流れるのは静かな時間。
篝火の明かりが庭を見つめる御曹司の横顔を揺らめかす。
四郎とはまた違う男らしい横顔をただ見つめた。
御曹司の前でこの想いを認めたものの、だからと言ってその先には何も無い。
この結婚を無かったことにするつもりはない。
‥‥出来ないんだ、そんなこと。
「でも‥‥ちゃんと、分かってる」
諦める、つもりでいる。
いつかちゃんと、この気持ちも整理をつける。
御曹司はとても優しい。
きっといつか、私はこの人を好きになれる。
「ただ言わなきゃと思ったから、言っただけだからね」
空には星。
平成の夜空と違い、天と地を遮る空気が綺麗だから、星がとても大きくて。
とても、近い。
手を伸ばせば届きそうなほどに。
思い切り飛べば掴めそうなほどに。
本当に空を飛べる技術があるのは平成の世界なのに、星が近いのはこの時代だなんて、考えるとおかしいね。
「‥‥そなたは、覚えているか?」
少し間が空いて、御曹司が口を開いた。
「ん、何?」
「御館の前でそなたと顔を合わせた時があっただろう?」
「あー‥‥うん、あれね」
思い出すだけで恥ずかしい。
そういえば平泉入りした翌日で、御館に初対面で緊張していた私の前に、颯爽と現れたのが御曹司だった。
御曹司の顔が、私をこの時代に放り込んだ人と瓜二つだったから、怒り狂って胸倉掴んだっけ。
「女人に胸倉を掴まれたのは初体験だったのでな。なかなか楽しめたぞ」
「う、ごめん。ちょっと勘違いしてて‥‥」
しおらしく謝ると、「気にして居らぬ」と愉快そうに声を上げて笑う。
あれから。
考えれば考えるほど、御曹司と『彼』は他人だと思った。
顔は似ていても。
今思えば、墨で線を引くほど明確に、雰囲気が違っている。
あの人に御曹司ほどの明るさはなかった。
むしろ、哀愁‥‥のような、形容しがたい色気みたいな雰囲気を醸し出していた気がするし。
「真偽は兎も角、そなたは強烈な印象を与えた。継信も忠信も、そなたの前では面白い反応を見せる」
「‥‥面白い反応?」
「武士でもなく、ただの男にな」
「そうだっけ?普通でしょ」
「楓は気付かぬであろうな。それで良い」
何かを思い出したのか、楽しそうに笑う。
今、漂う時間は穏やかなもの。
それは決して嫌なものじゃなかった。
「そなたを連れてきた者が、私かどうか知らぬ。だが仮に‥‥」
「仮に?」
「仮に、私ならば。償いをせねばならぬと、あれから考えていたのだ」
「償い‥‥?」
‥考えていた?
私の言葉を信じてくれたのか。
御曹司の手のひらが、再び私の頭に落ちる。
安心させるように、撫でる。
「そなたが頷かねば藤原と佐藤との縁は無きものと思え。───楓、御館に脅されているのだろう?」
「っ!?」
柔らかく紡がれた言葉に、驚いて何も返せなかった。
「御館は素晴らしく剛毅で情の深いお人柄だ。だが一方で、平泉を統べる為、時節を見誤らぬ冷静な眼を持っている。私には足りぬ資質だ」
剛毅で情が深くて、そして冷静。
ああ、なるほど。
御曹司の言葉の裏、決して紡がない『言葉』が伝わった。
不要物は切り捨てる方だ、と。
私が御館に会った時いつも感じる、あの底知れなさ。
初対面のときはとても豪快な印象を覚えつつ、どこか一片で違和感を覚えた、あれは。
「仮にそうだとしても、決めたのは私だから‥‥」
「‥‥そうか」
「ただね、不思議に思ってたの。どうして平泉に着いてすぐに、御曹司との事を言ってくれなかったんだろうって」
誰の聞き耳があるか知れないから、ここから先は御曹司だけに聞こえるよう声を落とす。
「四郎は、最初から知らせてたら私は平泉行きを拒否していたし、帰ってだろうって。だから御曹司や三郎くんに口止めを頼んでた、って言ってた」
「忠信が‥‥?そう言っていたのか?」
こくり、頷く。
すると御曹司は深い溜息を吐いた。
‥‥やっぱり、違うの?
問いかける視線に気付かないのか、御曹司から明確な答えが返ってくることはなく、代わりに。
「‥‥不器用な奴よ」
「え?」
「いや」
ふ、と笑った。
その眼がとても眩しいものを見るかの様に、細められる。
それはほんの泡沫の時間だけ。
立ち上がった御曹司から、その名残は消えていた。
「約束しよう、そなたも佐藤の家も私が護ると。もう何も心配するな」
短く告げてくるりと背を向けると、自室とは逆の方向に歩いていく。
遠ざかっていくその後ろ姿に、心が引っかかる。
約束‥‥‥?
どうしてだろう。
心がざわついて仕方ない。
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