昔、御曹司に連れて来られた時は、ドアを開けると世界が変わった。
だけど今は、消えかけた御曹司の手を取った瞬間、眩しい光に包まれている。
目も開けていられないほどではなく、けれど視界を白に染める。
真っ白で──暖かな光。
何故だろう。
涙が零れる。
私を包む光に、御曹司のものとはまた違う優しさを感じて。
いつの間にか御曹司の姿は消えていて、気付くと私はひとり、一層強い光の方へ向かっていた。
目指すべきはそこなのだと、本能が告げるままに、走った。
そこに行けば、会えるよと。
光のカーテンが捲られるように、視界が再び変わった。
白から、緑へ。
「ここは‥‥‥っ?」
全身の力が抜けて、その場にへたりと座り込む。
晴天の空。
足元に続く若緑の草。
奥に見えるのは深緑の森。
それにこの、懐かしい風の匂い。
初めて来た時と同じ。
あの、草原。
恐る恐る手を伸ばして、地面に生えた緑の芽に触れる。
新緑の濃い香りと、若々しい葉の感触と、朝露に濡れる指先。
それなら、ともう一方の手で頬を抓ってみれば、やっぱり痛くて。
‥‥‥夢じゃない。
此処はきっと、ううん間違いなく、舘の山。
「‥‥帰、って‥きた‥‥っ」
その証拠にほら、目頭も熱い。
じんじんと熱の残る頬から手を滑らせ、滲んだ涙を拭った、そのとき。
ざかざかと草を踏みながらこちらに駆け寄る、足音が聞こえた。
‥‥まさか。
期待を胸に顔を上げる。
けれど近付くにつれ、当の人物が想像していた姿とは違うことに気付く。
違うどころか、全然かけ離れていて。
会った事のないのは勿論、町人や武士といった風体でもなく。
どちらかと言えば、盗賊とか山賊とか、そんな感じの。
何となく、一人で座り込む女に良心的な行動を取らないだろう。
これってヤバイんじゃないだろうか?
のんびり観察してる場合じゃない。
腰を上げた私は男と目が合ってしまい、その瞬間にんまりと面に笑みを刷く。
「おい!こんなとこに女がいるぞー!」
「っ!?」
「本当かっ!?今行く!」
がさがさとまた足音がして、草の陰からまた男が現れた。
浮かべるのは同じ、下賎な笑み。
「見ろ。妙な格好をしてるが、上玉じゃねぇか」
恨むのは筋違いかもしれないけれど、あんまりなタイミングに御曹司を恨みたくなった。
これは幾ら私が望んだとはいえ、あんまりだ。
「違いねぇ。お嬢ちゃん、此処は物騒だぜ?教えて貰ってないのかねぇ」
「俺達みたいな親切な奴がいるって限らないんだぜ?」
「‥‥」
どくん、と緊張が面に走る。
ヤバイ。逃げなきゃ‥‥。
でもどうやって?
周りの高い木々で、離れた所にある筈の建物が見えない。
今の私には、正確な現在地さえ分からない。
そして手元には弓はなく、武器になりそうな物すらない。
例え手にしていたとしても、男二人を相手に勝てる様な腕前ではない。
つまり、隙を作るなんて不可能。
「家出か?俺達がもっといい所に連れてってやるぜぇ?」
「ああ、いい思いをさせてやるぜ」
どうしよう、どうしよう。
頭が真っ白になって、何も考えられない。
私の顔に恐怖が見えたのか、男達はニタリと口元に歪んだ笑みを刷く。
下卑た哂い。捕まればどうなるか、簡単に想像が付く。
じりじりと、座ったまま後退すれば、嬲るかのように男達も一歩、前に進む。
「可愛がってやるよ」
「─っ!?離してっ!」
「痛っ!なっ、何しやがる!!」
男の一人が手を伸ばしてきた。
──このまま、逢えないまま、彼らに捕まって終わるなんて。
いっそのこと‥‥!
と思い切り腕を振り払い、意を決し顔を上げた、瞬間。
「ぐぁぁあっ!?」
その男がいきなり絶叫を上げて地に伏せた。
背に刺さるのは一本の槍。
見れば誰かが馬で駆けて来ていた。
あの位置から槍を放ち狙いも定まるなんて、凄い。
「な、なんだお前!?──っぐ、っ!!」
もう一人の男が声を出す間に距離を縮めた馬から、真っ直ぐに描かれる白い軌跡。
馬上から斬り付けられた男の腕から血が滴り落ちた瞬間、男は戦意を喪失したらしくへなへなと腰を抜かした。
馬で駆りながら随分離れた場所から槍を投げ、それから腰に佩いた太刀を抜き、男達の命を奪うことなく戦意だけを喪失させる。
並みならぬ腕の持ち主だと、戦いを知らない私ですら思う。
助けてくれた人物の顔が、丁度逆光になっていて見ることは出来ない。
けれど──。
「大丈夫?あんた怪我は、──‥‥っ!?」
この、声。
忘れるはずのない、声。
瞼が震えた。
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