隙間から零れる朝日の光が艶やかな黒を縁取る。
絹糸に似た濡れ羽色に触れられる幸せ。
‥‥そんな、泣きそうになる程幸せな夢を見た。
『しろ‥、忠信の髪って好きだな』
───そう、これは初めて抱き合ったあの朝の、夢だ。
寝起きの顔を見られるのが恥ずかしくて、脈絡もなく出たこの言葉は忘れもしない。
二人で眠る褥の暖かさ。
忠信のしどけなく乱れた白い単衣姿とか。
『は?早く呼び方に慣れなよ』
さらりと返された、今思えば彼なりに照れていた言葉も懐かしい。
『う‥‥‥昨日の今日なのに』
『ふぅん。昨夜は何度も、それこそ声が枯れるまで呼んでいたくせに?』
『わああっ!それ忘れて恥ずかしいから!』
思い出した私は居た堪れなくなり、頭から衾を被って顔を隠した。
穴があったら入りたい。
───そう。何度も、何度も、譫言のように。
紡がれる熱に飲まれそうになりながら名を呼んだ。
呼ぶ度に常盤緑の瞳から生じる熱と、激しくなる忠信の動きに、眩暈がして‥‥‥私もしなやかな首に縋り付いて。
声が枯れるまで、何度も。
『ああもう恥ずかしい昨日の自分っ』
『今更‥‥』
頭上で溜息が聞こえる。
‥‥もしかして呆れられた?心配になった瞬間、あろう事か衾からはみ出ていた私の髪を、むんずと掴んで引っ張った。
『ちょっと、痛いんだけど!』
『俺は、あんたの方がいいと思う』
一瞬何を言われたか分からなかった。
『髪。柔らかいし気持ち良いし、あんたの身体と同じ』
『変な言い方しないでよっ』
『変な?‥‥‥ああ。そういう意味でも、気持ち良かったよ』
『‥‥っ!!』
頭上からくすりと笑う声が降る。
からかわれている事に腹を立てて、とうとう衾を捲った。
そんな私を見下ろして、忠信は上機嫌に声を立てて笑いながら指を伸ばす。
『‥‥ずっと、こうして触れたかった』
頬に触れる、冷たい指先。
何処か切なげに、そして甘過ぎる程に甘い眼差しを向けられた。
『好きだよ、楓』
優しく撫でる指。
常盤緑が含む隠し切れない色気に、高鳴る鼓動は増す一方。
私も、と小さく返すのが精一杯だったのを今でも覚えている。
運命、が本当にあるのなら、きっとこんな瞬間の為に存在するのかな。
近付く影。
眼を閉じながらふと、そんな事を真面目に思った。
「‥‥で。──えで‥」
「ん‥‥‥」
「楓ってば!」
‥‥‥此処は‥?
ああそうか、自分の部屋だ。
目覚めて飛び込んだ天井の色に、泣きそうになる。
夢、もっと見たかったのに。
「大丈夫?」
何が?と聞き返すと、枕元で心配そうな浅乃の指が私の頬に触れた。
頬が暖かいもので濡れていることに気付く。
「‥‥私、泣いてた?」
夢で触れたあの指より暖かい指先。
ほんの少し切なくなる。
「少しうなされていたわ。この所、あまり眠れていないでしょう?」
「よく見てるね」
「当然よ。私は四郎様の乳母だけれど、どんなに勧められても他の女房を傍に置きたがらない、困ったお母君のお世話もしているもの」
「‥‥ごめん」
「冗談よ。楓と居る時間は好きだもの。勿論、四郎様の次にね」
何処まで知っているのか、聞いた事はないけれど。
まるで安心させる様に胸を張る浅乃を見て、思わず笑った。
平泉での一件以来、私は女房に傍近く控えられるのが怖い。
妊婦の私に最初はそれこそ乙和さん‥‥義母上も、お世話をしてくれる女房を何人も付けてくれたのだ。
私が不自由な思いをしないようにと。
最初の一月は何とかなった。
背後に気配を感じるだけで身が竦む思いをしながらも何とか───そう、隠す事が出来た。
けれど暫くして、衰弱した私の様子が悪阻だけではない事にまず志津さんが気付いたのは、食欲がめっきり減ったからだという。
過ぎたことだと、栓のない事だと分かっていながらも、身体は正直だった。
とうとう私が倒れたと聞いた乙和さんはすぐに私の部屋を訪ね、優しく私の手を握って聞いてくれた。
怯える理由、若桜さんのことを。
『私は大切な娘に、辛い思いをさせていたのですね』
───大切な娘、と。
悲しそうに瞳を震わせながら抱き締めてくれた。
そんな乙和さんの胸の中で、申し訳なさと嬉しさが溢れて思い切り泣いた。
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