「や、やだ。冗談は止めてよ」
「楓殿は御曹司のご内室になるんだ。これからは、御曹司の事だけを考えて欲しい」
胸が締め付けられる。
「何言ってるの?私はっ‥‥」
「もう、俺達は今まで通りには出来ない」
頭の隅では分かっている。
四郎は四郎なりにけじめをつけようとしていると。
「御曹司の許婚者と俺が近過ぎれば、不審を抱く者が居るんだよ」
「四郎‥」
「‥‥不愉快な誤解を招く。なのに今迄甘えていた」
四郎が私に、甘えていた?
素直な言葉に、嬉しいよりも埋められない距離を感じて声が詰まる。
確かに、私達は近過ぎた。
私を拾ったから、私を放って置けなかった四郎。
この時代に馴染めない私に構うから、彼は私にだけ本音を出せた。
「ごめん」
「四郎‥‥」
知っていた。
四郎にとって私は特別だったこと。
私にとって彼が、特別なように。
‥‥‥気付けば私だけ、『特別』が恋に変わっていた。
それだけの事だ。
「これからは何も心配要らない。御曹司はああ見えてお優しい方だ。楓殿を護ってくれるよ。俺も、御曹司ごと‥‥あんたを守るから」
御曹司ごと、私を守る。
「‥‥‥もういいよ、四郎」
それが四郎の気持ちなら、それに従おう。
今まで十分過ぎるほど優しさを貰った。
生まれた時代に帰れなくなっても、私ならここで生きていける。
笑って、生きていける。
それだけの力を与えてくれた四郎を、これ以上困らせちゃ駄目だ。
「‥楓‥‥殿?」
顔を上げ私を見た途端、驚く四郎の顔が飛び込んだ。
「‥‥‥」
視線に釣られて頬に手をやれば、指先に触れる生温かな物。
春先とはいえ肌を切るような冷たい空気の中、伝う涙がやけにリアルだった。
「あ‥‥ごめんね、急に。最近色々あったから疲れただけだから」
「楓‥‥‥」
「気にしないでね。私なら大丈夫」
この恋を口にする日は一生来なくてもいい。
四郎を困らせたくない。
その為なら、何だって出来る。
御曹司の側室にだって、なってみせよう。
そうしたらうんとうんと、三郎くんと四郎と、佐藤一族を贔屓する。
御曹司‥‥源義経は将来、平家を倒す人。
私に出来ることは何もないけれど、少しだけ御曹司の支えになれたらもう、それでいい。
立場は変わっても、御曹司ごと四郎を支えてゆけたら。それで。
「‥‥私、根性見せるね」
「‥‥‥」
「これからは立場は変わるけど‥‥全然大丈夫。頑張るから」
四郎は思いきり眼を見開き、石のように固まった。
そして私のことをじっと見る。
真下から突き刺さる視線がどうしてだか痛く、責められている気がした。
「‥‥相変わらず嘘吐くの、下手だよね」
「え?‥」
溜息混じりのその言葉がいやに近く聞こえた。
驚いて顔を上げると、いつの間に立ち上がっていたのか。
さっきまで見下ろしていた四郎の顔が今度は上にあった。
「俺の気も知らないでさ、泣くなよ」
「‥ご、ごめん。でも、これは疲れて」
「嘘吐き。あんたに泣かれると、困るんだけど」
「ごめん‥」
「‥‥俺も嘘、吐けなくなるんだよ」
その声に最近になって感じる寂しさというか、苦しさというか、‥‥そんなものを感じて。
逆光であまり表情は見えなかったけど、とても不安そうな顔をしているように思えた。
「唯でさえ、あんたの顔が浮かんで眠れないのに」
「四郎?どうし」
たの?
そう言おうとして開いた口に、ゆっくりと暖かいものが覆いかぶさってきた。
「‥‥っんっ」
吸い付くように角度を変えて口の中を蹂躙するそれ。
四郎の舌だと分かるまで、数十秒かかって。
柔らかくて優しくて、熱い唇。
振り払わなければいけない‥‥。
こんな事しちゃいけないのに。
頭の隅でぼんやり思うものの、身体は動かなかった。
振り払えないよ。
振り払いたくない。
だって‥‥。
「‥‥し、ろっ‥」
「‥‥‥‥花音」
四郎の唇が、私の本当の名を甘く囁く。
「花音‥‥楓‥‥」
そして、四郎が付けた名を、うわ言のように。
四郎はきっと高熱に浮かされている。
正気じゃなくて、明日になれば忘れている。
それでもいい。忘れても。
私は、忘れないから。
このひと時が、永遠に続けばいい。
一生、止まったままでいて。
そうすれば一緒にいられるのに。
ずっとずっと四郎の傍に。
大好きな人の、傍に‥‥‥。
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