『それでも私は、御館が繋いだ相手がそなたで嬉しい』





言いたいことも、あったのに。
あれからのことを沢山聞きたかったのに。

思い出すのは、とても大事にして貰った懐かしい日々。

ふとした時に細められる眼差し。


───濃紺の夜空のような、広く、優しい人。













「久方振りにございます。この九郎義経、義姉あね上のご尊顔を拝謁したく参りました」

「‥‥九郎殿。堅苦しい挨拶は無しって何度言えば分かるの?」

「それは‥‥‥。ですが、姉上ほどの輝かしくも美しい女性を前に平然と構えられる男など居りませぬ。私も然りですが」

「おほほ、変わらずの口達者ねぇ」

「私は事実を申し上げたまで。ああ、義姉上は相変わらず信じてくださらない」


‥‥‥全然変わってないな、この人。


これでもその姿を見た時は、礼を忘れて見つめたのだ。
進められるまま下座に腰を降ろし、まず政子さんを褒めて。
おほほ、ははは、と笑いさざめく義姉弟のコントを見ながら、私はちょっとだけ呆れた。
そうそう、この人は女と見れば口説く人だった。

変わっていない。

さり気なく一瞬だけ視線が合った瞬間、瞳の中に過ぎる暖かさもあの頃のまま。

そのままの、御曹司だ。


「まぁ、それでは三河国まで?あの辺は山賊や夜盗の類が現れると聞いているけれど、よく道中無事だったわねぇ」

「ご心配には及びますまい。弁慶と町人に身をやつしたのですが、誰一人襲い掛かって来ず、寧ろ私はむさ苦しい男との二人旅に息が詰まる心地でした」

「あらまあ、確かに九郎殿には酷ねぇ」


のんびりとした会話から察するに、どうやら御曹司と弁慶さんは三河国へ内偵に行っていたらしい。
三河と言えば愛知県の東部に当たる。

さっき政子さんが『御所さまとの面会はもう済んだかしら』と言っていた。
と言う事は、頼朝の命で出向いたんだろう。

───でも、何の為に?

普通だとこういった任務は専門の人が行う。
気配を消すことに長ける人、もしくは変装して周囲に溶け込むのが上手い人。‥‥‥『間諜』と呼ばれる、訓練を積んだ人の存在を聞いた事がある。
頼朝ならば間諜を抱えている筈だ。

なのにその役割を、源氏の棟梁の弟である御曹司が行ったという。

目的は何だろうか。

会話の中で、政子さんは詳しく尋ねなかった。
聞いた所で御曹司が答えるとも思えなかったからか、それとも政子さん自身が理由を知っていたからか。
それは私には分からない。


「そうそう、新しい娘が入ったの。九郎殿が来たら是非彼女を会わせてあげたくて待っていたのよ」


前触れもなく、唐突に政子さんが背後を振り返った。

新しい娘?ああ、私か。


「九郎殿はこの娘に会った事があるかしら?」


‥‥‥会った事があるも何も、一度は側室になろうとしていました。

なんて流石に言えない。
御曹司の元に嫁ぐ筈だった藤原氏の養女は、婚儀の日に死んだのだから。


「いえ、先程から気になってはおりましたが‥‥‥義姉上、此方の麗しき女房殿は?」


同じ様にこちらを向いた夜空の似合う人が、瞳をふわりと和ませた。
‥‥‥私相手に色目使わなくていいんだってば。
その甘い視線に呆れつつ、真っ直ぐに見返してやる。


「まあ、ではやはり知らなかったのね」


政子さんがひとつ頷く。


「九郎殿、この娘は佐藤忠信殿の北の方なのよ」

「楓と申します。お初にお眼にかかります、九郎義経様」

「ほう、貴女が忠信の」


御曹司に調子を合わせ、初対面を装う。

普通に『家来の妻』として面識があると言えばいいんだろうけれど、そうなると今度は時期を説明するのが難しい。

私が忠信と結婚したのは、御曹司が平泉にいた間だ。
いつ面会したのか‥‥‥いや、その程度は幾らでも辻褄つけられるだろうけど。

ただ単に面倒臭いのだ、私も。

何処で会ったのかと聞かれることが。


「忠信は果報者だな。あれより早く貴女に出逢えれば、決して誰にも渡さなかったであろう」


本当に全く変わってないな、この人。


「光栄です」


今更顔を赤らめたりなんてしない。
同じことを忠信が言ったなら、また反応も違うかもしれないけれど。


「そう、その眼だ。貴女の真っ直ぐな眼差しを見ていると、ある人を思い出させる」

「ある人、でございますか?」

「ああ。初恋の君を」


左様ですか。

くすりと悪戯を多分に含んだ笑みは、かつて何度も見た笑顔と同じだ。
さては御曹司、私の反応で遊ぶつもりか。


「まあ!」


ほら見てよ。

声が上がったんだけど。
政子さんと宇目さんの眼がきらっきらに輝いているんですけど。

‥‥‥どう収拾つけるの、これ。

呆れてることを視線だけで訴えると、どうやらそれは通じたらしい。
一層深く微笑した悪戯っ子が私の手を取った。


「君恋ふる、涙しなくは唐衣、むねのあたりは色燃えなまし───如何だろうか。貴女の心に私を留めてくれると嬉しいが。忠信の主としてでなく、男として」

「‥‥‥え?‥‥ええと‥」


誰かハリセン持ってきて。
スリッパでもいい。
色ボケ御曹司に思いっきりツッコミ入れたいんですが。

引き攣った笑いしか返せない私を楽しげに見遣るこの男を、視線だけで思い切り睨んだ。

ああもう!
政子さん達さえいなければ渾身の力で蹴ってやったのに!
勿論、急所だ。





君恋ふる 涙しなくは唐衣
 むねのあたりは色燃えなまし
(貫之・古今集572)
 「あなたを思う涙がなかったら、とっくに胸の炎は燃え上がっている」
 
  

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