貴族や武家の仕来り通り四郎にも乳母がついている。
けれど実際にお世話を任せているのは、夜や外出時、そして弓の鍛錬の時間くらいだ。

それ以外の殆どの時間は私も四郎の傍に居て、歳若い乳母に育児を教わっている。


「お帰りなさいませ、楓様、四郎様」

「浅乃、ただいま。この子のオムツが濡れているのよ」

「お部屋を出られてから半刻、そろそろかとお待ちしておりました。四郎様、お襁褓むつきをお換え致しましょうね」


私の部屋で控えていた乳母は、昨年子供を産んだばかりのまだ十代後半の若い人だ。
基治さんの計らいで、私の話し相手が出来る乳母を付けてくれたのだ。

彼女は元同僚というべきか。

あれは、大鳥城に着て間もない頃。
居候が申し訳なくて見習い女房としてお手伝いをしていた私と唯一同年代だったのが、浅乃。

平泉に行くまでの短い日々、仕事の合間に色んな事を話し合っていた。
明るく、互いに気心の知れた子だった。


それが今や、乳母とその主で。

暫くはそれが心苦しかった。
そんな私とは裏腹に、浅乃は「こんなに嬉しいことはない」と純粋に再会を喜んでくれたのだ。

その言葉が、どれほど暖かかったことか。


「ねえ浅乃、今日は私が換えても良いかしら?」

「宜しいのですか?」

「ええ、大分綺麗に出来るようになったから。それとも浅乃の仕事を取っちゃわないかな‥‥‥じゃなくて、取り上げてしまわないかしら?」


私の口調からサインを受け取ったのか、そこで浅乃がぷっと吹き出した。


「もう、負けたわ。だから楓も口調を戻して」

「やった!だって浅乃に敬語使われるのは嫌なんだよね」

「‥‥ほんとう、子を産んでも楓は楓なのねぇ」


呆れた口調の浅乃は、この二年ですっかり色っぽくなった。
以前は女というよりも子供と呼んだ方が馴染んでいたのに、それが今となってはしっとりとした色気を漂わせる大人の女そのものだ。
私より二歳も下で、まだ十代だなんて信じられない。

旦那さんは三郎くんの側近。
これまた中々のイケメンさんで、気さくで優しいのにストイックな色気を漂わせていたという、何とも魅力満面の人だったからよく覚えている。

何を隠そう、私も大鳥城に来た当初、ほんのりと憧れていたのだ。
顔がと言うよりも、ごつごつとした上腕二頭筋に。
勿論、これは誰にも暴露せずに墓場まで持っていく秘密なんだけれども。
そんな彼は今、三郎くんと忠信に付き従って、現在鎌倉に居る。


オムツを替えながらちらりと自分の身体を見下ろして、何だか切ない溜息を吐いた。
スタイルの違いが悲しい。特に胸とか。
乙和さんは別格だ。
あの人に勝負しようと思わない。
けれども、若桜さんにも、さくらちゃんにも、浅乃にも‥‥‥遠く及ばない私って切ない。

いや。浅乃の場合は、イケメン旦那に溺愛されたからあんなに色気が出たんであって。

今から新婚だ!という時に離れてしまった私は、溺愛されるチャンスを逃しちゃったから絶望的なんだ。
育つものも育たなかったのだろう、うん。
とか、そんな感じで自分を慰めようか。


「何言ってるのよ。楓は元から綺麗じゃない、鏡見たことないの?」

「浅乃こそ何言って‥‥‥って、あれ?浅乃って心読める、とか‥‥?」

「全部口に出てたわよ」

「げっ、全部っ!?」

「うちの人の上腕なんとかがいいとか、墓場まで、とかぶつぶつ言ってたわよ」

「‥‥お願い忘れて浅乃、ごめん!」

「ふふ。私はいいわよ、楓がうちの人を褒めてくれて嬉しいしね。でも四郎様‥‥あ、四郎忠信様がお聞きしたら妬かれるかもねー。楓の所へ飛んでくるんじゃない?」


四郎、は大鳥城ではもう息子の名だ。
父子で同じ名前はやはり言い分けるのが大変らしい。


「そんな馬鹿な。でも、黙っててね」


それくらいで帰って来る事はない。
多分、忠信はその程度で嫉妬もしないだろうけれど。
知られたら私が恥ずかしいだけだ。


「そうかなぁ。ああいう滅多に感情を表さない殿方は、意外と嫉妬深いのよ?」


‥‥‥人は成長していくんだ。
昔は花の名前も知らなかった子が、男について語っているなんて、驚愕だ。

すっかり身綺麗になった四郎を抱き上げながらぽかんと口を開けた私は、まだ知らない。
浅乃の言葉が正しいのだということを。


「では私は、洗濯所へ持って参りますわ」


汚れたオムツを届けに部屋を出た背中に礼を言ってから、深い息を吐く。


「‥‥‥父上に早く顔を見せてあげたいね、四郎」


満たされた日々の中、まだ探していた。

愛しい我が子と、優しい義父母や周りの人達に囲まれながら、それでも。
『私』が帰る場所を探している。


「父上ね、四郎が生まれてすっごく嬉しいって手紙くれたんだよ。知らせを受けても仏頂面のままだったけど、珍しく矢が的から外れた、って三郎くん‥‥ええと、三郎叔父上がこっそり教えてくれたの」

「うー?」

「ふふ、面白い父上でしょ?」

「‥‥あぶー」

「‥‥‥逢いたいな」



あの声を聞きたい。

あの腕に、抱かれたい。


もう一度だけ逢いたいとの願いが叶えられ、願い以上に叶えられて私は今此処にいる。

なのに、もっとと欲を張る。

罰当たりなのかもしれないと、思いながら。




―――君がすきで、好きで仕方ない。

叶わない夢を見てしまうほどに。







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