夕刻も近付き、城に戻った私達は、実に居心地の悪いお出迎えを受けた。
朝、揃って城から出る時を思い出すと、ちょっと想定はしていたけれど。
志津さんや城内の人達の私達に向けられた視線がどうも、その───何と形容していいか分からないもので。
「お帰りなさいませ、四郎様、楓」
「し、志津さん‥!!」
そう今と同じ、満面の笑顔。
四郎の手を借りて馬から降りる私を見ている。
普段は厳しい人があんなに笑うと少し怖い、なんて思ったのは内緒。
そして、志津さんの隣で同じ笑みを浮かべている人の姿に、びしりと固まった。
「‥‥何故そこにいらっしゃるのですか、母上」
まさか城門に入ってすぐ、乙和さんに会うなんて。
流石の四郎も呆れ顔。
「うふふ。我が子の晴れの日ですから、出迎えるのが母の勤めで御座いましょう?」
「晴れの日?四郎の元服の儀式‥‥は済ませてるよね」
「馬鹿か。俺は幾つに見えるわけ」
首を傾げて隣を見遣れば、近くに侍る小姓に手綱を預けながら、憮然とした面持ちで見下ろす。
いや、私も四郎が成人していること位分かってるけど。
じゃあ、晴れの日って何だろう。
「‥‥あ、もしかして三郎くんが帰ってくるとか?」
尋ねると、乙和さんはゆるりと首を振った。
「いいえ。佐藤家に新たな一員を迎える事が叶い、喜ばしいの。ねぇ、志津?」
そうなんですか、と頷きかけてひとつ単語が引っかかる。
「ええ。本日ばかりは私もお小言を辞退させて頂こうと思う程には」
「‥‥母上、志津。まさか」
先に何か気付いたらしく、四郎が心底嫌そうな声を出した。
三人が、いや、その場に控えていた衛士や小姓や果ては女房の人達の視線が、一斉に私に向かう。
「えーと‥‥なに?」
「楓、四郎様。此度は誠に御祝着に御座います」
ごしゅうちゃく?
ええと、御祝着って書く筈だから‥‥‥‥。
「し、志津さんっ!ななな何を‥っ!?」
「ふふ。三郎も四郎も潔癖で奥手な所は基治様似ですものね。あの方には昔、随分やきもきさせられた揚句、痺れを切らした私が無理矢理押し倒しましたけれど」
どさくさに紛れて何を暴露してるんですか乙和さん!
「俺はただ機会がなかっただけで、兄上や父上とは違います」
「そうかしら?御曹司から奪ってみせるかと期待しておりましたのに。ともあれ、自力で花嫁を迎えられるか心配致しましたが、母は漸く安堵出来そうですわ」
花嫁とか、御曹司から奪うとか。
さらりととんでもない発言を聞いた気がするけれど、当人達は受け流しているので私が口を挟めなくて。
「確か、楓なら宜しいのでしょう?四郎」
「え?え‥‥ええっ?」
「‥‥‥母上」
「あら怖いお顔。‥‥昼間は、二人でどちらへ行っていたのでしょうね?」
「ほほほ。町人達が噂しておりましたよ、昼間の一件を」
「!?」
乙和さんに、続いて志津さんまでがとんでもない事を口にする。
み、見られてた!?
「兎に角、中にお入りなさい。基治様が城中で待ち侘びておりましょう」
「‥‥まぁ、いいけど。行くよ」
ぴしりと石の如く固まった私の手を、乙和さんが引いて。
耐性がついてるのか、言い返す事を早々に諦めた四郎が反対側の手を握った。
───その後の騒ぎはよく覚えていない。
基治さんの「今宵は目出度き日ゆえ大いに振舞うが良い!」の音頭と共に、城中のあちこちで宴会が始まった。
月が中天に差し掛かった頃、程よく酔った基治さんを見遣って、四郎が私の手を取った。
「抜けるよ」
「抜けるって‥‥‥ど、何処に?」
「二人になれる場所」
私にだけ聞こえる声と、その内容に大きく眼を見開いた。
そんな私をちらりと見て、無言で手を引いて行く。
二人になってどうするの?
男の人達だけでなく、志津さんを始め女房の人達も相伴を許されたらしい。
城内のあちこちで笑いさざめきながら杯を交わしている。
「楓!帰ってきたと思ったら‥‥おめでとう!」
「四郎様もやりましたなぁ!」
「里帰りしてたんですって?帰って来るのを待ってたんだけど、いきなり四郎様の北の方になってるもの」
「本当驚いたよ。こいつ、楓を狙ってたのにさ」
「‥‥ふぅん」
「馬鹿!言うなよ!し、四郎様、こいつの戯言ですから!」
あちこちから声が掛かる。
陽気に騒ぐ皆に適当に相槌を打ちつつ、四郎と私は長い廊を歩いた。
何処へ行くの?とは私も聞かない。
だって、向かう先が彼の自室だと知っているから。
そこで始まるのが何なのか、覚悟が出来ていないわけじゃない。
だけど‥‥繋いだ手から心音が伝わりそうな位、鼓動が高鳴っている。
部屋に着くと、既に褥の準備がされていた。
見慣れた夜具が妙に艶めかしく見えてしまい、慌てて眼を逸らすしかなくて。
「あのさ‥‥何故そんな隅に座るわけ?」
「えっ!?あ、あはは‥っ」
「話出来ないんだけど」
思い切り距離を開けようとした私に、四郎は不愉快そうに眼を細める。
意識しているのは私だけ?
四郎は何とも思ってないんだろうか。
「そ、そうか!話、あるんだよね?」
所在無く視線を彷徨わせば、頷く気配。
ああ良かった、本当に話があるんだ。
てっきり話なんて口実で、実は‥‥なんて思っていた事を心の中で反省する。
気分を変えよう、と私は四郎の話に耳を傾けることにした。
「‥‥昼間の続き」
「う、うん」
「俺は楓以外の女を側に置くつもりはないから。側室も持たないと誓う」
優しく眼を細め微笑んだその表情に、込み上げるのは愛しさ。
「楓を離す気もない。だから、俺の正室になってよ」
前 *戻る* 次