「あ」


戸口に立つ三郎くんに私が気付いた時、既に遅し。
赤面している彼の様子から忠信との会話は筒抜けだったようだ。


「う‥‥‥ごめん!え、遠慮せず入って!」

「申し訳ありません!立ち聞きするつもりはなかったのですが‥っ」


お互いに何について謝っているか定かでない慌てっぷりを披露しつつ、隣でクッと吹き出した確信犯をじろりと睨む。

別に触れ合ってたり好きとか愛してるとか言った訳でもないけど、少し恥ずかしいじゃない。


「では失礼致します。さあ、さくら殿」

「‥‥はい」


三郎くんに促されて澄んだ声が返ってくる。
静まった城内にそぐわない、柔らかな女性のもの。
薄闇から姿を現した声の持ち主が優雅な仕草で三つ指を付く。


「さくらと申します。四郎様にどうしてもお目に掛かりたく、無理を承知で三郎様にお願い致しました」


言って、顔を上げる。

ふんわりと波打つ長い、栗色の髪。
三郎くんよりも明るめの色は、彼女に良く似合っていた。

漆黒の瞳は丸くて、栗鼠とか子馬のような柔さ。
だけど今は警戒しているのか少し怯えていて、益々小動物みたいな印象を与えている気がする。

そう、一言で表すなら『可愛い』女の子なのだ、さくらさんは。
女の私ですらぼうっと見惚れてしまう様な美少女。

「前置きはいいから入れば」


口をぽかんと開けたまま言葉もない私を余所に、素っ気無く入室を促す声。

‥‥‥初対面なんだからもう少し愛想を振ろうよ、忠信ってば。





折り目正しい挨拶の後、さくらさんの口から紡がれた真実。


「若桜は、私の姉で御座います」


やっぱりそうなんだ。

三郎くんから「合わせたい人がいる」聞いた時、何となく想像が付いていたから。
揺らぐことなんてない。




若桜さんは御曹司の『側室』を殺害した重罪人で、さくらさんはその身内である以上、この城内を歩く事を許されていないのか。
それとも、遠慮しているのか。

その『側室』の実家だと言われている大鳥城内を、白日堂々と歩けない。
だから、夜目を忍んで会いに来たのだろう。


「四郎様には、此度の姉の罪を何としても償いたく思い、三郎様を脅してまで同行させて頂きました」


うん?今、物騒な単語が‥‥。
いや、まさかね。


「‥‥‥」

「お許し頂けるなど露程も思っておりません。如何様にも罰は受けます。腹を切れと仰るなら切る所存です」

「さくら殿!それは断じてならぬと約束した筈でしょう!」

「‥‥三郎様」


強く静止した三郎くんに穏やかに笑いかけるさくらさん。
眼差しがその一瞬だけ、緩む。
弱さと切なさを宿して。
──優しく。

それは瞬きの間に泡沫の如く消えたけれど。


「ですが。その前に、どうか話をお聞き下さいませ。私の知る全てをお話し致します」


話。


恐らく、若桜さんの話。

私を手にかけた人の、話。


「‥‥‥っ」


思わず声が上がりそうになるのを、膝に置いた両手をぐっと握り締る事で堪えた。

聞いてどうするの。
そう思う私は、やっぱり許せていないんだろうか。
時折浮かび上がる、恐怖にも似た感情。

それらが蘇って、身体を震えさせた───その時。


「無理するな」


隣だから聞こえる小さな囁き。
さっきから一言も喋らない忠信が、私の手を握ってくれた。

私が此処で首を振れば、恐らく忠信はさくらさんを帰すだろう。


「‥‥ありがとう」


そんな優しさが嬉しい。

ありがとう。
大丈夫、この手が支えてくれるから。



「いいよ。話して」

「っ!有り難う御座います!」


忠信の返事を聞き、涙を堪える漆黒がとても綺麗だった。


「私の家は代々平泉で薬師を営み、藤原様の典医を勤めております。早くに母を亡くした私を哀れに思った父が新たに迎えたのが、今の母と姉です」


若桜さんとは連れ子。
言われてみれば二人共すごく綺麗だけど、全く似ていない。


「父に出逢うまで、義母と姉は白拍子として細々と生計を立てていたそうです。家は平泉でも裕福なのでしょう。生活に困らなくて嬉しいと、私のような可愛い妹が出来て幸せだと、姉はよく笑っていました」

「‥‥優しい人だったんだね」

「はい。奥方様の仰る通りで御座います」


うん、わかる気がする。

さくらさんは私の正体に気付いてない様子なので、それ以上同意することはなかったけれど。


風邪を引いて寝込んだ時、徹夜で看病してくれた。
薄着で外出しようとした私に、火鉢で温めた羽織をかけてくれた。

心の底では私を憎んでいたとしても‥‥‥あの時の優しさまで疑う事なんて出来ない。


「九郎様がふらりと訪れたのは、四年前。父が遠方の診察に出かけていた日のことです」


さくらさんが淡々と言葉を紡ぐ。

道で行き倒れていた行商人を抱えて訪れたのが、御曹司だった。
丁度その日は家人も出払っていて、姉妹しかいない時のこと。
医療の心得があるさくらさんが行商人を診察して、治療が終わるのを待つ御曹司の相手をしていたのが、若桜さん。

二人はそうやって出合った。
その時彼が名乗ったのが『九郎』だったらしい。


「私も姉も気付いておりました。あの方が身分ある御方だと。町人の身形をしても、御身を纏う気品だけは隠せません」

「‥‥うん」

「身分違いだと私は何度も姉に諭したのですが、もう遅くて‥‥‥姉と九郎様は、恋に堕ちていました」


身分が違っても、他に通う女が居ると知っていても。
それでも、一途に慕っていた。
悲しいほど、想っていたのだと、語る。

実際彼女は瞬く間に綺麗になったのだと。

そこまで一気に話すと言葉を区切り、俯いた。


「‥‥‥ですが、幸せな日は一年も続きませんでした。九郎様の訪れはぱたりと遠退き、それと同時に、町ではある噂が広がったのです」


それは、『御曹司が平泉の姫を迎えるらしい』との噂だった。


 

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