私が再びこの時代の地を踏んだのは、治承四年の初夏。

そして今、晩夏とも初秋ともいえる九月。



北国の秋は短い。
山の木が秋に色付くのはそう長くない期間だと知っているから、緑から黄色、そして赤へと変わって行く様を愛しく思う。

これから訪れるその色が楽しみなのと同時、胸が切なさを呼ぶのも事実。








治承四年、西暦1180年。






源氏にとって大きな変革の始まりを告げる年だと、知っている。

同時に私の新しい家族───佐藤家の歴史にとっても刻を告げるような、そんな年になることを。
















「忠信!」


物見櫓の傍で数人の兵と話し込む濡れ羽色をようやく見つけたのは、午後のこと。
こちらを一斉に振り向く顔ぶれが見知った人物ばかりで、タイミングを間違えた?と後悔しかけたけれど、それも一瞬だけ。


「何?」


いつもの素っ気無い返事に、内心ほっと胸を撫で下ろす。
良かった。大事な話を邪魔したのではないようだ。


「確かめたいことがあって探してたんだよ」

「‥‥‥まさか、走って?」

「え?うん‥‥‥あっ」


‥‥‥しまった。

つい意識せず頷いた直後、忠信の眉間に皺が刻まれた。
端から見れば表情に乏しい彼だけれど、私には分かってしまう。
間違いなくこれは機嫌が悪くなったのだと。


「え、えーと、そう!忠信に早く会いたかったの!」

「‥‥‥」

「すっごく会いたくて!‥‥‥っていうのはダメ?」

「正直に言え」

「思い切り忘れていましたすみません」

「‥‥‥走るなと言っただろ、馬鹿」


じろりと睨まれて、此処は素直に謝っておくべきだと本能が告げるままに従う。

三日前から、忠信は私の行動を咎める事が多くなった。
私が奔放過ぎるのがどうやら心痛の原因らしい。

そう、それも三日前から。

勿論しっかりとした理由がある。


「おい四郎!もうちょっと優しく言ってやれよ。嬢ちゃん苛めてると俺が怒るぞ」


兵の一人、平次さんが苦笑しながら私の頭を撫でてくれた。


「苛めてない。あとその手を離せ、平次」

「それでもお前は怒りすぎ。嬢ちゃんが落ち込んでるから俺が慰めてあげてるんだよ。お腹のお子に障ったらどうするんだ」

「落ち込んでないよ平次さん‥」


ぼそりと呟く私に気付かぬフリをしながら、平次さんは「な?」と顔を覗き込んでくる。


───お腹の子。


三日経った今も、何だか夢のような気がするその言葉。

そう、忠信がとてつもなく過保護になったのは、私の中に新たな生命を宿したと知ったから。
ここ十日程原因不明の嘔吐感に臥せていたら、痺れを切らした忠信が嫌がる私を薬師の前に差し出して、判明した事実。

あれからただでさえ賑やかになった城内が、更にお祭ムードになった。


「左様。楓様を大切になさいませんと、お叱りを受けちまいますぞ」

「折角の美丈夫っぷりも霞んでしまいますな、四郎様」

「そりゃ大変だ!楓様に逃げられちまう」

「‥‥‥」


その場に居合わせた兵士さん達も、にやにや笑いながら忠信をからかいだす。
忠信より幾つも年上の彼らは鍛錬時や戦の時は忠実だけど、普段はとっても気のいいお兄さん。

幼い頃から仕えているからたまに調子に乗って困る‥‥と以前溜息混じりに呟いていたけれど、忠信もイヤではないみたいだ。

忠信がむっすりと黙り込んだのを見て、私はつい吹き出してしまった。


「楓」

「あはは、ごめん、忠信が愛されてるなぁって思ったら嬉しくて」

「俺は迷惑だけど。あんたも笑い過ぎ」


それでも目元が緩む忠信が、やっぱり大好きだとつくづく思う。
私が笑えばいい、そう言ってくれている気がして、更に笑みが零れる。

‥‥そんな和んだ空気の中、からかいを含んだ咳払いが耳に飛び込んだ


「‥‥あ、平次さん」

「まだ居たのか」

「まだ居たのかじゃないっつの!‥‥‥ま、邪魔者は退散するわ。嬢ちゃんも無理するんじゃねえぞ?」


片手をひらりと挙げた平次さんに続き、他の人達も踵を返していた。


「馬っ鹿だなぁ平次!女っつうのは男が思ってるより丈夫なもんさ」

「そうなのか?」

「そうそう。俺のかみさんも良く山ん中走りまわってたけどよ、産む時ゃけろっとしてたもんよ」

「俺のが太郎を産んだ時ゃあ髪振り乱してたな。あのおっかねえ面拝みゃ怨霊も裸足で逃げ出すぜ」

「‥‥そ、そりゃ恐ろしいな」

「んなこたねぇよ。平次も早く嫁さん迎えりゃ分かるって!」

「良いもんだぜ出産はよぅ!」

「‥‥‥‥そうなのか?」


‥‥和気藹々とでも言えばいいんだろうか。

何とも反応に困る会話と共に遠ざかる背中達を、二人して絶句したまま見送った。



「‥‥‥兎に角、頼むから大人しくしてろ。あんた一人の身体じゃないんだ」

「う、うん。ごめんね」

「分かったなら、もういい」


もう一度「ごめんね」と謝ると、忠信の瞳が柔らかく細まる。
これは、他の人が居ると絶対に見せない表情。


「確かめたいことって何?」

「あ、そうそう!忘れる所だったよ」

「‥‥‥たった今まで忘れていたんだろ?城に戻りながら話してよ」


忠信の手が私を支えるべく腰に回される。
暖かな手に促されて歩きながら、硬い胸にそっと寄り添ってみた。

応える様に引き寄せられる腕の中、溢れそうな幸せと微かな切なさを抱く。


「あのね忠信」


‥‥‥今から聞くことの、答えはもう知っている。

だけど、聞かなければならなくて。
それが暫しの別れを予感させるものだと知りつつも、確かめなければいけない。

その始まりの合図を、私は受け止めなければならないから。


「うん、何」

「御曹司のお兄さんが伊豆を出たんでしょう?」


忠信の足がぴたりと止まった。











───源頼朝(みなもとよりとも)。


御曹司・源九郎義経の異母兄、つまりお兄さん。
そして九百年の時を経た日本でも、その名を残す人物。

義経と同様、その名は歴史の授業で必ず習う。

平氏打倒の兵を挙げ、関東を平定し、後に平家を破り鎌倉幕府の初代征夷大将軍として知られる。




頼朝にまつわる話は多々存在した。

十代の前半に、父・義朝が平家に討たれ、嫡子である彼も本当なら処刑される筈だったが、清盛の継母・池禅尼の命乞いにより伊豆の蛭ヶ小島(ひるがこじま)という地に流される。


彼を生かしたことが、後に平家を滅亡させてしまうのだ。







頼朝が決起したのは治承4年の夏。

つまり、今年。


私が忠信と再会した丁度その頃。

伊豆で以仁王(もろひとおう)の令旨を受けた頼朝は、妻の父・北条時政らと挙兵し、平家から伊豆を任されていた山木兼隆の館を襲撃している。


その後、北条一族や工藤茂光、土屋宗遠、岡崎義実、といった古くから源氏に仕える一族を従え、相模国土肥郷へ向かった。
相模国とは、神奈川県の北東部にあたる。

三浦軍と合流する前に、石橋山で平家に仕える大庭景親、渋谷重国、熊谷直実、山内首藤経俊、伊東祐親らと戦う。

石橋山の戦いと後に呼ばれるその戦いで、三千余騎を率いる平家に、十分の一である三百騎しか率いていなかった源氏は敗れた。

頼朝は土肥実平ら僅かな従者と共に山中へ逃れ、数日間の山中逃亡の後、真鶴岬から船でへと向かった。

安房国(あわのくに)。
千葉県南端にあたり、房州(ぼうしゅう)とも呼ばれるその地へ。

歴史が確かなら。

───頼朝は今、安房国に居る。






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