濡羽色の彼と出会って一ヶ月程過ぎた、夏の終わり。

人間とは不思議なもので、初めは戸惑ってばかりいても段々と順応していくらしい。







草原で見事に気絶したらしい私は、そのまま現在の住処である此処、大鳥城と呼ばれる城に運ばれた。
二日間ぐっすり寝て、周りを心配させてしまったそうだけれど。
目覚めてからの私の反応を見て、違う意味でもっと心配させてしまった。

眼を覚ましてまず、枕元に集う見知らぬ人を見て飛び起き、優しい顔立ちのおじさんに「誰ですかっ!?」と指差しした。
後に、あれは佐藤家の当主の基治さんだと知って青くなったけれど。
皆が皆、種類は違えど着物を着ていることに驚いたのは序の口。


『奥州に縁戚か知人でも訊ねて来たのか?』


と基治様に聞かれ、頭にクエスチョンマークを大量に付けたあたりまで、まだ私は幸せだったかもしれない。
自分の居場所が違う。そう思いながらもまだ希望があった。
何処かの映画村で倒れていた‥‥と、能天気に思えていられたから。

何も知らなかったから。


私の混乱した様子に気付いた基治さんが人払いをして、二人だけの空間になった時、今までの経緯を洗いざらい話した。


『‥‥ふむ。俄かに信じ難いが、そなたに嘘はない様だ。見た事のない衣装ゆえ、唐来のものかと思うていたが成る程‥‥‥‥花音と申したか』

『あ、はい』

『帰る場所が見つからぬなら此処に居れば良い。平家も奥州には攻めて来れぬゆえ、安堵するが良い』




───平家



あの日。
私が倒れていたのは、太秦の映画村でも他のどの歴史記念館でもなく。
奥州藤原氏の一族、佐藤家の居城下。
現代で言う、福島県に迷い込んだらしい。

それを知った瞬間、不思議と落ち着いたのは、どうしてだろう。
ああ、もう帰れないんだと、思いながら。
心の何処かで知っていたような、不思議な気持ち。


絶望を覚えてもいい筈なのに、何故か落ち込むこともなかった。














あれから一月。
私は着付けを覚えた。
電気ではなくこの時代の燭の灯し方も板に着いた様に思う。

基治さんは客人でいいと言ってくれたけれどどうにも暇を持て余して、いっそのこと仕事をした方が気が楽だと、無理矢理女房になったのは十日前だった。

召抱える人数が半端じゃないから、彼らを賄う台所仕事は山ほどある。
お蔭でこの十日間は暇だと感じる余裕もなかった。

こうしてぼんやり出来るのは、つまり十日振り。


「おい」


濡れ縁に腰掛け、庭を眺めていたら不躾な声が降る。

明らかに私に向けて言っているのだろう。
この声の主はどうやら、他の人にはとても慇懃で、丁寧で、穏やかな物腰な彼。
私には不躾で、偉そうで、冷たい人。

もっとも、私の場合は出会いが出会いなだけに、今更取り繕う気がないらしい。


「おいって呼んでるんだけど」

「さぁ?私はおいじゃないもの」

「‥‥‥はぁ。何処が可憐な客人なんだか」

「猫被った誰かよりマシでしょ」


ぴしゃりと返すと、盛大な溜め息を吐きながら、私の隣に腰を降ろす。
流れるような仕草は顔立ちと相俟って、やはり綺麗だとこっそり思う。
性格はともかく、見た目はとんでもなくいい。
城下だけでなく近隣まで届いた彼の美貌に女の子は心騒がせているんだと、志津さんが言っていたっけ。


「もう鍛錬は終わったの?」

「終わったよ。だから来たんだろ」

「だから私も待ってたんだけど。柑子剥いてやれ、って志津さんに言われたし」


他にする事は沢山あるのだけれど、志津さんが代わりにやってくれるらしいから、仕方なく待っていた。
柑子、つまり蜜柑のこと。

自分で剥く事も出来ないのかお坊ちゃんは。

そう思ったけれど志津さんの手前、大人しく引き受けた。



 

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