───下す。東海、東山、北陸三道諸国の源氏並びに群兵らの所。早く清盛法師並びに
従類叛逆の輩を追討すべき事。
有名な一文から始まる「以仁王の令旨」。
この手紙が平家の監視を掻い潜り、幽閉されていた以仁王から各地へ。
伝令役として白羽の矢が立ったのは、当時熊野神社に匿われていた新宮十郎と源義盛───頼朝と義経の叔父だという。
令旨を受けた源氏の一族は我先にと各地で決起するが、頼朝は違っていた。
頼朝が以仁王の文を受け取ったのが治承四年(1180年)四月、発布されてすぐのこと。
そして実際に伊豆で挙兵したのが同年八月。
その間に従兄弟の源(木曽)義仲らが立ち上がったのを知った平家が源氏追討を企てる。
その動きを知り自分が「危機」の中にあることを悟った頼朝が漸く挙兵を決意した‥‥‥とも言われている。
会ったことはない、けれど。
私の想像する「源頼朝」は、鷲のような眼をしている人だ。
時を───、獲物をじっくりと見定める獰猛さと知性を持つ、そんな人。
御曹司とは似ても似つかない、人。
出立までの七日間、大鳥城内外では眩暈を起こしそうなほどの慌しさに溢れていた。
忠信や三郎くんをはじめ出陣する兵士さん達は勿論のこと、女も暇な時間を惜しんで出立の準備の為に働く。
何せ必要な物を数え上げればキリが無いほど。
刀や弓矢を初めとする武器や、鎧や具足や兜、篭手など身を守る武具なんかは当然のこととして、手入れや紐などの補強をしておく。
他にも軍馬に使用する鞍具に手綱に鞭の手入れも怠ってはならない。
そして、一番大切なのは「食料」。
食料の問題は戦の勝敗にも左右しかねない大切なもの。
女房や城下の人達が総出で、携帯食として味噌や米を朴の葉に包んだり、日が浅いうちに食べる物として、蒸したもち米を鳥の卵のような形ににぎった屯食(おにぎりのようなもの)を作る。
あと欠かせないのが塩や大豆。
大豆は馬の餌としても重要らしい。
「楓様もずいぶんと手際がよくなすったねぇ」
城下からお手伝いに来てくれたおばさん達が私の手元を見てにこにこと笑う。
餅米を笹で作った袋に詰め草の紐でぎゅっと縛る、といった作業に追われていた。
妊婦とはいえ悪阻もなく、元気だからと私も手伝わせてもらっているのだ。
「ほんとですか?我ながらちょっとは早くなったかも」
「はいな。この分だと楓様に追い抜かれてしまうわ」
それは無理だと私が答えると、明るい笑い声が場の空気を染める。
晴れた空の下、女達が笑いながらも忙しなく手を動かしている、一見平和に見えるこの光景。
だけど、私達が手掛けているのは【戦】という名の【殺し合い】に向けての準備で。
「‥‥‥」
「楓様?お疲れでしたら城でお休みになられた方が‥‥」
「う、ううん。ちょっと考えていただけだから」
難しい顔で私を覗き込む志津さんに、慌てて笑みを浮かべた。
頑として手伝うと言い張った私を心配した忠信が、乙和さんに頼んで。
私の性格を見抜いた二人が「彼女なら安心」と派遣した監視兼世話役が志津さん。
どうも私は志津さんに弱い。
彼女が「否」と言えばもう逆らえないのだと、乙和さんも忠信にも筒抜けなのが何だか悔しい。
それだけ私を案じてくれていると思えば、嬉しいのも事実。
‥‥‥絶対言わないけれど。
「体は大丈夫です。だから、あとちょっとだけ手伝わせてください」
ひとつだけ忠信と乙和さんに誤算があるとするなら、志津さんは最終的にとても優しい所かもしれない。
‥‥‥ああ、それも知っているのかな。
「‥‥‥分かりました。では、あと少しだけですよ」
眼をそらさずに、数瞬。
やがて志津さんが諦めたように溜息を落とした。
「ありがとう志津さん!」
戦の作法も何一つ知らない私に、出来ることは殆ど無い。
だから、せめてこれだけは。
愛する人と、大切な人達の為に私も【戦】に関わっていたい。
きっといつまでも私は、命を奪う戦なんて理解出来ないだろう。
そこに意味を見出す日は来ないんじゃないかと思う。
ただ、無事でいて欲しい。
誰も奪われないで欲しい。
願いを裏返せば、相手の命を奪うことに繋がる。
そんな矛盾には都合よく眼を瞑ったずるい私だけれど、これもひとつの【戦】だ。
この先もっと強く生き抜く為の、私自身の【戦】が始まった。
そうしてあっという間に日が過ぎて。
いよいよ明日、私は基治さんと共に「白河の関」まで見送りに行く。
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