目の前で膝をつく御曹司は辛そうだ。


もしかしたら、思う。
私が生きて姿を見せなければ、此処まで思い詰めなかったのかもしれない。
再会を喜ぶよりも、罪を目の前に突きつけられたと、そんな風に思っているのなら。
それはとても悲しいと思った。


今、どんな気持ちを抱いているんだろう。

確信できるのは、この人はずっと前から知っていたんだろうということ。
忠信の『妻』が、私なんだと。


───ふと、気付き私は辺りを見渡す。
大通りと言えど武家邸の立ち並ぶ奥まった地域からか、普段からこの時間帯は人の気配があまりない。
とはいえ皆無でもない。なので無人なことにほっとする。

女相手に土下座してるなんて知られたら、御曹司の名が傷付きかねないもの。


とにかくいつ人が通るかも解らない。
早々にこの状況をどうにか打破しなくては。


「御曹司がそんな風に思うことなんて何もないから。ね、立って?」


再度言っても動かなかった。


「立てぬ。己の罪ならば、己自身が充分理解している」


頑固な人だ。
しょうがない。


「ああもう!いいから立つ!」


やれやれと息を吐きながら御曹司の腕を引くと、大人しく立ち上がる。
だったら最初から立ってよ、と思ったけど言わないでおいた。


「私に悪いと思うなら尚更、土下座なんてやめてよね。後味悪い」

「‥‥‥あ、ああ」


何故だろうか。
あの御曹司がしゅんと耳を垂らした大きなわんこにしか見えない。
ちょっと可愛い。
こうなるとまるでペットと飼い主‥‥‥いやいや、流石にペットは失礼か。
弟を見守る姉の気分に近い。

そういえば、何気なく母性をくすぐるタイプだった。
久し振りだから忘れていたけれど。


「いい?平泉でのことはね、あれは私が招いたんだよ」


燦々と陽光が降る中、私は幾分か和らいだ口調で話した。

まだ整理できていない思い出は、まだ痛みを訴えている。
だから本当はあまり口にしたくない。
でも、今は別だ。
私よりずっと痛みを抱えている人がいる。


「彼女を庇うつもりはさらさら無いよ。でもね、自業自得な部分もあるって今なら思う」


自分を遠くからもう一人の自分が見ている。そんな不思議な気分。


「御曹司は知ってたでしょう?私があの時どんなに自惚れていたのか」

「‥‥‥そなたは自惚れてなどおらぬ」


ふと、御曹司の瞳が揺れる。

それは優しくて、真実じゃない言葉。
私を護ろうとする言葉だ。


「ううん。実際に自惚れていたよ、私は」


本当は御曹司だって知っていた。
私の浅慮さを、とうに。


「私はちゃんと知っていたの。私が御曹司の『特別』な存在だってこと。側室の話が出る前から、ずっとね」


過ぎ去った日々は、短い言葉で片付けられるものじゃない。

辛いときもあった。
どうして、って思ったときもあった。
でもそれ以上に私が幸せだった平泉での一冬。
それは決して孤独じゃなかったから。
忠信や三郎くん、西木戸さんと、それから‥‥‥御曹司がいて。


「あなたは私を大事にしてくれた。困った時に手を差し伸べてくれた。他の人を好きだと言った私を、それでも知りたいって言ってくれた。決して恋の対象に見れなくても、未来の伴侶として大切にしようとしてくれた」

「‥‥‥だが、そなたを守れなかった」

「守ってくれてたよ、ずっと」



───八百年以上も先の未来まで。



恋じゃなかった。
御曹司も、私を女として見ていない。
だからこそ、『特別』。
身内のような安心感を抱けるであろう、ただ一人が私だと思っていた。
隣で自然に笑ってくれるからそう確信した。
他の女の人には決して見せない、少年みたいな笑顔を見せてくれた。

‥‥‥そんな私は、御曹司を好きな女から見れば、さぞ邪魔だっただろう。


「私を受け入れてくれた御曹司の存在は救いだった。それに縋ったのは私。だから恨みを買うのは当然なの。今なら解るよ、どれだけ自惚れて‥‥‥考えが浅かったのか」


もし、逆の立場だったら?
忠信が、私以外の人に心を明け渡している姿を見たら?
その人が、忠信と『結婚』するんだって知ったら?

ほら、想像しただけで苦しい。
醜い感情だって分かっている。
それでも、思い詰めてしまえば相手に殺意だって向けてしまうかもしれない。


「楓‥‥‥」


苦々しく名を呼ばれ、顔を上げた。

残暑の日中には似合わない、静かな微笑を浮かべるこの人は、やはり私の傲慢さに気付いていたみたいだ。

いま私の口が止まらないのも、御曹司への赦しに見せかけた『懺悔』だってことすらも。


「あの時は忠信で頭が一杯で、御曹司の事なんてちっとも考えてなかったからね。早い話が、油断してたの」


言い切ると、御曹司が若干呆れた眼をした。


「‥‥‥忠信しか想っておらぬのは知っていたが、そうまで言い切るとは」

「先に腹割って話してくれたのは御曹司でしょ。だから私も本音で応えたの」

「そうか。ならば仕方あるまいな」

「だね」


思わず笑った私を苦笑で見下ろすのは、何処か儚げな笑みを浮かべる人。
いつも飄々として女好きで、心根の優しくて。
‥‥‥こんな風に笑う人じゃなかったのに。

二年の月日は、彼を変えてしまったんだろうか。


「楓は、強くなったな」

「これでもお母さんだもの。あ、うちの子可愛いんだよ!よく笑うんだけど笑った顔がまた溶けちゃいそうにに可愛くてね!大鳥城の皆が言うには父親似らしくて、将来がもう楽しみで楽しみで!」


髪と眼が私と同じ色で、顔立ちが小さい頃の忠信そっくりな我が子がどんなに可愛いか。
突然眼をきらっきらに輝かせて語りだした私の勢いに、御曹司がちょっと引き気味だ。

ええ、分かってます。
親バカですとも。
離れている分、思慕が募りに募って親バカに拍車かかってますが何か?って状態だ。
普段は忠信としか四郎の話は出来ない。
だから、他の誰かに話せることが余計に嬉しかった。

‥‥‥例えそれが勢いに押されて上体を反らした相手でも、うん。


「そ、そうか。父似でなくともそなたの子ならば、立派な美丈夫に育つと思うがな」

「お世辞でも嬉しい。ありがとう」

「世辞ではないが‥‥‥。ああ、名は確か四郎だったか」


名前も知っていてくれたのか。

平成で生まれた私には、父子で同じ名前ってどうなのと最初は思ったものだ。
けれど、馴れれば意外にややこしくない。


「四郎ね、最近寝返りを覚えたらしいの」


ころころと転がって可愛いのなんの。
城中で誰が四郎を笑わせるのか競ってる。
今では『ばばさま』が一番上手だ。
しかしその内『じじさま』が幸若舞を習得して笑わせてみせる───そんな空すべりな意気込み付きの手紙が来たのは三日前。

その手紙の内容を教えてあげると、御曹司が笑った。


「それはいい。基治殿が踊れば、格式高い幸若舞も猿楽になりかねるな」

「褒めてる?」

「無論。いつか見てみたいものだ」


造作もなく告げられたそんな言葉に、見せてあげたいと心から思った。

見たらきっと、御曹司も子供が欲しくなるよ。
跡継ぎとしての子ではなく、純粋に愛情を注ぎたくなる我が子という存在を、欲しいって。

そうなるといい。
孤独じゃないと感じる瞬間って、泣きたいくらいに幸せなものだと思うから。


「‥‥‥やっぱりね、我が子と再会した時、恥ずかしくないお母さんでいたいなって思ったの。後悔しないように頑張りたいんだ」


いつだったか。
似たような言葉を、忠信も口にしていた。


───四郎が元服した後に、俺の名が足を引っ張るような真似だけはしたくないんだ。


あの子には胸を張って生きていて欲しいと願うのは、私も忠信も同じだ。


「‥‥‥そうか」


眼を細めた御曹司の手が、私の頭に触れる。
平泉での冬、迷子になった私にそうしてくれたように。
頭に積もった雪を落としてくれたあの日の手と、変わらない熱。

懐かしさと、ほんのりと切なさに私は眼を細めた。


「帰ろう、御曹司」


───変わらないものも確かに此処にある。
それが嬉しい。


「邸で忠信と三郎くんが御曹司を待ち侘びてると思うし、弁慶さんも先に帰ってるんでしょ?」

「そうだな。───忠信も、何時までも物陰に潜むのは退屈であろう?」

「人聞きが悪い。邪魔しないよう此処で待っていただけですが」


御曹司の言葉を、聞きなれた声が返した。



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