足を止めたのは城から外れた草原。

身を隠す場所のない、誰の聞き耳もない場所。

敢えて私が言葉にしたのは、此処がそんな場所だから。



「御曹司は頼朝さんの元へ、行くつもりでしょう?」


身体が怠くなりその場に腰を下ろすと、忠信も隣に座った。


「‥‥‥」



頼朝が伊豆で挙兵すると、その幕下に入ることを望んだ御曹司は、御館・藤原秀衡の反対を押し切って兄の元へ馳せ参じることになる。


今は、九月下旬。

御曹司が義経と対面するのは確か、十月下旬。


この時期にはもう、御曹司と御館の間で話が付いているんじゃないかと思い、忠信に確かめたかったのだ。


「‥‥‥そうか。楓なら、知っていてもおかしくはないか」


未来に生きていた私からすれば、此処は【過去】。
忠信はそれを思い出したらしい。


迷いにも似た沈黙の後、正直に答えると決めたらしい忠信の手が、私の髪を撫でる。


その動作が優しくて、そして何処か寂しそうで。
本当に知りたかった問いの答えにも取れるから、私はそっと眼を閉じた。


「楓は何処まで知っているの?」

「‥‥殆ど知らないよ。習ったのも頼朝さんが挙兵するまでの事で終わったし」

「そうか」

「ごめんね」


敢えて私は嘘を吐いた。

忠信が私に聞いたのは、この先の歴史を知りたいからじゃない。
もし私が嘘を付かなくても、彼は何も聞かないだろう。


真実を告げないことにしたのは、私自身への戒め。

自分の知る【歴史】を確認するのは、最初で最後。



「あんたが気に病む必要はない。俺は何も聞かないから。あんたはもう、此処の人間だ」

「‥‥ごめんね、嫌な聞き方して」

「違うだろ」


頼朝さんの挙兵も、御曹司の出陣についても、一番聞きたかった事柄ではない。
先回りして尋ねてでも私が知りたかったのは、違う。

忠信に嫌な思いをさせるべきでなかったのに‥‥‥。


「俺から話すべきだったのに、気が回らなかったのは俺の方。ごめん」

「‥‥違うよ。私が待てなかっただけ」

「待てなくさせたのは俺だよ」


違う、と再び口に乗せ掛けた言葉は、忠信の眼を見た途端瓦解する。

真っ直ぐな常盤緑が強く私を見据えていた。



「楓」


私の背を引き寄せる腕。
僅か引き寄せれば、触れそうに近い顔。
静かに名を呼ぶ唇の動き。

この先に続く言葉を、一生忘れないだろう。
きっと、強く思い出す。


「昨日、御館から命が下った。俺と三郎兄上は、御曹司に従い出陣する」

「‥‥‥っ」




きっとこの言葉が、私の中で動いた瞬間。





反対を押し切って平泉を抜け出したとも、御曹司が御館を説得したとも言われているが、平泉は止む無く御曹司を送り出す結果となった。

ただ御曹司の供として、奥州藤原氏に仕える一族の若武者を随行させた。

御曹司に忠実に仕える者。
その尊い身を護る為の技量と精神力を持つ者を。

それが、三郎くんと忠信。



「‥‥‥いつ出発するの?」

「七日後」

「七日‥‥‥」

「そんな顔するな。必ず御曹司を護り抜いてみせるから」


喜ばしいことなのだ。


武士として生まれ育った以上、戦に向かう事は名を挙げること。
家名を掲げ、主君の為に戦う事が、武家の誇りなのだと聞いている。

ううん、知っているつもりでいた。


そう。【つもり】であって、理解していなかった。

今の今まで。
忠信の顔が強い決意を湛えているのを認めるまで。

彼もまた、武士なのだ。


「‥‥‥私も、行きたかったな」

「──はぁ?」

「な、なんてね!冗談」


びしりと物凄い形相で睨まれた、何とも凄まじい一声に、思わず腕から逃れる為後退してしまった。


「当然だろ。一人だけの身体じゃないと、何度言ったら分かるんだ」

「分かってるってば!だから冗談だって言ったでしょ!」

「あんたの場合は冗談に聞こえないんだよ」

「ちょっとそれ、失礼じゃない?」


幾らなんでも、妊婦の身で戦に同行するつもりはない。
例え、お腹に子供が居なくても、着いて行かなかった‥‥‥‥‥‥かどうかは分からないけれど。


「‥‥‥今楓が考えたこと、当てようか?」

「けっ、結構です」


身から出た錆なのか。
もはや何を言えばいいか判らず、助けを求めるように視線を走らせるものの、当然ながら誰も居ない有様。


「頼むから‥‥‥」


呟く低い声が、酷いほどに擦れて喉に障る。


「留守の間、大人しくしていてくれ」



忠信はずるい。

私がその表情に弱いこと、きっと知っている。
頷かざるを得なくなる。


「‥‥‥わかった。待ってるから」

「約束するよ。必ず、楓の元に帰る」


その言葉に、涙が浮かぶ。


知っている。

いつ、大鳥城に帰ってくるのか。




「俺の子を、頼むよ」



潤んだ眼が見つからないため胸に頬を埋めた私のお腹に手を当てながら、忠信が額に唇を落とした。










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