はかなくて同じ心になりにしを 思ふがごとは思ふらむやぞ
わびしさを同じ心と聞くからに 我が身をすてて君ぞかなしき
忠信が出立した翌年の、治承五年(西暦1181年)。
一月に高倉上皇が崩御した。
後を追うかの様に、平清盛が亡くなったのは二月。
───平氏にあらずんば人にあらず
そう言われた平氏政権をたった一代で築き上げた清盛の死。
それは、平家方に大きな痛手となり、源氏方の士気を鼓舞させた。
これによって元号が変わる。
『治承』から『養和』へと。
治承五年から、養和元年へ。
けれど、源氏方の文書には新しい元号は使われる事がないままだった。
公文書や文に記されるのは───相変わらず『治承五年』の文字。
何故ならば、今の天皇を源氏側が認めることは決してないからだ。
今上帝の名は安徳。
平清盛の孫に当たる、幼い帝を敬う事は決してない。
義経が頼朝の元に馳せ参じた治承四年十月頃から、日本各地で繰り広げられている戦により、数えられない程の人が亡くなっていることも。
加えて、京の町を襲った大飢饉による夥しい数の死者の話も。
遠く雪に閉ざされた大鳥城で耳にする私には、物語を聞いているかのように遠く遠く感じて。
すっかり膨れた腹部を撫で、もうすぐ出会える命を思いながら、人の死について考えるしか出来ない事が切なかった。
───それから半年。
忠信の妻になって一年が過ぎた、治承五年の夏。
此処舘の山にも控えめな暑さが到来していた。
源氏の旗揚げから、安徳天皇の即位。
それに伴う平家一族の昇進。
各地で衝突する源平の戦。
そして、深刻な被害をもたらしている京の大飢饉。
まさに激動と混乱の時代を迎えている中、不自然なほどに大鳥城は喜びに包まれている。
「まぁ、四郎は本当によく笑うこと」
「愛想の良さは母上譲りじゃな。良かったのう四郎」
目尻の緩みきった基治さんの隣に座る乙和さんが抱いている四郎の手が、隣に座る基治さんの人差し指をきゅっと掴んでいる。
勿論この四郎は、『あの』四郎ではない。
五月の末に生まれた、私と忠信の子。
乙和さんから抱き取った基治さんが、この子の父が使っていた幼名をそのまま与えたので、ちょっとややこしいけれど『四郎』。
「父上そっくりな顔で愛想がいいっていうのも、微妙な気がします」
冗談半分に言った私は、嫌味なほどに整った仏頂面の持ち主を思い浮かべた。
すっかり骨抜きにされた城主夫妻を始め城中の大人達は、小さな命を中心に時を動かしていると言っても過言じゃない。
「笑う事は良いではありませんか、楓?四郎‥‥いえ、忠信は、愛想の欠片もない子故、頬が硬くなる病の存在を疑ったものですわ」
くすくすと笑いながら、乙和さんが四郎のふっくらとした頬を撫でる。
愛しそうに、昔を思い出すかのように。
「あの子は我が子ながら少し不気味で、城中の者も敬遠しておりましたものね、基治様」
「うむ」
言いたい放題だ。
「あはは‥」
素直じゃない言い様に苦笑いを浮かべてしまった。
思っている事と裏返しな言葉を吐く所なんて、親子で同じだと思うとおかしくて。
それに、けらけらと笑い声を上げる我が子を見て思う。
忠信が敬遠されていたとしたらそれは無愛想だからじゃなくて、あの容姿に緊張したんじゃないかと。
髪と瞳は私と同じ色をした小さな四郎。
なのにその顔立ちは整っていて。
私の遺伝子って色だけ?と思う程に父親そっくりなのだ。
本当に綺麗な子だ、と思う私は親馬鹿なのだろうか。
「四郎の眼差しの強さよ。良い武士となろうの」
「あまりむずかりもしませんし、周りの空気を察している所も見受けられますわ。良い軍師にもなれましょう」
‥‥‥ああ良かった、上には上が居る。
親馬鹿を軽く超えた祖父母馬鹿‥‥だなんて絶対に口には出せないけれど、心の中だけでほっと安堵する。
「おお、泣き出してしもうたな。母上が恋しいかの」
「はい、おいで四郎。‥‥あ、濡れてる」
愛おしそうに四郎に触れる二人、そして私の腕に帰ってきた小さな四郎。
守るべき愛しいもの。
忠信に、託されたもの。
私が、守るべきものは此処にあるのに。
それは光り輝く穏やかで愛しい日々なのに、私はまだ探している。
_ *戻る* 次