本日二度目の由比ヶ浜───海水浴の概念のないこの時代の海は静かだ。
漁業が盛んな土地らしく、浜辺に繋げられた舟と、魚を天日干ししている網。
それから昼間は見る余裕がなくて気付かなかったけれど、漁師が住んでいると思われる小屋が遠くに見えた。

人がひとりも居ない夕暮れの由比ヶ浜は、波をゆらゆらと赤に染めてゆく。
政子さんの言うとおり、感動する程に綺麗だ。


「今だけ、藤崎って呼んでいい?」


由比ヶ浜に着いて最初の言葉に、私も忠信も頷いた。
それを受けて和泉は「ありがとう」と笑う。

『今だけ』、和泉が私を楓でなく藤崎と呼ぶのはきっと、私に共通点を求めているから。
過去の私の名を呼ぶことで彼の話がウソじゃないと証明したい。
──ううん、彼自身が信じたいんだと思う。


「僕が『こっち』に来たのは一年前。大学の入学式の帰り道だった」


懐かしそうに、ほんの少し眼を細めて、和泉が話し出した───。







*****




あの日僕は急いでいた。
入学祝いに買って貰ったスーツは真新しく、スーツに着られている感覚だ。


『隆也!』


視線の先には付き合ったばかり彼女が、笑顔で手を振っていたので、振り返す。


『お待たせ。それいいね、似合ってる』


入学した彼女は黒のスーツ。
あと二年も経たずに就職活動するからシンプルなものを選んだ、って昨夜の電話で言っていた。

電車で一時間かかる大学に通うことになった僕と、地元の短大に入学した彼女。
卒業すれば会う事がない。

元々、接点なんて殆どなかったから、卒業式で勇気を振り絞った。
振られると思った告白は、嬉しいと笑ってくれて実った。


『何処行こうか?取り敢えず喉渇いたね』


この駅前には喫茶店も殆どないしファーストフード店に入るしかないか。
ロータリーを見回していた僕の袖を引っ張ったのは彼女。


『隆也、あそこに店があるの知ってた?』

『どこ?‥‥‥あんな場所に店なんてあったかな』


彼女の指の先を辿る。
そこには古びた店と、その脇に今にも風化しそうな看板が存在を主張していた。
地元で生まれ育った僕ですら初めて気付いた見るからに古そうな店。


『占い喫茶だって。入ってみよう隆也』


僕にも依存はない。

何より、強烈な引力を感じていた。
この中に入ることを長いこと望んでいたかのように。

この時は何故だかそれを不思議とは思わなかった。


『運命の人‥‥?胡散臭いなぁ』


彼女が木製のドアを引く。
僕の呟きはギィと軋んだ音に飲み込まれていった。




ドアを開けた瞬間、世界に白が溢れて───‥‥‥




*****




「眼が覚めて初めて見たのは、今みたいな夕焼けの空だった。その次は海。───僕はね、この場所で倒れていたんだ」


一年前の由比ヶ浜。
それって、頼朝達が鎌倉に来て間もない頃だろうか。
何にしても、私が辿りついた舘の山とは随分離れている。それだけなら私と関係ないって言える。

───けれど。


「和泉、もしかしてその喫茶店『サザンクロス』って名前じゃなかった?」

「え、うん、そうだよ。‥‥‥まさか、藤崎もそこから?」

「そうなの。私もその日まで、店の存在すら知らなかった」


私と和泉、二人の共通点。

それはある筈のない店を見つけたこと。
普段は存在しない店だ。
現に、平泉から戻った後、あんなに探したのに見つからなかった。

なのにどうして、和泉達が見つけたんだろう。

私はその店に居たのが誰だったのか、知っている。
サザンクロスで私を待っていたあの人は、義経堂で再会した私に力を使って───『消えた』のではなかったのか。


「お店の中に誰か居た?」

「ううん。さっきも言ったけど、開けた瞬間から記憶がないから。人が居たのかは知らないんだ」

「‥‥‥そっか」

「藤崎は?見たの?」

「私は‥‥‥私も、見てないよ。和泉達は会ったのかな?ってちょっと思っただけ」


敢えて嘘を吐く。

‥‥‥隣から、忠信の訝しげな視線が突き刺さるけれど、気付かない振りをした。


「それから‥‥‥起きて真っ先に考えたのは、一緒に居るはずの彼女のことだった。遠巻きにこっちを見る人の服が変だし、何となく僕の知ってる日本じゃないって感じて、もう必死で探したよ」


和泉が顔を伏せた。


「頭は混乱してるのに身体は動く事を止められなかった。これは夢だって、早く目覚めてくれって。由比ヶ浜から町に出て寝ずに探しながら、そんな言葉と彼女の名前を呪文みたいに口にした。‥‥‥端から見れば気ちがいにしか思えなかっただろうね、人を見つけて話しかけても悲鳴を上げて逃げられたよ」

「‥‥‥彼女、見つかったの?」


私の問いに、力なく首を横に振る。


「そんな‥‥‥」


じゃあ、和泉の彼女は何処に辿りついたのだろう。
無事なのか、生きているのかさえも分からない。
それでも探しているんだろう、ずっと。

胸が詰まった私の肩が、不意に温もりが包んだ。


「さっさと話を続けろ」

「‥‥忠信殿って、藤崎が本当に大切なんですね」

「‥‥‥」


後ろから囲まれた私を見て、和泉がくすくす笑う。
一方で、忠信は答える気がないらしく黙ってやり過ごすようだ。

ひと通り笑い終えた和泉が、さっきよりも幾分柔らかな表情で話を続けた。


「一日と半日、それ位経った昼かな。最初に僕に声を掛けた人が居た。その人が今の主だったんだよ。たまたま由比ヶ浜付近を巡回していたら、漁師の人達に”浜を彷徨う妖怪”退治を依頼されたんだって」

「妖怪退治?って和泉が妖怪!?」

「うん。彼は暴れる気満々だったから、鎧を着込んでおまけに腰には刀を佩いてね。あの時は殺されるんだなって思ったよ」

「‥‥‥和泉、笑う所なの?」

「面白かったから」


‥‥‥そうか、笑うところなんだ。
話せば話すほど理解できない人だ。

ただ、どうやら彼の中では殺されかけた思い出が、違うものとして変換されているらしい、その一点だけは理解できた。


「初めて僕を見た主の一言がね、『なんだ、ただの人間か。つまんねぇ』だったよ。面白いでしょ?変な格好で汗と砂にまみれて、そんなボロボロの僕を『ただの人間』だって。力が抜けたなぁ」


この時代にボロボロのスーツを着て徘徊する。
それは、平成の町中で落ち武者がうろつくみたいなものだ。

‥‥‥私だったらまず逃げる。
もしかしたら映画の撮影と思うかもしれないけど、ともあれ絶対に係わりたくない。

鎌倉の人達も同じように、否、情報社会で生きていた私達以上に和泉を恐れた筈だ。

そんな状況で。そんな状況だからこそ。


「‥‥‥ねえ忠信」

「あいつの事だから深く考えずに言っただけだ。意味なんて多分ない。そういう奴なんだ」


和泉の主人はどんな人なの?って聞こうとした私に、先回りした忠信が面倒くさそうに言った。


だから、どんな人なのよ。


 

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