茜に染まる由比ヶ浜。

隆也が話を終えた後、俺の腕から開放された楓が躊躇いがちに口を開いた。


「私は、佐藤家の居城のすぐ近くで倒れていた」


寄せては返す波飛沫が、白い光を反射する。


「三年生の秋だから受験せずに済んだのは助かったかも」


その光を眩しがる様に、楓は眼を細める。


「たまたま通りかかった忠信に拾われて、連れてって貰った大鳥城で事情を説明して、こっちの世界のことも色々聞いてね。どうやら私は過去の日本に来てしまったんだって分かった」


柔らかく細めた眼差しを見て、俺の胸にもあの日の光景が蘇る。

───驚き、それから頼りなさげに揺れた瞳。
見知らぬ着物に身を包んで、泣きそうだった楓を。

生まれて初めて他人に見入ったあの瞬間の、衝撃を。


「藤崎、驚いた?」

「‥‥‥驚いたより、途方に暮れたっていう方が正しいかな」


穏やかに微笑って、楓はそう言っていた。


「それから───忠信の父上と母上の好意で、佐藤家の養子として迎え入れて貰ったの。私が今こうしていられるのは、忠信や今まで関わった人達のお蔭だよ」


平泉での出来事も、一度元の時代に帰った後に俺の元に来た事も。
楓は一言たりとも話さなかった。

それは隆也の立ち位置を推し量っているからなのか、隆也もまた全てを話していないと気付いたからか。

言葉にすれば至極短い三年の月日。

聴衆の隆也からすれば、呆気ないほど平坦な日々に思えたかもしれない。

けれど俺は、知っている。

楓が、俺の知らない所でどれ程泣いたのか。
何を捨てたのか。
その犠牲の尊さを、知らぬ振りなんてするつもりはない。


「───良かったね」


語り終えた楓を一瞥し、隆也は無感動に口を開いた。

楓は逸れに答えない。代わりに、


「和泉、私の家族がどうしているか知ってる?」


問う、ではなく確認にしか聞こえないその問い掛けに俺は顔を上げる。


───家族。


一番聞きたかっただろうその問い。

楓が切り捨てたもの。


楓は俺を、この世界を選んでくれた。
その為に別れたものが沢山ある。
沢山、では正しくない。
楓が『藤崎花音』として築き上げた全てだ。

懐かしんでも後悔はしていないよ、と楓は笑う。

───だが。

二度と会えない家族を、友を、想うのは当然だ。

息子が生まれて尚更。
四郎を、両親に会わせたいと思っただろう。
会いたいと願っただろう。
本来ならば、戦のない『未来』で両親に大切に育てられ、相応しい男と婚姻を果たした筈の娘。


「僕には、藤崎の家族がどうしてるかなんて分からない。でも‥‥‥」

「でも?」

「その、藤崎自身っていうか‥‥‥存在そのものっていうか‥‥‥」

「ああ、やっぱり私、存在してないんだ?」


静かな楓の言葉に、隆也と俺は違った意味で息を呑んだ。

───存在しない?

藤崎花音なんて何処にも居ないと。
家族や親しい友人や知人が、誰一人覚えていないと。
生まれていなかったことになっている、とそういう事か。

俺は黙って成り行きを見守りながら、頭の中で会話を整理していた。


「和泉?」

「う、うん。‥‥‥ごめん藤崎。どう言えばいいかわからなくて‥‥」


楓から、隆也が眼を逸らした。


「気にしないで。こっちこそ無理に聞いてごめんね」


まるで隆也の答えを知っていたかのような、諦めた笑顔。


「大丈夫か?」


頭を撫でたのは無意識だった。
手を伸ばすのは当然だ、楓は俺の妻だから。


「流石に平気じゃないけど───大丈夫。ありがとね、忠信」


此処はひとまず、笑顔を受け入れておこう。

楓は強くはない。
力ならば、元服前の男子にすら勝てないだろう。

けれど、自分で決めた事柄に対して後悔する弱さを持っていない。
泣こうが悩もうが、いずれ自力で立ち上がる。

───それが楓だ。


「あのね、藤崎が僕の世界に”居た”ってこと、昨日会った瞬間に思い出したんだよ。それまで忘れていた。‥‥‥今までの関係から考えたら、僕が君の事を忘れていてもおかしくないかもしれない。でも、流石に不自然だと思う」

「確かにね。私達別に親しいわけじゃなかったし。寧ろほぼ他人な顔見知りだったもんね」

「そうだけど‥‥‥流石に面と向かって言われると傷付くなぁ」

「嘘ばっか。近付く女の子を冷たく追い払ってたのは誰よ」

「あれは僕の見た目とかその他諸々上っ面で判断したハイエナみたいなお姉さんが怖かったんだよ。っていうかよく知ってるね、僕に気があったとか?」

「和泉、自意識過剰って言葉知ってる?」

「酷いなぁ」

「酷くない。そもそも同じ学校だったんだからあんたの噂くらい嫌でも耳にしたの!‥‥‥大体ねぇ、見た目なら忠信よりいい人居ないでしょ。あ、勿論忠信は外側だけじゃないよ?中身だってすっごく、───‥‥‥」


尚も言い募ろうとしていた楓だったが、はたと気付いたらしい。
そう、自分が第三者(隆也)に何を暴露しようとしていたのかを。

ぴたりと口を閉ざしたその顔に色付く由比ヶ浜の空よりも鮮やかな朱。


「──すっごく、何?」

「げっ」

「‥‥‥馬鹿だろ」


ほら、隆也が食い付いたじゃないか。


「ねぇ藤崎、忠信殿の中身が凄くなぁに?気になるなぁ」

「ええぇ?‥‥‥あ、いや、な、何でもないから!」


一歩、隆也が前に出ると、一歩後退する楓。


「何でもなくないでしょう?僕に必死に言いかけてたじゃない」

「気にしないで下さい!‥‥た、忠信ぅっ」


眼を潤ませて俺を見上げる、本当に馬鹿な楓。

俺に助け舟を求めるなと言いたい。言いたい、が。


「‥‥‥その辺にしろ隆也。話が進まない」

「御意」


結局隆也を止めたのは、俺以外の男にそんな顔見せるのが癪に障るからでは決してない。
断じて違う。
これ以上話が逸れたら夜になってしまうから、それだけだ。


話を戻せ。
俺の視線を受けた隆也が、「兎に角」と切り出した。




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