神様、というと何だか、記憶の中の御曹司とは想像つかない。
私が知っているのは、平泉で平和に生きながらも何かを求めている、女の人と遊ぶのが大好きな御曹司だけだ。
セクハラなくせに、妙に優しい、そんな人。
その後の彼の歴史は、本に書かれた文字でしか知らない。
だから目の前にいる『義経』を私は知らないし、義経を神様だと言う根拠も曖昧だ。
ただ佐藤兄弟や他の家臣達と違い、彼は宇佐美八幡宮を『氏神』に持つ、源氏だった。
八幡宮は、今でも日本の各地に社があるほど広まっている。
神様に勢力なんて言葉は不敬かもしれない。
でも、それだけ日本に根付いた信仰なのだと思っている。
今でも軍神として崇められている源氏の義経なら。
神様になっていても不思議じゃない。
それに、最初に出会った『サザンクロス』のあった場所。
あそこは六甲八幡神社のすぐ近くだった。
八幡神社、つまり八幡宮の神域だと考えるなら話は簡単だ。
だから彼は、私に会いに神戸までやってこれたんだと。
そこまで、想像していたんだけど‥‥。
暫くの沈黙の後、御曹司が声を上げて笑い出した。
「‥‥‥相も変わらず、楓らしい発想だ」
「えっ!?あれっ、違った?」
「そもそも神になった覚えなどない。それは後世に生きる者が描いた物語だ」
私の読んだ本は色々で、ひたすら鎌倉初期のものを漁ったからジャンルもばらばらだった。
吾妻鏡、平治物語や源平盛衰記、義経記。
他にも歴史小説も手にとってみた。
確かに彼の言うとおり、義経の死後何百年の間にあらゆる伝説が生まれ、実像を離れた多くの物語が作られた。
その中で、神様の位置にまで昇っていても不思議は無い。
「強ち間違えてはいないがな。確かに私は八幡神の力を借りて存在している。それ故に平泉から離れたそなたを迎えにゆけた」
ただ、と御曹司が続ける。
「ただ、そなたの望む忠信でなく私が此処に居るのは、そなたと私との縁が深いゆえ」
「‥‥縁?」
それって、私と御曹司が許婚だったから?
だから縁が生まれた?
四郎よりも?‥‥‥なんだか、それって複雑だ。
聞きたくても、答えてくれないことは、その顔を見れば誰でも分かる。
「縁ゆえに結んだ約束を、果たす為に私は眠り、ずっとそなたを待っていた」
「‥‥約束って」
ふと、思い出す。
そう言えば初めてこの人と会ったときも、同じ事を言っていた。
───約束を果たしに来た
『約束』
まさか、と淡い期待を抱く。
まさか。
その約束を交わした相手って‥‥。
「‥‥誰と?」
「言えぬ。言わぬのも約束の内だ」
普段なら此処で、意地悪、と言っている。
けれど今はそんな軽口も叩けない。
心臓が、焦燥を覚え始めていた。
何故なら、
「──っ!?ちょ、身体が‥!!」
「ああ、時間が来たか」
御曹司の身体が───薄くなってきている。
さっき会った時には確かに実体に見えたのに。
それが少しずつ透けだしていると気付いたのは、情けないことにたった今だ。
言わば幽霊とか、そんな類の。
小さなお堂の輪郭を、さっきよりも濃い茜色が包んでいた。
もうすぐ太陽が沈む。
御曹司の輪郭のみを浮き上がらせ、身体を通過しなかった茜色の光。
それが今では、身体越しにもその色を鮮やかに訴えている。
「『時間が無い』って、言ってたのはっ‥‥!?」
「ああ。私の存在は、もうすぐ消える」
「消える‥‥って!」
ああ、助けてくれたから。
きっと力を使いすぎたんだ。
「もう会えないの!?」
「逢えぬ。もう、力が残っておらぬ」
消えかけて。
神戸まで来る力もなくて。
だから、此処で待っていた。
最後の力で私を呼んだのかもしれない。
「最後に今一度、尋ねよう。──全てを捨てる覚悟はあるか?」
「あ、───」
もう、身体越しに向こうの景色が見える。
光に包まれて、御曹司が今笑っているのか真面目なのかさえ判別が付かなくなっていた。
───本当に、最後。
その瞬間口走った言葉に、これから先ずっと罪悪感を覚えるかもしれない。
なんて酷いのだろうと、落ち込むだろう。
だけど‥‥‥絶対に、後悔はしない。
ただ、逢いたい。
「お願い!私を連れて行って!」
その瞬間、視界が真っ白な光で溢れて。
強烈な力が身体を引っ張ってゆく感覚に、襲われる。
お父さん。
お母さん。
薄情な娘でごめんなさい。
ごめんなさい。
もう一度だけでも、逢いたいの。
たとえ叶うことがなくても。
結ばれる未来なんて、なくても。
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