眩い朝日が地上から、藍色の空を染め上げる。
厚い雲の間隙に差し込む光が一日の始まりを寿ぐ様に、建物も大地も分け隔てなく降る。
眼を覚ます度に、夢ではないと実感する日々を送っている。
「‥‥‥こんな所に居たんだ。志津さんが探してたよ、四郎」
大鳥城の北側に建てられた物見櫓を上ってみる。
その中に求める姿を見つけ、声をかけるも、こちらに一瞥をくれるだけ。
「‥‥‥」
「無視ですか」
機嫌が悪そうでもないしどうしたんだろう。
‥‥‥ああ、そうか。
「‥‥た、忠信?」
まだ少し恥ずかしいけれど、彼の諱を口に乗せる。
気をつけてるんだけど、ふとした拍子に馴染んだ名を呼んでしまう。
そこでようやく四郎、もとい忠信は、私に呆れた眼を向けた。
「風が変わったから、確かめに来たんだ」
「風?昨日から全然吹いてないじゃん」
首を傾げる私に「その風じゃない」と口の端を上げると、徐に忠信が腰を上げた。
「行くよ。志津が俺を探してるのって、客人が来たからなんだろ?これ以上待たせるのも悪い」
「え?うん、誰かまで聞いてなかったけど。よく分かったね」
「その客人、三郎兄上だ」
「‥‥三郎くん!?本当?」
「言っただろ、風が変わったって」
その『風』って、予感みたいなものなのかな。
聞いても良かったけれど、その前に手を覆う力強い熱に、頬が緩んだ。
「あと、知らない女を連れてた。少なくとも舘の山の住人じゃないな」
「三郎くんが?お嫁さんを連れて帰ったとか」
「あんたそれ、本気で思ってる?」
「‥‥‥だよね」
緩やかに流れる時間。
忠信に触れ、忠信に触れられて、愛おしい。
本丸に入った途端、パタパタと足音を立てて志津さんが走り寄った。
「四郎様!お探ししていたのですよ。楓様が見つけて下さったのですね」
志津さんだけでなく城中に仕える人達が皆、あの日から私を「楓様」と呼ぶ。
今迄は「楓」と呼び、仲良くして貰った先輩女房さんや兵士さんも居るから、どうにも申し訳なく思ってしまう。
身分も持たない私が様付けで呼ばれるのは遠慮したかったけれど。
『あんたは毅然としてなよ。その方が皆も落ち着く』
胸を張っていろ、と。
敬意を拒否するのは仕える人達を困惑させるから、と彼は言う。
その引き換えに忠信の隣に居られるのだから、慣れなくては仕方ないんだけど。
「ごめん。志津、父上と母上は大広間に?」
「ええ。お客様がお見えです」
「分かった」
志津さんの前を通り過ぎながら、忠信が頷いた。
「さっさと行こう。面白いものが見られるから」
「面白いものってなに?」
「秘密」
こちらに視線を向け、唇の端を微かに持ち上げる。
最近こんな表情を目の当たりにすることが多くなった。
大抵が、私をからかう時に見せる顔なんだけれど。
平泉の建物と違い、無骨な感じのする板張りの廊を少し進めば、そこは大広間。
公的な謁見や、文を携えた使者を出迎えたりする場所。
基治さん達の私室に呼ばれることが多い私には、あんまり縁のない部屋。
「父上、忠信です」
「入れ」
上座から入室を促す声。
すると基治さんの正面、つまり私達に背中を向けて座っていた人物が、弾かれる様に振り向いた。
忠信の言う「見知らぬ女の人」の姿は室内にない。
何処か別室にでも控えているんだろうか?
「忠信!!」
「お久し振りに御座います。ご息災の様子、何より」
「御託は良い。報せを聞き驚いたぞ!一体どうしたというのだ?」
隣の私には気付かないのか。
三郎くんは立ち上がったかと思うと、忠信の襟を掴み上げた。
凄い剣幕だけど、何を怒ってるのか私にはさっぱりだ。
「あれですか。もうお聞き及びとは、平泉の情報網は優秀ですね」
「ばっ、馬鹿者!母上からの使者が来た故知っただけだ!どういう事だ、お前が妻を娶ったと聞いたが!」
「そのまま事実です。兄上が帰還なされた際にご報告しようと思っていましたが」
三郎くんの凄まじい勢いを、さらりと受け流した。
常盤色がどこかからかいを含み、きらりと光る。
もしかして忠信、楽しんでる‥‥?
「私が言いたいのはそうではない!」
城中に響きそうな怒号。
片や怒ってるし、片や楽しそうだし。
上座にはこの光景を止めることなく二人を見守る主夫妻が、やたらと上機嫌だし。
一体どうしちゃったんだろう。
「忘れたのか?平泉を去る前、お前は金輪際誰も娶らぬと云ったではないか!私は、お前が楓殿を忘れられぬからだと、思───」
「楓だからです」
「‥‥‥っ、は?」
「ですから、娶ったのは楓だと申しておりますが、兄上」
忠信が若干声を張ると、我を失い掛けていた三郎くんの顔色がみるみる戻っていく。
それから意味を判別しかねるといった表情で、ゆっくり顔をこちらに向け、
「‥‥‥‥‥‥」
絶句した。
「‥‥えっと、三郎くん?やっほー」
「‥‥へ、あぁ‥‥へぇぇえっ!?」
「三郎、そう大声を出しては楓が驚いてしまいますわ」
「え、あ、はい、母上!すみません楓殿!‥‥‥ええっ!?か、楓殿!?」
「乙和も酷じゃのう。忠信の婚姻を教えながら、相手の名を伏せて置くとはの」
「ほほほ。面白い‥‥いえ、三郎の喜ぶ姿を見たかったのですわ。それに、文では誰の目に触れるか分かりませんもの」
ああ、三郎くんが放心している。
忠信の言っていた『面白いもの』って、きっとこんな三郎くんだ。
この人達は本当にもう、何だかなぁ‥‥。
「‥‥‥楓殿、だったのか」
やや間が空いて、三郎くんが息を吐く。
瞼を閉じて、安堵したように、それとも感慨深いのか。
深い深い溜息に、私の眼が潤む。
「うん。三郎くん、迷惑かけてごめんね」
この人にもどれだけ負担を掛けたのだろう。
私が消えた時、彼の声が聞こえていたから居合わせていた筈だ。
とても優しいお兄さんだから、きっと忠信の事も心配していたに違いない。
膝の上でぐっと握り締められた拳を、私は両手で包んだ。
少しでもその心が解れるようにと思いながら。
「‥‥迷惑な筈はありません。今一度貴女にお会い出来て、嬉しく思います」
ぴくりと一瞬固まった三郎くんは、だけどいつもと違い赤面することなく、柔く笑う。
うわ‥‥可愛い。
「四郎を頼みます。楓殿で良かった」
「‥‥っ、これからも、宜しくお願いします」
「はい、こちらこそ」
空いた一方の手が、私の手を更に包む。
何度も私を包んでくれたあの笑顔で。
じっと見つめられて何故か私のほうが照れてしまう。
隣から無言の視線をびしばし受けるけど、三郎くんの手は離れなかった。
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