‥‥‥という訳で、ここに至るまで色々あった。
爽やかお兄さんが実は痛い人だったと判明したり。
眼つきと口が最悪な反抗期男を脳内抹殺リスト筆頭に書き加えたり。
さあこれから門前でバトル開始!―――とゴングが鳴る寸前に、事情を聞いて御所の中から飛び出てきた人物に捕まった。
そのまま二人してずるずると中に引き摺られて、人払いを済ませているらしい一室へ放り込まれ、今に至る。
「‥‥‥」
思わず土下座したくなるこの空気は何ですか。
目の前で溜息を吐くのは最愛の夫で、その隣には義兄が座っていた。
まさかこんな場所に彼が来るとは。
いや、何となく想像していたけれど、居た堪れなさのあまりに想像したくなかったというか。
会いたいけど、この場面では会いたくなかった。
複雑なこの乙女心をどうか分かって欲しい。
「‥‥‥」
流石の反抗期もとい源太も、目の前に座る人物には何も言えないらしい。
何となくだけど、彼の眼がさっきとは違う。
ご主人様に叱られてしゅんと項垂れる猛犬みたいな感じ。
源太と忠信って、もしかして知り合いなのかな。
「それで?」
血色がだいぶ戻ったとは言え、怖いです忠信さん。
こんなに恐ろしい「それで?」は聞いたことがない。
「それで‥‥‥えっと、その犯人が女装だって気付かなかったから、女の人を助けなきゃって思って‥‥‥」
別の場所では窃盗犯の尋問が始まっているらしい。
それとは別に私への事情聴取、もとい、事情説明の場を設けられた。
窃盗犯と私が無関係だってことが証明されたからの『事情説明』なんだけど。
というか聴取するのがあの二人だから、これって親族への弁明の場ってやつだろうか。
‥‥‥正直そんな空気じゃない。
気分は『取調べ』だ。
だって、怖すぎる。
「そう、で?」
空気が寒い。
おかしい、確か此処って暑気が残る鎌倉じゃなかったっけ。
まさか急に季節が変わったとか?
思わず現実逃避したくなるほど、それは恐ろしい問い掛けだった。
「そ、それで、その‥‥‥つい身体が動いて」
「コイツは愚かにも刀の前に飛び出てきて俺の邪魔しやがったんだ」
「し、仕方ないでしょ!そりゃあんたには邪魔だったかもしれないけど、あの時は相手が女の人だって思ったんだから!女に暴力働く最低な反抗期少年って認識したの!」
「誰が反抗期少年だ、誰が!ああ!?」
「あれ、自覚ないの?」
「てめっ───」
「黙れ」
揃ってぴったりと口を閉ざしました。
そんな私達に冷気はがんがんと押し寄せてくる。
それも、視線は手元に。
───手元?
下を見れば、反抗期の胸倉を掴みかけた手が逆に握り取られていた。
「ち、違うからねっ!」
図らずも手を握り合った状態で固まっていた事に気付いて、慌てて振り払う。
間違いない。
今のお怒りは他の男に手を握られたのが原因だ。
ああもう、こんな時に嫉妬ですかこの人。
「本当に違うから!こんな反抗期、いや源太とは無関係だからね!」
「‥‥『源太』?」
「な、名前で呼ぶのもダメなの!?」
「別に。随分と親しそうだよね」
「違うってば!」
本筋から逸れて、段々不毛な会話になっているとは露知らず、私は必死だった。
彼に誤解されては困る。
誤解相手が源太だなんてもっと困る。冗談じゃない。
「ふうん」
「信じてよ!私には忠信だけなんだから」
「どうだか。最近顔を合わせてなかったしね。それに親しげに呼べる仲みたいだし?」
「だからそれは色々あったの」
「‥‥‥色々、ね」
「そこ含んだ言い方しないで。そんな色々じゃないから!──ああもう!分からず屋!」
「‥‥‥忠信、その辺にしておけ。楓殿を泣かせるでない」
気付いていなかった。
いつの間にか、絶対零度の空気が消えていることも。
夫、つまり忠信の眼元が悪戯に緩められていることも。
隣で三郎くんが苦笑しながら、私達に優しい眼差しを注いでいることも。
それから、私達の関係をまったく知らない存在を、思いっきり忘れていた。
「けっ、調子こいてんじゃねぇよ餓鬼女」
私達を見てどう思ったのか。
毒づき始めた反抗期男の存在をすっかり、綺麗さっぱり忘れていましたとも。
「まさか忠信殿と釣り合うとか自惚れてんじゃねぇだろうな?はは、笑えるぜ」
─── こ い つ は !
私達の関係を知らないからといえど、一番気にしていることをさらっと言いやがった。
しかも笑いながら!
今の私にそれは禁句だ。
ただでさえ鎌倉に来てからこっち、やたらと睨まれたり、喋りかけてもわざと無視されたりで、鬱憤を抱えているというのに。
今ので堪忍袋の緒っぽいものがぷちっと切れた。
はい、敵認定。
もう許さないんだから。
「だいたいお前──」
「梶原源太景季」
言葉を投げつけたのは私でなく忠信だった。
相変わらず冷静で、決して荒げない語気なのに、背筋が凍りつく。
抜き身の刀を首筋に突きつけられたような、一触即発の空気。
「俺の妻をそれ以上侮辱するのは許さない」
「わ、悪かった。お前の妻とは知らず‥‥‥‥は?妻だぁああ!?」
拳が入るくらいあんぐりと口を開けた反抗期男の顔が気になって、今にも笑いそうなのを堪える。
勿論、慌てまくって哀れな状態に陥っている源太に対してフォローしてあげる気はない。
私だって、絶対零度な忠信の精神攻撃は怖いんだから。
それにまた誤解されたくない。
空気を読む能力だけは現代社会を生きた名残というか、(ある意味)良き習慣だと割り切る事にした。
―――その後、皆に迷惑をかけたことを土下座して謝ったのは、言うまでもない。
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