『寂しく思う時はいつでもおいでなさい。私はもう、あなたの母上の代わりなのですから』

『乙和の申す通りじゃ』



何より、勇気付けられた言葉。
不安だった私の、心の深い部分で根付く、優しいことば。



‥‥基治さんと乙和さんの優しさすら嘘だとは、思ってない。

ただ、悲しくて。

あの言葉にも裏があったのかな。

政治の道具だったのかな。

なんて疑ってしまう自分が、悲しい。














数日経った昼下がり。


お稽古事どころか何もかもにやる気が出なくなった私は、ずっと部屋の中で籠もっている。
誰とも話す気になれなくて。

女房さん達も私に遠慮してか、必要以上に話しかけてこなかった。


幸い部屋には、勉強の為に借りた書簡が一杯ある。

難しい漢字がどうしても読めなくて、ここ最近はすっかり読書なんて止めてた。
けれど、今はその漢字が有難い。

少なくとも夢中になれば、何も考えずに済むから。




‥‥そんな生活も今日で五日目。丁度飽きてきた頃だった。


「楓様、どちらをお召しになられますか?」

「うん」

「先日は紅梅の重ねでしたので、今日は花山吹がよろしいかと」

「‥うん」

「楓様?」

「‥‥あ。う、うん、それがいいな」

「かしこまりましたわ」


はっと我に返り頷くと、若桜さんはにこやかに笑った。
それから他の女房さん達に促されるまま、前に紅梅重ねの衣を着たときみたいに何枚も袖を通していく。


【重ね】と言うのは着物の色目を差すときに割と使われるらしい。
花山吹の重ね、つまり山吹をイメージしたそれは薄い黄色と青系統を重ねた春らしい色合い。

でも、非常に重い。
流石に十二単ほど着込まないけれど、五枚‥六枚位着せられると重たくて。
頭に【かもじ】という長い付け毛をしてもらうと、もう身動きするのも億劫なほど。


「お綺麗ですわ。九郎様も喜ばれましょう」


私の手を取る若桜さんに引っかかるものを覚えながらも、曖昧に笑うことで返す。


今は綺麗な着物を着ても、心から喜べない。

どんなに着飾ってもそれを見せる人が、セクハラ御曹司だからかな。


‥‥それよりも今は、確かめたいことがある。
少しためらいながら口を開いた。


「あの、若桜さんも知ってたよね?」

「知って‥‥‥とは、どの事でございましょう?」

「私が御曹司の側室になるって」

「え‥‥」


髪を梳いてくれている若桜さんの手が、ぴくりと震える。
それはほんの一瞬。
まるで時を止めたかのような。

何故だろう、違和感を覚えた。


「若桜さん?」

「──え、ええ。御館に楓様のお世話をするようにと申し付けられた時に、伺いましたわ」


教えてくれたらよかったのに。


そう思ったけど、すぐにそういう訳に行かないんだと思い直す。

若桜さんにとって私は、御館から預かった「主人」。
その主人に聞かれもしないことを、自分から不用意に話す訳にいかない。

いくら私が彼女に世話されるような身分じゃないって言っても。
本当はこの世界で生まれたんじゃなくても。

そもそも彼女は私がどんな人間か知らないし、私も彼女に真実を話せなかった。

そうである以上、私には何かを訴える権利なんてないのかもしれない。


「そっか」


それでも今は、若桜さんには気持ちを聞いてほしい。

いつも柔らかく笑ってくれる若桜さん。
それが仕事でも、嫌な顔ひとつせず動いてくれる。
そんな存在を頼りに思うのは、当然の流れというもの。



「‥‥‥あのね若桜さん、実は私」

「失礼、楓殿」


言葉の途中、タイミングよく御簾の外から掛けられた男の声に、遮られる。


「御仕度は宜しいでしょうか?御曹司がお越しでございます」

「あ、はい!今行きます」

「では楓様、私も‥‥」

「いえ、女房殿は此方でお待ちを。楓殿お一人でお越しになる様、申し付かっております故」


この声は以前、御曹司と話していた時に聞いたことがあるような‥‥。
誰だっけ?
あまり馴染みがないんだけど。

それはともかく、タイミングを逃してしまったけど、仕方ない。


「ですが、楓様をお一人で殿方の元へは‥‥」

「心配はご無用。道中、私が楓殿の御身を御守り致します」


若桜さんにはまた折を見てゆっくり話すしかないよね。


「私なら大丈夫だよ、若桜さん」


少しだけ渋っていた若桜さんも流石に御曹司の従者には逆らえなく、ややあって溜息を吐いた。


「そうですか‥‥では、楓様を宜しくお願い致します」

「‥‥はい」

「じゃあ行ってくるね」

「行ってらっしゃいませ、楓様」


いつもの様に笑顔で見送る若桜さんに私も笑みを返しながら、御簾を捲り滑り出る。

廊に出た私を待っていたのは、片膝を床に付いた姿勢で控える男の人。


やっぱり、見たことない。


着物というよりも、寺の住職みたいな墨染めの衣服に、頭に白い布を被ってる。

マチコ巻き‥‥?
いや、それは失礼か。

御曹司の従者なんだろうけど、どっちかというと武士よりもお坊さんに見える。
本当に、誰だろう?


「‥‥あの、あなたは?」

「九郎様がお待ちです」

「え?あ、はい‥‥」


私の問いをあっさり無視して、すっと立ち上がる。

その姿に息を呑んだ。



‥‥背、高い。

180センチはありそう。



それでいて大きさを感じさせない、無駄のなさ。
綺麗な立ち方だと思う。

三郎くんや御曹司も無駄がないけど、また少し違う。
なんだろう、もっと雰囲気があるというか‥‥。


そう。
四郎に、似てる。
武士、というよりも‥‥貴族っぽいのかな。
四郎も、見かけは武士なんて雰囲気とは無縁っぽいから。


ふと脳裏に浮かぶ、一番会いたくない夜の色。

それを振り切って、足早に男の人の背を追う。

道中、一言も会話なんてなかった。




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