治承四年、九月末日。
太陽が東の空から顔を覗かせる少し前に、大鳥城を出立した。
行き先はひとつ。
行き先と言うより目指す相手と言うべきだと思う。
向かうのは、藤原秀衡の命により佐藤兄弟の主になる人。
今までもこれからも、浅からぬ縁で結ばれる相手。
『あの人』を、追いかけて───。
そんな旅立ちだからこそ、忠信と三郎くんをちゃんと見送りたい。
出立前夜、意を決した私は大鳥城主の寝室を訪ねた。
体調が良い事も理由にして頼み込む。
当然ながら居合わせた乙和さんと忠信には反対されて、意見をぶつけ合ったけれど。
───暫くして、成り行きを黙って見つめていた基治さんが沈黙を破る。
「その心意気は相分かった。が、白河の関までは遠いゆえ、今の楓にはきつかろう」
「大丈夫です、この子の父は忠信だから。この子も私もヤワじゃありません」
「無茶言うなよ。御曹司は先を急がれるのに、あんたが居れば自然とこちらの足も遅くなる」
「四郎、その様な物言いは感心しませんよ。素直に楓が心配だと言えば宜しいのに」
「‥‥‥」
乙和さんが溜息混じりに落とした言葉に、忠信は黙り込む。
ふいと私から逸らした視線が裏付けているかのようで、不謹慎にも微笑ましいなんて思ってしまった。
それが嬉しくて背中を押してくれるから、私も大切な思いを紡げるんだよ、忠信。
「心配してくれて嬉しいんです。でも私はちゃんと見送りたい、佐藤家の嫁として。夫の武運を城から祈るだけなんて、嫌です」
「ふぅむ‥‥」
どうしても行きたい、と眼差しに思いを乗せて基治さんを見つめ返した。
何かを感じたのか。
途中までという条件で、同行の許可が降りたのはその直後。
‥‥‥忠信の眼力が普段の数倍増しで恐ろしく感じたのは、言うまでもなかった。
翌朝の大鳥城を照らすのは今日を寿ぐような太陽。
抜けるような青空と、初秋の陽気に背を押されるように出立したのは早朝。
山道を下っているのは、佐藤兄弟と二人に従う兵士さんが三人、白河の関まで見送る基治さん、それから私と、帰りに私を乗せてくれる役目になった平次さんの計八人。
晴れやかな天気とは相反し、私の心は靄が覆ってゆく。
「‥‥ねえ、忠信」
大鳥城から一里(約3.9キロメートル)進んだ山の中腹で呼び止めれば、馬の蹄の音が止んだ。
忠信の細心の気配りから、山肌を降りているときも今も、体に伝わる振動が殆どない。
「待って楓。‥‥父上!」
「うむ、三郎達と先へ行くぞ」
身重の私が見送れるのはここまでという約束。
それ故に、気を利かせてくれた基治さんと三郎くん達は馬首を巡らせそのまま先を行く。
その背が小さくなった頃、馬上から降りることなく私を見た。
「昨日はごめんなさい。‥‥まだ怒ってる?」
意見を聞かず、此処まで着いてきたことを。
「‥‥別に」
「本当に?」
「ああ」
「そっか‥‥‥じゃあ、もっとマシな顔してよ。そんな仏頂面だともてないよ?」
呼び止めたくせに、どうでもいいことを口にするのが精一杯。
それ以上言葉にすると堪え切れなくなりそうで。
「別に、もてる気ないからいいよ」
秋の陽光に、濡れ羽色の髪が艶を纏い綺麗だった。
その深い色を当分見られなくなるんだ。
澄んだ常盤緑の双眸も、整いすぎた顔立ちも、着痩せする身体も。
――これで、もう、会えなくなるんだ。
覚悟したはずなのに。
胸が締め付けられ、今にも目尻が溶けそうに熱く揺れる。
今はそれらを堪えるだけで精一杯だった。
「‥‥それよりもさ、あんたはこれから、城を出る時気をつけてよ」
「うん」
「供を付けて。立場を自覚するんだ」
「‥‥うん」
「それと、男からは無闇に物を貰うな」
「うん。え、どうして?」
首を傾げた私に呆れた視線が容赦なく降った。
「あんたって本当‥‥‥、いいから、黙って頷いてよ」
「‥?う、うん」
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