触れた部分が熱を持ち、火傷してしまいそうだ。
閉じた瞼に、斜めにさす落陽の赤を感じる。
紅く、どこか切ない夕日の光。
それはまるで、抑え切れない想いの色に似て。
「‥‥‥楓」
重なった時とは反対にゆっくりと離れた唇がそっと震える。
逆上せたような四郎の眼差しが潤んでいて、吸い込まれそうだった。
唇も、肩に置かれた手も、愛しい常盤緑の眼も、熱くて。
熱くて‥‥‥段々重く圧し掛かってくる‥。
「‥‥え!?ちょ、四郎っ!?」
ずるり。
肩へ倒れこむようにして凭れかかった四郎の熱さに、改めて我に返った。
夢の様な出来事に逆上せて、彼に熱があるのを忘れていた。
「四郎熱上がってる!‥‥誰か呼んでくるから‥っ」
呼ぶな、とでも言うように小さく首を振る。
けれど息が荒く、相当無理しているらしいのは見て取れた。
私の力じゃ屋敷まで運べやしないし、仕方ない。
さっきまで四郎が凭れていた大木の幹にどうにか彼を座らせて、屋敷まで戻ろうと踵を返した時だった。
「あれ?逢い引き?」
暢気な声に振り返ると、何処までも暢気な笑みを浮かべた男が一人。
「忠信め、抜け駆けは許せんな。俺も楓と逢い引きしたいのに」
「に、西木戸さん‥っ!」
「そんな必死な顔しなくても大丈夫だ。俺って口は堅いからさ、九郎には」
「助けてっ!」
「──黙ってあげるよ、って?‥‥助けて?‥‥まさか無理矢理か忠信っ!?」
眼をきょとんとさせる藤原国衡こと西木戸さんと。
そんな彼に必死に縋りつく私と。
事態が理解出来るまで、幾許かの時間を要したのは言うまでもなかった。
「いやー、ほんっと吃驚したよ。気分良く遊んだ帰りに可愛い楓に会えたと思ったら、楓は泣いてるし、忠信は倒れてるし」
「‥‥すみません」
結局あれから、怒って刀の柄に手をかけた西木戸さんを必死で止めて、それから事の経緯を説明するまでひと悶着あった。
「西木戸さん、本当にありがとうございました」
「国衡兄上」
「う‥‥」
「国衡兄上」
「‥国衡、兄上‥‥ありがとうございました」
「うんうん、いいよ。楓は可愛いなぁ」
真顔で迫る西木戸さん、もとい国衡兄上の凄みに負けて呼び直すと、にっこりと笑う。
何だろう、妙に怖かった。
「どうせ背負うなら重い野郎より、可愛い楓が良かったけどね。まぁ、楓が傷物になったんじゃなくて良かったよ」
「だから違うって言ってるじゃないですか」
「あはは」
襲われた私が抵抗して、拳だか足だかが四郎の急所にヒットした為に気絶した、と盛大に勘違いしたらしい。
‥‥‥どれだけ暴れたと思われたんだ。失礼な。
ともあれ、キスの事は伏せて説明すると、やれやれと言いながらも屋敷まで四郎を背負ってくれたのは助かった。
「そうそう。九郎に飽きたのなら一番に俺の所に来てねー。父上なら説得するからさ」
「はぁ」
今、四郎は自室で眠っている。
平泉お抱えの薬師の勿体ぶった話を要約すると、『重度の過労と睡眠不足』らしくて少しほっとした。
本当は、ずっと傍についていたかった。
けれど、流石に枕元に侍るのは出来ないから。
薬師と女房さんに後を任せ、今は西木戸さんと二人で濡れ縁に腰掛けている。
「忠信の奴、最近は寝てなかったからなぁ」
「‥‥‥え?」
『唯でさえ、あんたの顔が浮かんで眠れないのに』
思い出して、どきりとする。
あれはどういう意味なんだろう。
私が泣くと嘘を吐けなくなる、そう言った四郎の言葉の、意味も。
「舘の山から帰ってから毎晩こいつ、夜盗の取締りを買って出てたんだ」
「夜盗?」
「ああ。最近は何処も治安が乱れているらしくてね。余所から平泉に流れて来た奴らが物盗り集団と化してるんだ」
「四郎は取締りをしてるんですね」
「そうだよ。本来は俺か泰衡が指揮を執る筈なんだが、生憎別件で手が回らなくてさ。継信と九郎もまた別件で動いているし、忠信が引き受けてくれて助かっている」
三郎くんと御曹司が動いている別件と言うのは、この前の話だろう。
似仁王から下された命、というアレだ。
──ああ。
だから四郎、あんなに顔色が悪かったのか。
寝ずに働いていたのなら。
本当は花見どころじゃなかったのだろう。
自室じゃなくあの木に凭れていたのも、静かな場所で落ち着きたかったのかも知れない。
女房さんも誰も、居ない場所で。
「五日前、忠信の隊が潜伏場所を見つけたらしい。それから奴らの反発も本格化してるんだ。打尽まで後少しだから忠信も必死って訳だ」
「‥‥‥四郎、大丈夫なんですか?」
「うん?」
「‥‥‥」
『小競り合い』と言いながら、実際は武器を手に戦っているんだろう。
あまりこの時代の常識が解らない。
けれど、少なくとも平成の世界とは常識が全く違う事くらいは知った。
他の土地と違い、如何に平和だと言われている奥州でも、人と人が争う時は容赦なく斬る。
四郎は、武士だ。
戦う為に鍛えている人だ。
──怪我をしないのだろうか。
倒れたり、しないのか。
私がそんな心配を、今ここで口にしていいんだろうか。
「‥‥‥此処に、守りたいものがあるのだろうね」
俯き声も上手く出せない私の頭に、手の感触が伝わる。
「だから命懸けなんだ。あいつらしくないけど」
「‥‥うん、そうだね」
「倒れるとは武士としての鍛錬が足らぬ証拠だ!って継信辺りは煩そうだけど。‥‥‥俺はそういうの、好きだな」
「‥‥‥」
込みあがる言葉を喉の奥で飲み込みながら、国衡兄上に頷いた。
四郎が何を思っているのか分からない。
だけど、今だけでいいから願わせて。
小さい存在でもいい。
四郎の『守りたいもの』の中に、私も入っていればいいのにと。
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