「───なくて悪かったわね」

「あ?ああ、無いって自覚はあんのか。そりゃ良か、──」

「仮に色気あってもね、馬鹿には使わないけど」

「‥‥‥誰が馬鹿だと?」

「誰って?丸腰の女性相手に刀ちらつかせて満足する馬鹿そうな人かな。あ、他にいたら教えてよ」

「‥‥‥んだとてめぇ」


鷹男の黒い眼が、剣呑な光を放つ。
どうやら物凄く怒っているらしい。
同時に、男の手が抜き身だった銀色を鞘に収めた。


「チッ‥‥‥まあいい。退け。そしたら見逃してやる。生憎こっちに女を斬る趣味はねぇ」


嘘ばっかり。
だったらさっきのは何なのよ。
アレはフリだとか?それにしても笑えない。


「‥‥‥私が退いたらこの人はどうなるの」

「てめぇには関係ねぇな」

「だったら退かない」

「ああ?」

「丸腰の相手に刀振り上げるの黙って見る気はないの。だから退きません」


周りからどよめきが起こった。

挑発しちゃいけないって、頭では分かってる。

でも、許せないんだ。
別に正義感からの行動じゃなくて。
そもそも、正義感なんて人並み程度にしか持っていない。

‥‥‥同じ武士なのに。
こんな自分が独り善がりで高慢で、勝手な欺瞞から起こる怒りだと自覚しているけれど、どうしても腹が立ってしまったのだから。


「‥‥‥てめぇ、いい加減に」

「あ、見ぃつけた」


死ぬ気なんてなかったから、最初の一太刀からどうやって逃げようと思いを巡らせ始めた私のずっと背後から、場にそぐわない能天気な声がした。
振り向きたい。
けれど、その隙にばっさり斬られるかもしれない。
結局正面を向いたまま、近付く足音を意識する。
目の前の鷹男は、さっきと打って変わって心底うんざりした表情だ。
どうやら声の持ち主が苦手らしい。


「あれ?嫌そうにすることないじゃねぇの?こちとら散々探し回ったんだぜ」


頭上から声が落ちる。
同時にぽん、と背後から肩を叩かれた。

もう大丈夫だよ、と。
手の主にそう告げられた気がして、知らない人なのに思わず肩の力を抜く。


「俺はてめぇに用なんざねぇよ。さっさと失せろ」

「俺は邪魔なのか。‥‥‥成る程ね。いやぁ、こんな所で女口説いてるとは俺様も思わなかったわ。吃驚仰天だ」

「はぁ!?違ぇっ!!」


凄い。
鷹男がぴきぴきと青筋立てている。
私に怒鳴っていた時よりも明らかに機嫌が悪そうだ。
これはもう、苦手というよりも‥‥‥天敵?


「あれ?違うのか?」

「違います」


肩に置かれた手の持ち主が、後ろから屈みこむようにして私と眼を合わせてきたので、即座に否定する。
改めて間近に見ると、思ったよりも若い。
怒鳴ってた男より幾つか上だけど、多分三郎くんと(見た目は兎も角)同じ歳位かな。

口説かれてたんじゃなくて脅されてたみたいなものです。
命の危機に陥っていました。

私がそう答える前に、「あれ?」と眼を合わせた男の人が声を上げる。

褐色の肌と結い上げられた明るい茶褐色の髪の持ち主。
私も、あれ?と引っかかりを覚えた。


「本当に口説かれてたんじゃないんだ?」

「本当に口説かれてません」

「だから違うって言っただろうが!」

「ふぅん、いいけどね。‥‥‥で?だったら、こんなに見物客を集めて何をおっ始めてたんだ?」

「見物?‥‥‥っ!?」


褐色のお兄さんに言われて、初めてギャラリーの存在に気付いたらしい。


「見世物じゃねぇ!散れ!」


蜘蛛の子を散らしたかのように去っていく人達。

‥‥‥なんて人だ。

呆れる私を余所に怒鳴り散らした鷹男は、ギャラリーの中に残っていた面々を見て更に切れた。


「お前らまで見物人に混ざってんじゃねぇっ!さっさとこいつを捕らえろ!」

「はっ!」

「も、申し訳ありません!」


見物人に混ざってたのかよ!

呆れた事情に果てしなくツッコミを入れたいけれど、この際それは置いておく。
そんな事は今どうでもいい。

部下達に囲まれるようにして座り込んでいた(後で聞いたら、元々逃げない様に部下達で囲んでいたらしい)女の人を指差す鷹男の腕にしがみ付いた。


「邪魔すんじゃねぇっ!」

「ちょっと待ってよ!だから女の人に手荒なことしないでって!」

「あ!?───だからっ!」


端から見たら、早朝から痴話喧嘩をしている痛い恋人に見えなくもない状態。
とはいえ、私は命懸けともいえる必死さで鷹男を止めようとしていたから、他人視点の感想なんて全く気付かない。


「そいつは辻泥棒の常習犯だ!」

「ちなみに、俺達の眼を欺く為に女装してるけどれっきとした男だよ。な?」


それは、爆弾発言だった。


「‥‥‥え?お、おとこっ?」


男?
ぐるぐると縄をかけられて、引っ立てられてゆくその人はどう見たって女の人だ。

お、男?
遠目で儚げな美人、今振り返ってよくよく見ても俯き加減まで美人なこの人が、よりにもよって、男!?


「嘘‥‥‥」


‥‥負けた。
こいつの言う通りってのが癪に障るけれど、確かに私には色気がない。

ごめんね、忠信。
人妻になっても母親になっても、もともと無い色気は増えてくれないらしい。


「チッ‥‥‥最初から話聞きゃ拗れなかったのによ。馬鹿女」

「‥‥‥っ」


言い返せないのが悔しい。むかつくなぁ。


「女、てめぇも来い。罪人を庇い立てしたからな、一応調べておく」

「‥‥‥分かった」


知らずといえど、在任を庇ったのは事実だ。
鷹男の言い分も納得できる。
出仕の時間は気になるけれど仕方ない。


「心配しなくても無関係だよ。ま、行き先が御所ならお嬢さんも困らねぇか」


確かに職場は御所だから困らない。
困らない、けど‥‥‥どうしてそれを?
首を傾げている間に、二人は話を進めていた。


「オレも一緒に行くわ。お前連れ帰るのが用事だからな」

「勝手にしろ」

「‥‥‥ほんっとつれない奴だなぁ、源太くんは」

「その名で呼ぶな!」


ぐわっ、と噛み付く様に鷹男が怒鳴った。


「げんた?」

「そうそう。こいつは源太っての。似合うだろ?」


鷹男は源太というらしい。
響きからして諱でなく、恐らく幼名だ。
源太、ね。
悪ガキっぽい印象がなんというか‥‥‥。


「‥‥‥似合うかも」

「だろう?」

「だろう、じゃねぇっ!女!てめぇも笑うな!」


それにしてもよく怒る人だ、鷹男、もとい源太は。
出会って間もないけれど、怒鳴る以外の言葉を聞いていないのはなかなか珍しいんじゃないのかな。
肩を怒らせながら一人歩き出した背中を見送った私の肩が、再びぽんと叩かれる。
見上げればもう一人の男の人が、にかっと笑っていた。


「餓鬼はあいつだっての。ほら楓も行くぞ」

「え?なんで‥‥‥」

「うわやべ!あいつオレの馬乗っていきやがった!」


名前知ってるの?の声は、怒涛の俊足で追いかけて行った彼には届かない。


「──って!私はどうしたらいいのよ!?」


取り調べるんじゃなかったの?


一刻後、氷の大魔神と化した夫に平謝りする運命を迎えた私は、この時はまだ呑気に叫んでいた。


 

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