部屋の隅に畳まれていた夜着を手に取り、袖を通せば、ちくりと刺激が走った。


「‥‥っ!?」

「楓様?どうかなさいましたの?」

「う、ううん、何でもないよ」


褥の用意をしていた若桜さんに見えないよう、左手を後ろに隠した。

‥‥‥が、すぐに無駄だと思い知る。


「失礼致しますわ」

「えっ‥‥ちょ、何でもないって!」


慌てるも遅し。
押し抱かれるように捕われた左手の親指は少し出血していた。

途端、その意味を見抜いた若桜さんの顔色が変化する。


「まぁ、楓様っ!‥‥‥まさかお召し物に‥っ!?」

「あ‥うん、多分。でも大丈夫。ちょっと血が出ただけだから」

「大丈夫ではございませんっ!」


安心させたくて笑う私とは裏腹に、若桜さんの顔はどんどん曇ってゆき、私の手を離すと今度は夜着を丹念に調べ始めた。

どうやら夜着に仕込まれていたのはただの針。
傷口は腫れてないことから、どうやら毒は塗られてない。


「わ、私が、楓様のお傍を離れたばかりに‥‥‥申し訳ございません。お叱りは如何様にもお受けいたします」

「叱るも何も、若桜さんが悪い訳じゃないじゃない。こうして心配してくれただけで充分」

「‥‥‥いいえ。楓様の御身に気を配る事が私の務めですもの」


‥‥何だかなあ。

忠義第一。お役目大事。
このタイプの人を他にも知っているけど、こういう時に話が通じない。
責任感の塊なので、平成出身の私には少し理解できないときがあるというか。

気持ちは嬉しい。
だけど、私は彼女が本来仕えるような『貴族の姫』なんかじゃないのに。


「‥‥‥じゃあ、お土産をお願いしようかな」


若桜さんは、明日から七日間のお暇を貰う事になっている。
話は随分前から聞いていたし、今彼女が此処にいるのも出立前日の挨拶の為だった。


「え?‥‥いいえ。やはり昨日も申し上げた通り、楓様のお傍を離れるなんて出来ませんわ」

「何言ってるの。一年振りにご両親に会えるのに」

「ですが」

「私も母君の具合は気になっているの。だから若桜さんにはちゃんと看病して貰わなきゃ、私が困る」

「でも、楓様の御身が‥‥」


若桜さんの心の中で、寝込んでしまったという母上への思いと、私への心配が鬩ぎあっているのだろう。

これは本格的に背を押してあげないと、里帰りを取り止めそうだ。


「──わかった。じゃあ、御館に奏上して兵士さんをつけて貰う」

「楓様‥」

「これで安心出来るよ。ね、だから母君によろしく言ってくれる?」

「‥‥‥はい」


まだ不安げな様子を見せるものの、私の意思が堅いことに気付いたのか。
丁寧に頭を下げてから、代理のお付き女房さんについて幾つか話を聞かせてくれた。












これが秋なら虫の音が綺麗に響き渡りそうな、そんな満天の星夜。

今は春だから、代わりに草の葉がさやさやと音を鳴らしている。


若桜さんが実家に帰ってから早四日目の夜。

部屋の入り口に立てられた几帳に凭れながら、星空を見上げていた。

庭には篝火が炊かれていて、此処から見え難いけれど見張りの兵士さんが控えている筈。
一昨日から雰囲気が一気にものものしくなった。

こうでもしなきゃ若桜さんが安心してくれないと思っての行動、なんだけど。



「安心‥‥か」


正直、眠るのが怖い。

何故なら、あれが初めてじゃないから。

衣類に針が仕込まれているのは数回。
気に入った鏡や小物を隠されていたこともある。
人気のない廊を一人で歩いていたら、どこからか足元に石が飛んできたこともあった。


物に関しては、私付きの女房である若桜さんがチェックしているから気付かれていて、今まで上手く誤魔化していたけど。

流石に針は誤魔化せなかった、というか既に想定されていたんだと思う。
だからこそ彼女は憤慨し、自分を責めていた。


感じるのは、悪意。

それも、憎悪か。


恐らく私が御曹司の側室になることへの、嫉妬じゃないかと思っている。

側室になる日、つまり『披露目の宴』の日程が決まったその翌日から、異変が起こったのだから。


きっとそう。

犯人は、女の人。

御曹司と関係があったか、もしくは私と同じ立場を狙っていた女の人じゃないかと。

そうなると、相手は、奥州に溢れるほどいる中の一人。


‥‥‥ほんともう、どうやって探せばいいのよ。


途方も無い事を考えくらりと眩暈を覚えたその時。

仄明るい廊の先から近付く音を耳に捉えた。


「‥‥誰?」


思わず、身が固まる。


「案ずるな。私だ」

「御曹司‥‥」


薄明かりの中から安心させる様張り上げられた声に息を吐く。

同時に、庭からがちゃりと鎧の動く音。
きっと見張りの兵士が構えを解いたんだろう。


「こんな夜更けに用でも?」

「相変わらず釣れぬ女だ。我が許婚の顔を見に来たと言うのに」

「あっそう‥‥って御曹司、酒臭い」


からりと笑う御曹司に顔を顰めて見せると、彼は隣に腰を落としながらまた笑った。


「今宵は良い月なのでな。国衡と忠信を呼び杯を重ねていた」

「‥‥そうなんだ」


良かった。

四郎、もうすっかり元気になったんだ。
慣れないお酒につき合うほどには。
まぁ多分、御曹司と国衡兄上に無理矢理つき合わされたんだろうけど。


「お酒好きみたいだけど、控えめにね」

「心配するでない。宴の日は飲まぬと決めている」


夜の中、瞳が真っ直ぐに私を射抜く。

御曹司の口から宴って言葉が出ると妙にリアルで、鼓動が大きく鳴ってしまう。


「そ、そうだね。主役が泥酔じゃ格好つかないし」

「私は酒に酔わぬ性質だがな。が、そなたとの夜はそなただけの香りがあれば良いだろう?」

「‥‥っ!変態!」



───その意味に思い当たり、恥ずかしくなる。



「‥‥初なそなたも愛いものだな」

「か、帰ってよ、馬鹿っ」


顔を上げられずに怒る私の頭を、笑いながら御曹司が撫でる。


「ああ、すまぬ。そなたの反応が面白いゆえ、つい」

「‥‥あのねぇ‥」

「あれから何も変わりはないか?」


一瞬でがらりと変わった御曹司の様子に、言い知れない緊張を感じる。



「ないよ、大丈夫。ありがとう」

「‥‥礼を言わずとも良い。私の事情に巻き込んだも同然だ」

「あ、それもそうか」

「言ったな」


思わず吹き出した。

‥‥‥そっか、心配して様子を見に来てくれたんだ。

御曹司は私に何も言わない。
私も何も触れない。

まぁ今更、過去の女性関係が原因かもしれないなんて言うのは憚れるだろうし、私も聞いた所でどうしようもない。

だからこそ、短い会話だけで、互いに知っていると伝え合う。
こんな関係もいいなと思う。


四郎とは別の意味で、御曹司は楽な人。



「‥‥今宵は月が綺麗でな。そなたと話をしたくなった」


ゆっくりと、声が落ちる。


「うん‥‥」

「そろそろ、向き合わねばならぬ」

「‥‥‥そうだね」


ゆっくり顔を上げると、御曹司も私を見ていた。


「楓?」


いっそ優しく尋ねる声に、眼を閉じる。




気付かれていないなんて、思ってない。

御曹司は知っている。
それはきっと確信で。

私の口から話すべきだと、待ってくれている、きっと。



「‥‥あのね、四郎の事なんだけど」


いつまで、その名に胸を躍らせるんだろう。

いつまで、想っているんだろう。


「忠信が、どうした?」


冷たかったり優しかったり。
ひねてるなぁと思えば、次の瞬間には素直だったり。

私を突き放したと思えば、キスをして。
その後倒れて散々心配させたくせに、元気になっても顔一つ見せてくれない薄情者。

本当に、何を考えてるのかさっぱりわからない人を、私は。


「私は四郎が好き‥‥」

「そうか」


瞼がじんわり熱を持つ。

泣くまいと堪える視界の中、御曹司の声が私を包んだ。






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