御曹司の姿が木々に隠れて見えなくなった頃、漸く四郎が振り返った。
「‥‥‥」
何か言わなきゃ。
そう思うのに何も言えないまま。
しばらく無言で見つめ合って、最初に口を開いたのは四郎だった。
「久しぶり」
「‥‥うん、久しぶりね」
胸が、締め付けられる。
今までどうやって会話していたんだろう。
「‥長いこと、会ってなかったね」
「ああ。俺と兄上は、一旦城に戻っていたから」
「え?城‥‥ってまさか、大鳥城?」
「そう」
「そんな、いつ!?」
「此処一月程は留守にしていた」
突然、とも言える話題転換に一瞬面食らう。
だって、同じ奥州といえど平泉からとても遠いのに。
「ど、どうして言ってくれないのよ!一言くれたら、基治さん達に手紙書いたのに!」
「急だったから。それに言うも何も、避けてたのはあんただよね」
「うっ‥‥そ、それは‥ごめん」
避けていたの、バレてたんだ‥。
小さく謝ると、四郎は少し微笑んだ。
「いいよ。それより行こう。足元気をつけて」
「ん‥‥」
転ばないように、滑らないように。
足場の悪い所を避けて先導してくれる四郎の後ろを歩く。
暫く無言で若緑の地面を歩いていたら、ふと四郎が肩越しに振り返った。
「もう雪も溶けたし、一人で大丈夫みたいだ」
「何のこと?」
「手。一人で歩けるだろ?」
「あ‥‥う、うん」
もう「危ないから」と繋がなくていいか。そう聞かれている。
戸惑いがちに頷いた。
「良かった。もう立場が違うし、無理だと言われたら困っていた」
「あのねぇ、そこまで鈍くないって」
「‥‥‥‥‥‥‥誰のこと?」
「私」
「無自覚って恐ろしいね」
「もう!」
空回りしないよう気を使った軽口の応酬の、その間にも。
四郎がほっとした様に肩を下げるから。
嫌でも痛感させられた。
二人の間に確実に存在する、超えられない空気。
今までの様に、傍で笑いあったり手を繋いだりするつもりが、もう‥‥彼にはない。
これからは、距離を開けるつもりでいるのだと。
『立場が違うから』
やんわりと言葉に包んだ拒絶。
‥‥それを、他でもない四郎が私に伝えたいのだと気付いた。
皆の姿が見えた途端、「手伝ってくる」と一言だけ残した四郎が離れていって。
入れ違いに、私の姿を見て駆け寄ってくれた笑顔の主。
「楓殿、お待ちしておりました」
「あ、三郎くん!久しぶり」
「久方振りです。ご息災の様ですね」
「うん。三郎くんも相変わらずで安心した」
笑い返せば更に開く、あの柔らかな笑顔にほっとする。
ああ、三郎くんは変わらない。
変わらずに接してくれる。
「楓殿?」
「──ううん。そう言えば四郎と里帰りしてたんだってね?今聞いてびっくりした。手紙、出したかったなぁって」
「え?ああ。慌しく出立してしまったのです。楓殿にお知らせすべきと思ってはおりましたが‥‥‥申し訳ありません」
何だかずるい。
素直に謝ってくる三郎くんを前にして、ちょっとした小言すら出せなくなる。
「私こそ事情も知らずにごめん。じゃあ『おかえりなさい』、かな」
「‥‥‥はい。ただいま、戻りました」
三郎くんは一瞬だけ躊躇う様に視線を他所に向け、それから照れたように笑う。
年上なのにこんな所がやっぱり可愛い、なんて言えないけど。
彼の弟には言えなかった『おかえりなさい』も、彼の前なら素直に出せる。
「詫びという訳でもないのですが。文でしたら後日、父上にお届けしましょうか?」
「え、いいの?」
「ええ。近い内に御館の御文を届ける事になるので、その折に」
聞けば、前回の里帰りも御館からの言伝を届ける為だったという。
文使いの者でなく、わざわざ身分高い兄弟を使いに出す程の、用事‥‥?
もしかして御曹司の結婚の日取りとか?
いや。
それなら秘密にしない。
むしろ奥州藤原氏としては、声高に世間に触れたって良いと思ってそうだ。
御曹司の扱いを見てれば分かる。
だけど、それ以外に思い当たる節なんてないし、でも気になる‥‥。
「気になるか?」
「わっ!?──」
そんな声と共に頭上に落ちる、温もり。
振り返れば、多分力任せに置かれた手のひらの上に、御曹司の姿があった。
「‥‥知りたくて堪らぬ眼だな。その様な眼をした女は好きだが」
「別に御曹司に好かれなくても‥‥」
いい。
と言い掛けたけど、流石に人の多い場所でこれは不謹慎。
私達は仮にも許婚。
どうやら皆はそれを歓迎してるムードだし、流石に控えるべきだ。
「御曹司!他に話してはならぬと仰ったのは貴方様で――」
「楓は私の許婚だ。身内の人間ゆえ知らせておいても害はない。それとも養女と言えどそなたの妹である楓を、信ずるに足らぬと申すか?」
「‥‥いえ。信の置ける方ですが‥‥しかし」
返す言葉を無くしたらしい三郎くんと、私の頭を撫でたままの御曹司。
「ならば問題なかろう」
「いいの?聞いても」
「ああ、話を肴に花見酒というのも趣きがあるな。‥‥継信、説明はそなたに任せよう」
「わ、私ですかっ?」
「他に誰が居るのだ?」
「‥‥‥はぁ」
がくりと項垂れる三郎くんが可笑しくて、久しぶりに声を出して笑った。
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