政子さんの話相手は気が抜けない。
別に政子さんが気難しい人だとか、意地悪されている訳じゃない。
今をときめく源氏総大将の北の方という身分の高い人だが、元はと言えば伊豆の小豪族であった北条家の出。
普段は朗らかでよく喋る、とても気さくな人だ。
幼い頃に従兄弟達と一緒に叱ってくれた、伯母と大して変わらない。
伯母はこんなに綺麗な人じゃなかったけれど。

そして、怒ると怖い。

お仕事初日に私を『奥州からの間者』と呼んだ武士に対しての一喝に、理知的に叱る人なんだなと感心したけれど。
どうやら甘かったらしい。

何のことはない、あれは公人としての叱責だっただけ。

私人としての政子さんは、怒る時も素直だ。


「まったく、忌々しいったら!」


小御所に複数の慌しい足音と、明らかに政子さんの声が響く。
‥‥‥政子さんが帰ってきたらしい。

手が空いたので今まで世間話に興じていた先輩女房さんの後を追う様に、渡廊に出た。


「お帰りなさいませ、御台所様」


平伏とまではいかないものの頭を下げているので、顔色は伺えない。
でも、物凄く不機嫌オーラが溢れている。
最初に素の怒りを見た時は驚いた。今ではもう慣れたけれど。

恐らく原因はアレだろうな。
‥‥‥こっそり溜息を吐いた。


「御台所様、瓜をお持ち致しましょうか。今朝がた美濃から届きました。冬まで熟成せずとも瑞々しいそうですわ」


流石は先輩女房の宇目うめさん、扱いが手馴れている。
怒れる政子さんにはスイーツ。
これが一番効くらしい。


「‥‥‥瓜ねぇ。声を出しすぎたから、喉が渇いたわ」

「畏まりました。すぐにお持ち致します」


そうか、怒鳴り散らしてきたのか。
相手も大変だっただろうな。


「そなた達も食べなさい。御所さまの分など残しておく必要ありません」


おいおい、そんな扱いでいいの?と内心でツッコミを入れた。
それにしても誰一人嗜めたりしないのが不思議だ。

‥‥‥仕方ないか。

だってこれは、政子さんの小さな『意趣返し』。
政子さんに仕える者は皆それが分かっているから、何も言わないんだ。















「そりゃあね、都では普通なのでしょう。でもね、此処は鎌倉、東国なの。都とは違うのよ」

「ええ、そうですとも」

「私は東国の女なのよ。誰かと夫を共有するつもりはないわよ。婚儀の夜にそう誓ってくださったのに」

「お忘れになられたのかもしれませんわね。ええ、嘆かわしいことですわ」

「愛しいのは政子だけだ、可愛いひと、と閨では何度もねだるくせに。朝になればけろりと忘れてしまうなんて、どんなに憎い人かしら」

「そうでしょうとも。御台所様はさぞお悔しいでしょう」


あれから半刻。
宇目さん相手に、瓜を片手に政子さんは愚痴を零している。

他の女房さんや護衛の武士は、食べ終えた後仕事があるからと退散───席を立った。
残されたのは話相手が仕事の別名暇人私と、仕事なら何でも出来るミスパーフェクトな宇目さんだけだ。

三十二歳(満年齢だと三十歳)になる宇目さんは独身。
親は北条家に代々仕える重臣。
伊豆に拠点を置く一族だそうだ。
十五の時に親が決めた縁談を蹴って、政子さんに生涯仕える事を選んだという。
曰く、大声で威張り散らす暴力的な婚約者が死ぬほど嫌で、それを知った当時の政子さん───十に満たなかった少女が拾ってくれて、そのまま今に至る。


「頭にきていい加減にしろ!って頬を張り倒してやったわ」

「ええっ?御所様を張り倒したんですか!」


瓜が喉に詰まるかと思った。
あの末恐ろしい頼朝を殴ったなんて。怖いこの人。


「当然ですよ楓。皆が遠慮して席を外したものだから、誰も見ていないのが残念だったわねぇ」

「それは心残りでございますわね。しっかりお灸を据えてやりませんと、殿方はすぐにつけ上がりますもの」

「あの‥‥‥宇目さん?」

「腹が膨れる兆候もないのがせめてもの幸いだけど、それも真実か分からないわ。何せ証拠を掴んだと思ったらあの娘、御所を辞めたんだから」

「手の者に調べさせましょうか?」

「頼むわ。何処までも追い掛けて頂戴」

「‥‥‥」


言葉も出ない。
目の前で、会話が昼ドラを越えサスペンス劇場に突入したんですが。
まぁこうなるのも仕方ないかと思う。
うん、私も女として同意できるしね。

‥‥‥そもそもの発端は『アレ』、つまり頼朝の浮気だ。

源頼朝という人物は歴史に残るほどの女好き‥‥‥というよりも、北条政子の嫉妬深さのお蔭で歴史上でも有名になったんじゃないかな。

頼朝が女好きなのは事実。
幅広くあちこちの女に手を出しては政子さんが激怒している。

そして、政子さんはこれから後、長男を出産する。
その後にとんでもない行動を起こしていた筈だ。






私が勤め始めてもうすぐ二か月。
浮気事件は二度目。
キレた政子さんを見るのも二度目だから、頼朝って相当手が早い人だと思う。

今回手を付けたのは、頼朝の傍近くで着替えなどを担当していた若い女房。
昼間だけの通い女房な私は詳しく知らなかったけれど、宇目さん曰く、『最近御所さまはご多忙』なのだそうだ。
当然夜の訪れもご無沙汰だった。

そんな折に、口さがない女達の噂がこちらまで届いた。

政務中だったら逃げられまいと、政子さんは単身乗り込んだのが今日。
のらりくらりと誤魔化そうとした夫を渾身の力で───、


「拳が痛いわね」

「こぶしっ!?」


それは『張り』ではなく『殴り』倒したが正しいと思う。
格闘技の域に達している。

そりゃ私だって浮気なんてされたら泣く。
手が早い頼朝を女の敵、と心底から思う。

今回だって、誑かしたのか逆らえなかったのか真実は迷宮入りだけれど、結果として待遇の良い職を手放すハメに陥った浮気相手に対して、怒る気持ちも理解できるけれど‥‥‥。


夫を拳で殴る政子さん。
そして「良くやった!」って満足そうな顔している宇目さん。
二人とも怖いです。


「そなたも気をつけなさい、楓」

「へっ?」

「男というものはね、眼を離すとすぐに余所の女に眼を向けるのよ」

「御台所さまの仰る通りね。忠信殿はまだお若いし、新婚だからと言って安心してはいけないのよ」

「あれ程の美丈夫ですからねぇ。楓も色々と心配でしょう」

「‥‥‥えっと‥‥はい‥‥」


引き攣った顔で何とか頷いた。

浮気の心配、しなきゃいけなかったんだろうか。

だってあの忠信だもの。
モテるけど、そういうの興味ないみたいだし。
でも‥‥‥いつか、私以外の人に行ってしまうのかもしれない。
それを、今から心配するの?


「まぁ、忠信殿は大丈夫よ。浮気するならそなたが来る前にしているわね。彼は他の女性に見向きもしなかったから」

「一時は九郎義経さまと衆道の噂がありましたが、女の話は浮いてきませんでしたわね」


宇目さんが爆弾を投下した。


「しゅ、衆道?」


吃驚しながらの私の問いに、二人は頷く。


「忠信殿だけでないわよ。継信殿や弁慶殿もね。九郎殿の家人は見目が良い人が多いのに、九郎殿以外は誰も女を寄せ付けないものだから」

「‥‥‥それは知りませんでした」


『衆道』とは、男色、つまり同性愛者を指す。
仏教では僧が『女犯』と言い、女と交わる事は禁じられているので、稚児と呼ばれる少年を相手にするようになった。
それが広まったのか、貴族の間でも一時流行ったとか。

───それにしても、御曹司と忠信か。

至ってノーマルな男女恋愛主義者な私としては、ちょっと受け付けない。
けれど、ビジュアルとしては悪くないかも。
名前の挙がった彼らは皆、外見は最高級の部類が揃ってるしね。

でも、あれ?
この場合ってどっちだろう、攻めとか受けって専門用語があったよね。
御曹司が立場上、つまり攻め?
でも忠信は相当サドっ気が強いし‥‥‥。

‥‥‥。
‥‥‥‥‥‥。


「ありえません」

「まあ、どうしたの?」

「御曹司は女性が大好きですし、三郎く‥‥義兄あにの継信はただ単に女性に免疫がないだけです」


衆道、ダメ。絶対。
と何処かで見たようなキャッチコピーが頭の中でぐるぐる回っていた。


「い、いえね、ただの噂なのよ‥‥‥」

「夫も女性がいいと思います。というか私が頑張ります。それに子供も生まれましたから。衆道なんてありえません」

「‥‥‥分かったわ。ねぇ、宇目?」

「ええ、ええ、だから楓も落ち着きなさい」


後から思い返して「ただの惚気だった!」と恥ずかしくて床を転げまわるハメに陥るが、今この時は必死だった。
その必死さ故に二人共引いていたのも気付かない。


「もし夫が浮気したら」


忠信が、浮気したら‥‥‥泣くしかないかな。
想像しただけで泣きそうだ。
こんな私が、ずっと浮気を疑うなんて出来ないだろう。

実家を失った私には、大鳥城以外に帰る場所なんてない。
彼から離れられないんだ。
そして離れる気もさらさらない。

一生傍に居るって決めたの、それがどんな形になっても。

‥‥‥だから。


「その時は御台所さま、一緒にお灸を据えて下さい。私だけだったら泣いて許してしまいまうかもしれませんから、そうならない様に」


にっこり笑う私を政子さんも宇目さんもぽかんと見た後、耐え切れないというように笑い出した。


「忠信殿は、楓のそういう部分がいとしいのでしょうねぇ」


この一件でどうしてだか『面白い娘』認定されたらしい。
‥‥‥何故だろう。高貴な人の考えって謎だ。
ただ、それ以降政子さんの態度が少し柔らかくなった。
そう気付いたのは、ずっと後だけれど。


「ああ、そうそう。九郎殿が先程帰って来られたそうよ。御所さまを尋ねた時に御家人の誰かが話していたわ」

「‥‥‥え?」


お腹も膨れ、皮を乗せた高杯を厨へ持って行こうと立ち上がった私は声の主を振り返った。


「御所さまとの面会はもう済んだかしらねぇ。恐らく、もうすぐこちらにも顔を見せると思うわよ」

「本当ですか?」

「ええ、あの子は律儀ですから」


胸に一陣の風が吹き抜けた。
あの懐かしく優しい人に、もうすぐ逢えるのか。

───やっと、あの人に謝れる。




 

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