『そなたの心一つじゃ。乙和達が何を望んでおるのか、解せぬほど幼くもあるまい』

御館の声が私の頭の中で木霊する。

何度も、何度も。

何度、考えても答えの出ない「望み」の代わりに、御館の言葉が。

『選択を委ねよう。ゆめゆめ悔いる事の無き様にな』

その短い言葉で理解した。
私には選択肢など与えられていない。

与えられたのは、源義経の側室という橋渡しの役目だけ───。














あれから日は過ぎ、外の雪はすっかり溶けた。


「楓、野駆けに出るぞ。仕度をしてくれ」


と誘ってきた御曹司に頷いたのが一刻前。
一刻というのは私の世界だと、約二時間位らしい。

以前、二人で一度話してからというもの、私達の関係は特に変わらない。
セクハラは流石に無くなったけれど、あの日みたいに御曹司が口説く事もない。
毎日顔を合わせては、世間話なんかをしている。

御曹司は相変わらずふらふらと館の外を出歩いているし、時々女の人と話しているのを見かけるけれど。

やれやれ‥‥なんて呆れちゃうけれど。
そんな彼に怒る気にはなれない。
御曹司らしいと思わせてしまう辺り、彼も色々と得な人だ。


とにかく、最近御曹司といると楽なのは確かだった。


「いいけど、何処行くの?」


指定通り、失礼でない程度の軽装をして表に出ると、既に馬が用意されていた。


「中尊寺の近くに桜が綺麗に咲いていた。連れて行ってやろう」

「本当?天気もいいし、外に出てみたいなって丁度思っていたの」

「‥‥‥そうであろうな。最近、あまり出歩かないと聞いた」


にっこり笑う御曹司の気遣う言葉が嬉しくて、私も自然に笑顔を浮かべた。
彼の優しさはとても分かりやすい。

それに、女の扱いに慣れているのもあってか、嫌味がない。


「折角だから皆で花を愛でようと思うてな、手の空いてた女房にも手伝いを頼んだ」

「そうなんだ?だから若桜さん居なかったんだね」

「ああ‥‥護衛に継信と忠信も向かわせている。無論、弁慶も目付け役に来るそうだ」

「‥‥そっか」


久々に聞くその名に、鼓動が乱れてしまう。

顔、上げられない。

誤魔化すように俯いた私の背後から、第三者の声が聞こえたのは有り難かった。


「無論。九郎様が行方不明にならぬ様、眼を光らせましょう」

「‥‥お前は私の親か?弁慶」


表情の変わらない弁慶さんと心底嫌そうな御曹司の会話を聞きながら、違うことを考えてしまう。

‥‥会うんだ。

四郎にも、三郎くんにも。

もう、どれ位会っていなかったか。
縁談を聞いたあの日以来だったかな。

あれから私は避けていて、きっと彼も私と会おうとしなかった。だから。


「どうした、楓?」

「ううん、何でもない。桜、楽しみだね」

「きっと楓も気に入ると思うぞ?」


御曹司が悪戯っぽく笑った。











御曹司に抱えられるようにして馬に揺られ三十分ほど過ぎた頃、馬の足が止まる。


「よし、着いたぞ」


あまりに早く駆けるので、その間固く瞑っていた瞼を慌てて開けた。
馬上にて酔いかけた私の眼に広がる、景色。


「わぁ‥‥っ」

「どうだ。素晴らしいだろう?」

「‥‥うん。凄いね」



‥‥絶景って、まさに今の風景を言うんだろう。


小高い丘の中腹だった。桜と草原と川と、空。

溶けた雪は透明な水となり、大地に染み込んでゆく。
水が集まって小さな川になり、そして本流へと流れて。

冬の厳しさに耐え抜いた木々が次々と蕾を付けて、色華やかに開く、花々。

真っ白だった広大な地に、芽吹く緑。

どこからか小鳥の囀りが小さく聞こえて。


───激しい寒さを過ごしてきたからこそ、眩しいまでの『生』を慶ぶ。


これが、平泉の春。

愛しい程晴れやかな、雪国の春。


「この景色をどうあっても見せたくてな。これから共に生きる、そなたに」

「‥‥‥」

「さて、此処から皆の居る場所までは徒歩だが‥‥‥ああ、来たな」


押し黙ってしまった私に気を悪くした様子も無く、御曹司は笑いながら私の身体を馬から引き降ろす。

それから首で示された方を見れば、斜面の下からこちらに向かってくる人物。


「四郎‥‥」


久しく見てなかった、濡れ羽色。

眼にした途端、胸が切なく鳴る。


「お待たせしました。ああ、馬は預かります。あちらに馬屋があるので繋げてきます」

「いや、私が行こう。忠信は楓を連れて先に行ってくれ」

「え?」


四郎と‥‥二人で?

思わぬ御曹司の言葉に眼を見張る。
四郎も同じだったんだろう、珍しく戸惑っていた。


「‥‥ですが」

「知っていよう?こいつは気性が荒くてな、駆けた後は私にしか手綱を握らせぬ」


笑いながら事も無げに告げる御曹司に、ややあって四郎が頷く。


「‥楓殿は、お任せを」

「頼む。‥‥楓、また後程話をしよう」

「う、うん」


ふわりと頭を撫でて離れてゆく、御曹司の指。
不意に近付いた広い肩。
笑みを含んだ眼差し。
女好きなのが難だけど、とっても優しい人。

そのどれもがきっと魅力的な筈なのに。

私の視線は、他を向いてしまう。
どうしても、色あせてしまう。




‥‥‥四郎。



馬を連れた御曹司を見送る、四郎の後姿。
濡れ羽色の髪を見つめるだけで、涙が出そうになる。

今、言葉にしたらきっと溢れてしまう。
言ってはいけない事まで溢れそうで、だから黙った。



四郎。
四郎‥‥。


素直な気持ちが溢れてくる。




ねえ私、すごく、会いたかった。





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