───暗くなった庭から屋敷を包む楽の音が聞こえる。

笛や笙の柔らかな音の間を、鼓が高らかに打つ。
そんな中で杯を酌み談笑している男達の晴れやかな顔をただ見ていた。


御館がこの日の為に招いた楽人は、素人の私が聞いても溜息が零れるほど。

雅で、何故か物悲しかった。

きっとそれは、心がそう思わせているのかもしれない。


「楓様、そろそろ‥‥」

「うん」


斜め後ろから見知った女房さんに退室を促され、立ち上がる。
即座に差し出された若桜さんの手を掴まなければ、衣装が重くて立ち上がれなくて。
‥‥重いのは、衣装だけじゃない。

衣擦れの微かな音に、談笑していた人達の顔が上がる。

釣られるように顔を上げた御曹司と眼が合うと、頬を緩やかに引き上げる。
安心させるように笑いかけてくれた。



そして‥‥‥。


「‥‥‥行こう、若桜さん」

「畏まりましたわ」


たったひとつ、振り返ることのない背中。

それでも追ってしまうこの眼を瞑り、踵を返した。

















今から私は部屋に戻り、夜着に着替える。
そうして宴が終わり同じように着替えた御曹司を待つ手筈となっている。

その後何をするのか。
誰かに聞くほど、私は無知じゃない。

今まで御曹司がそうしていた様に、ただ添い寝だけで終わらない。


「‥‥‥」


ともすれば俯きそうになる頭を真っ直ぐ上げ、若桜さんの先導で歩いていた。

広い渡廊を曲がり、私の部屋へ続く廊は幅が狭く十二単の裾が広がって、一人で横幅が一杯だ。

私の衣装は特に裾が長いので、若桜さん以外の女房さんの衣擦れの音は結構後ろから聞こえた。


「楓様」


三歩前でぴたりと足を止めた若桜さんに続き、足を止めた。
止めたというより、聞いた事のないような彼女の低い声音に、止まったしまったのが正解だ。


「‥‥私、貴女に出会えてよかった」


ギリギリ耳に届く声で、彼女は朝と同じ言葉を落とす。
ゆっくりと顔を上げた、その眼に、息を呑んだ。

変わったのは言葉遣いだけじゃない。


「‥‥若桜、さん?」

「どうして貴女なのかしら、ねぇ?」

「‥‥え?」


いつも笑っている彼女。
こんな表情見たことがない。
強く、きつく、痛いほど突き刺さる視線が、同じ人のものだとは‥‥。


「理解出来ませんわ。こんな何処にでも居るような女を、あの方がどうして」

「あの方‥?」



怒ってる───ううん、違う。

これは『憎しみ』の眼だ。


声も無く前を見つめ続けている私に、若桜さんはゆっくりと口を開く。


「振り向いて下さらなくても良かった。戯れに触れて下さるだけで幸せだった。あの方の御心は誰のものでもなかったから」



───ああ、そうか。


視界が明かりが差すように、彼女の言葉の意味に気付く。

『あの方』。それは。


「‥‥‥御曹司の事なんだね」


こんな綺麗な人を、女好きの御曹司が放っておく筈がなかった。


「九郎様の他に誰がいるのよ」


くすりと笑う。

そうだった。
以前から彼女は『九郎様』と呼んでいた。
御曹司を呼ぶ声に違和感を感じたことがあって、ずっと分からなかったけれど‥‥。


「御館の命とはいえ、あの方の傍を許された女。どれ程のものかと思いながら仕えていたけれど‥‥‥ただの小娘じゃないの」


笑う若桜さんの雰囲気が変わったことに気付いたのか。
それとも、立ち止まったまま話し込んだ私達を訝しく思ったのか。

私達の声は聞こえていない筈だけれど、十歩ほど後ろから女房さん達がざわめき出した。


「佐藤氏と言っても、たかが家臣の娘」

「‥‥」

「藤原の姫になったのも、御館の御恩恵にあやかっただけじゃないの。貴女の生意気な態度も全て、気に入らないわ」

「‥‥‥」


若桜さんは、知らなかった?
私は佐藤家の娘ですらないのだと。


「何より許せないのは、そんな貴女にあの方がお優しいことよ」


不思議と、静かだ。

動揺することもない。
言い返す言葉も何も浮かばない。


彼女の言葉は正しいから。



そう。
若桜さんだけじゃなく、御曹司を慕う女からすれば、私は邪魔な存在。
憎しみの対象なのは頭で理解していた‥‥‥つもりだった。


愛する御曹司の近くにありながら、冷たい態度を取る私。

それでも尚、御曹司は私に構った。
優しかった。
他の人から見れば特別な扱いだったのだろう。

例え私が、彼の中で『女』でなかったからだと言っても、それは些細なのかもしれない。

彼女達に取って、私の存在そのものが憎くて仕方ないのだろう。


「貴女の女房になれて幸運だわ。神仏に、心から感謝しているの」


唇をゆがめる若桜さんは、それでも綺麗だった。


「何が、言いたいの‥?」


ぞわり。
背筋に言いようのない感覚が走ったと同時、後方で悲鳴が上がる。


「ひ、ひぃぃーっ!!」



他の人にも見えたのだろう。


月光を受けた、銀の光。

床を蹴った若桜さんの華奢な手に、刃が───。



「こうして───貴女に近づける!」

「──っ!?」



身の危険を感じて飛び退くにも衣が重く殆ど動けなかった私の胸に。

───吸い込まれてゆくのを。

 

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