部ではない私には何も出来ず、今は岩泉君に任せるしかなかった。
「……。」
この間のようにまたこっそりと体育館を覗きに行くと、ボールを打つ音ではなく大きな声が聞こえた。
「今の俺じゃ白鳥沢勝てないのに余裕なんかあるわけない!! 俺は勝って全国に行きたいんだ 勝つために俺はもっと……」
「"俺が俺が"ってウルセェェエ!!! てめェ一人で戦ってるつもりか冗談じゃねーぞボゲェ! てめーの出来=チームの出来だなんて思い上がってんならぶん殴るぞ! 」
「もう殴ってるよ!!」
「1対1でウシワカに勝てる奴なんか北一には居ねェよ!! けどバレーはコートに6人だべや!! 相手が天才1年だろうがウシワカだろうが”6人”で強い方が強いんだろうが!」
「!?」
思わず体育館に向かう足が止まった。
今の声は間違いなく徹と岩泉君の声だった。もしかして喧嘩!? と思い、急いで体育館の中に向かった。途中でバレー部の後輩らしき男の子とすれ違った。
「……俄然、無敵な気分」
体育館に入ると、喧嘩をしている様子ではなく、笑みを浮かべている徹がいた。
「……っていうか鼻血出てる!」
「あれ!? 葵? 何でここに!?」
「岩泉君もおでこが!」
「お?」
「ちょっと待ってて!」
職員室から救急箱を借りて、
急いで体育館に戻った。
鼻血が止まらない徹にティッシュを渡して、岩泉君の赤くなったおでこには湿布を貼った。
もしかして岩泉君、頭突きした?
「徹、血は止まった?」
「んー、なんとか」
「岩泉君はどう?」
「大丈夫だ」
二人ともそこまで酷い怪我ではないようで…良かった、とため息をついた。
「じゃあちょっと荷物取りに行ってくるから待ってて」
徹は私達にそう言って、部室に向かった。
「葵」
「ん?」
「悪かった。ちゃんと及川の事、止めれなくて」
「え、違うよ岩泉君! 岩泉君はちゃんと徹の事を」
「お前に、心配させちまった」
「!」
確かに心配はしたけど、
けど……
「お前に、任せておけなんて言っておきながら、俺は」
「そんな事ない、岩泉君が徹に怒ってくれたから、徹の笑顔が戻ったんだよ、きっともう徹は大丈夫だよ。ありがとう」
「お、おい、何で泣いてんだ!?」
「ご、めん、分からない」
「な、泣くなっ!」
「ごめ……」
「あーもう! 葵が泣いてんの見ると俺が困る! 心配になるし、どうしていいのか分かんねェ!」
「……。」
「でもな、俺はお前の悲しい顔は見たくねェ。及川みたいにとは言わねェが、笑ってろ!」
「!」
ぽんっと、岩泉君の大きな手が私の頭に置かれた。わしゃわしゃと不器用に撫でられて私の髪はきっと不恰好になってしまったかもしれない。けど、そんな事にちっとも気にならず、目の前が、こうパッと明るくなった気がした。流れた涙がピタっと止まった気がした。
胸が、苦しくなった気がした。
鼓動が早くなった気がした。
ああ、私はどうしてしまったんだろう? 風邪でも引いたかのように、顔がとても熱い。あれ? 呼吸ってどうやるんだっけ、あれ? 手とかどうやって動かすんだっけ?
あれ?
……身体が上手く動かない。
「たっだいまー! ってアレ?葵が泣いてる!? どうしたの!? まさか岩ちゃんに泣かされたの!?」
「な、泣いてないっ」
「そう?」
徹は少し疑っていたけど、なんとか信じてくれたみたいだ。
(この日を境に、私は岩泉君に距離を置くようになった)
呼吸の仕方を忘れたみたい
[ 2/42 ][*prev] [next#]
【Back/TOP】