「妻!?このが‥‥‥女が忠信殿の?」


今ガキって言いかけたな。
信じられないモノを見るかのように私から忠信へ、それから三郎くんを経て再び私に戻ってきた視線。
釣りあってないとでも言いたげだ。
そう、鎌倉に来てから何度となく投げかけられた視線もこの類なのだから。


「‥‥‥てめぇが」

「私は『てめぇ』って名前じゃないんですけど」

「知るか」


信じられないんだろうな。
その気持ちは理解できなくもない。
だから、相変わらずの不躾な視線にも黙っておいた。

クールビューティーな忠信の奥さんならこれまたとんでもない美人なんだろう、って想像していてもおかしくない。
ところが私は至って目立たない容姿。

だからといって今更気にするのは違う。
気に病んだり引き下がるつもりなら、そもそも彼の隣を選んでいなかった。


「失礼します。継信殿から、うちの主が此処に居ると聞いたんですが」


突然第三者の声が廊から届く。
飛び跳ねるほど驚いた。
だって足音なんて聞こえなかった。

それは私だけで、三人は近付く気配を感じていたのか黙って声の主を見遣る。
うち一人、「うげっ」と心底嫌そうな声を上げていたけれど。


「‥‥‥ああ居た。こんな所で油を売っていたんですか?随分と探したんですよ」

「朝っぱらからうっせぇな。俺はてめぇに用はねぇよ」

「僕も朝っぱらから弓馬鹿な主人なんて探したくありません。御父上から与えられた書簡がまだ片付いていないでしょう?とうに期限を過ぎてるそうですが」


忠信に対する源太の態度から、何となくそうじゃないかとは思っていた。
どうも慕っている感じだったし。
だから、もしやとは思っていたけれど‥‥‥。

顔を覗かせたのはその『もしや』な人物だった。


「チッ。隆也、お前得意だろ?確か手跡も俺より良かったよな?」

「確かに必死で訓練しましたから景季様よりは多少、いえ盛大にマシです。でも丁重にお断りしますね」

「むかつく言い方だなおい。‥‥‥んじゃ主の命だ。お前がやれ」

「その主の御父君であらせられる梶原景時かじわらかげとき様からの御命令です。必ずや息子にやらせるようにと。僕も景時様には逆らえませんから‥‥‥胸が痛みますねぇ」


胸が痛む割には、元同級生が浮かべたのはまるきり正反対の表情だ。
うん、爽やかな笑顔。
それを見て隣の源太が盛大に舌打ちした。
どうやら舌打ちが彼の癖らしい。


「わかったわかった!だからその胡散臭ぇ顔止めろ気分悪ぃ」


源太が渋々と立ち上がった。
大人しく従わせるなんて凄いよ和泉。
猛獣使いだ。異時代で元同級生が猛獣使いになっていた。

主従の立場が逆?と若干思ったけれど、よく考えたらうちの忠信だって御曹司に結構言いたい放題言っていた気がする。


「解っていただけてほっとしました。安心して下さいね、景季様なら二日間は部屋に籠もりっきりになれる量ですから」

「はぁっ!?冗談じゃねぇ、誰がそん」

「お話の途中で申し訳ないんですが、そういう事情なので僕達は失礼致します。継信殿、忠信殿、うちの主人が貴公方の大切な姫君に無礼を働いたことをお詫び申し上げます。この件は後日また改めて、で宜しいでしょうか?」

「てんめぇ!話を遮るな」

「私は構わぬが‥‥忠信?」

「俺もそれでいいよ。それよりしっかり手綱を握っていてくれ」

「承知しました。───怖い思いさせてごめんね、楓殿」

「ううん。またね、いず‥‥‥隆也殿」


忠信達に倣って姓でなく名を呼べば、ふんわりと笑みが返って来た。
さっきの胡散臭い笑みでなく、少しだけ優しい笑み。
その笑顔のまま、ぎゃんぎゃん吠えている源太を連行‥‥‥もとい、連れて室内から出て行った。


「大嵐みたいな人だった‥‥‥」

「‥‥‥そうですね」


漸く静寂が訪れた部屋でぽつりと呟けば、三郎くんが何故か米神を押さえていた。
あ、私も同類だと言いたいのか三郎くん!


「ところで楓」


先程までの喧騒に流されることなく、静かだけれど無視できない常盤緑が私を捉える。
眼が合った途端「ひっ」と声にならない声が出た。


「俺も兵達の鍛錬が残っているからもう行くよ。後は兄上にお任せしてあるから」

「あ‥‥‥うん」


冴え冴えとした声にはっと我に返る。
寂しい、なんてふざけた考えを持っちゃいけない。
‥‥‥心配してくれたから、仕事を抜け出して来てくれたのに。


「ごめんなさい」

「‥‥‥続きは夜に聞くから。では兄上、お願いします」

「分かった」


相変わらず流れるような動きで立ち上がり、音もなく部屋を出て行く忠信を見送る。
その背中からは感情が伺えない。
人前で感情を隠すのが上手いから、きっともう普段の無表情に戻っているんだろう。
たとえどんなに怒っていても。


締め付けられる様な胸の痛みを覚えながら、室内に残ってくれた三郎くんに視線を向けて‥‥‥今度こそ泣きそうになった。


「‥‥‥三郎くん、ごめんなさい」

「楓殿‥‥‥」


源太も和泉も、忠信も居なくなった静かな空間で、三郎くんが表情は穏やかなまま――笑う。
だけど、普段の優しい笑みとも、鍛錬の時に見せる快活な笑みとも違った。


「貴女が巻き込まれたと聞き我らがどれ程肝を冷やしたか。‥‥‥忠信など、相手を斬り殺しかねない勢いで邸を飛び出そうとしていましたから」


その前に貴女が無事に到着したので事無きを得ましたが、と事も無げに続ける。

そう言えば御所に着いてすぐに腕を掴まれた時、反対の手に抜き身のままの刀身を晒していたのは気の所為では‥‥‥。

あと数分到着が遅れていたら、危なかったんだろうか。
多分私じゃなく、源太の命が。


「まさか、そこまで‥‥」

「貴女を奪う者が在れば容赦しないでしょう。たとえそれが忠義を誓う主であっても、関係ない。‥‥‥武士としては失格なのでしょうが、私にはあいつの在り様を否定出来ません」


‥‥‥私が一度『死んだ』から。
忠信の手から離れてしまったから。
今でも彼の心に巣くっているだろう深い深いその闇を、咄嗟とはいえどうして忘れていたんだろう。


「楓殿は、私にとっても大切な義妹です。だから‥‥‥『また』貴女を喪う絶望を我らに与えないで下さい」

「っ!‥‥‥はいっ、ごめんなさい‥‥」


眼の奥がつんと痛んで、唇を噛んだ。
堪える様に俯いて着物の袖を握り締めた。
ぎゅっと、皺が寄るだろうなって頭の一部で思いながら、けれどそうしないと今にもみっともなく泣きそうだから。

私がしでかしたのは、あまりにも危険なことだった。

今回の行動は自分の命を投げ出すのと同義なのだ。

もし源太が武士でなく、躊躇いなく人を斬る輩だったら。
もし相手が源太でなく、女を攫って人身売買を生業としている輩だったら。
もしあの場に人もなく、そのまま襲われていたら。
もし‥‥‥。

頭に血が上っていたけれど、下手したら命が奪われていた。

三郎くんは、私が死んでしまったら忠信が壊れてしまうと言い切った。
忠信を守ってほしいと。
感情を無くしかけたという忠信を見ていたから、それを心から心配していたのだ。


「ごめんなさい」


もう一度、今度は深く頭を下げて謝った。


「頭を上げてください。もう怒っていませんから」


その言葉に顔を上げると、日溜りみたいな笑顔が降ってくる。


「ですがまだ話を終えておりません。鎌倉は舘の山や平泉と違うのだと、理解していただけるまで説明致します」

「‥‥‥はい」


それから懇々とお説教を受けた私が、這う這うの体で解放されたのはゆうに一刻(約二時間)も後だった。

その間何度も復唱させられ、覚えた三箇条。


『喧嘩や揉め事に介入しない』
『女であることを忘れない』
『知らない人について行かない』


‥‥‥特に最後は子供向けの標語だと思う。
ツッコミたいが、流石の私も「子供より危なっかしい」と返されたら凹む。
自覚出来ただけにこれ以上の自爆は止めておこう。






───その後、解放された足で小御所へと向かい、


「命がどんなに尊いか、母親であるそなたなら分かっているわね」


既に事情を聞いていた政子さんにもこってり叱られ、最近になって会話が成功するようになった古参の女房さんにもがっつり叱られ、初日に由比ヶ浜へ同行してくれたあの護衛のお兄さんにも「忠信殿のしごきが今日は一段と厳しかった。あれは鬼人か」と恨み言を聞き、私はひたすら恐縮して謝った。


帰路につく頃には気力がすり減り、まるでぼろ雑巾の仲間になった気分だ。



 

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