あひ思はでうつろふ色を見るものを
花に知られぬながめするかな
「そなたと御曹司の婚儀が決まった故、心せよ」
「‥‥‥はぁあっ!?」
久々に目通りを果たした御館が、威厳たっぷりに放った言葉。
その言葉の意味があまりにも、あまりにも現実味がなくて呆気に取られた。
「そなたに舞を指南している者に昨夜聞いての。荒削りだが、舞も琴も筋が良いそうだ。将来が楽しみだと言うておったぞ」
「そ、そうなんですか?」
「うむ。それに、御曹司とも中睦まじいとも風の噂で聞いたがの」
話が繋がってない。琴と御曹司との関係が見えないんだけど。
‥‥それに、どういうこと?
仲睦まじいって、この場合はやっぱり御曹司と‥‥私のことだとは思うけれど。
「あのっ!意味がわかんないけど‥‥一体なんでそんな話に‥」
私の言葉に御館が眼を開く。
「なんと!何も知らぬと?」
「何も、というか初耳ですけど」
「‥‥‥うぅむ」
きっぱり「初耳」部分を言い切れば、眉間の深い皺を更に寄せて唸った。
まるで私が知っているのを前提だったと言わんばかりの態度に、不安が押し寄せる。
「とうに聞いておるものと思うていたがの」
「聞く‥ですか?」
「左様。忠信がそなたに話をせなんだか?」
四郎が、話を?
「‥‥‥いえ。何も」
首を左右に振る。
だって御曹司の話題が出たこと自体数えるほどだし、それもセクハラへの愚痴を言う私に呆れてた、位だし。
「‥‥何も聞いておらぬ、か」
「‥‥‥っ!」
御館がゆっくりと頷く。
その前の一瞬、鋭く光る眼光に息を呑む。
咄嗟に俯いた顔は上げられない。変化は、読み取れない。
「ならば我が話そう。そなたを平泉に呼び寄せた理由を」
「理由‥‥‥」
御館の次の言葉で、私は頭を殴られたような激しい衝撃を覚えた。
話が終わり御館が出て行って、それでも私は動けなかった。
しん、と静まり返った室内。
「楓」
「‥‥‥」
後ろから呼ぶ声。
きっと話が終わるのを別室で待っててくれたんだろう。
だけど、どんな顔して振り返ればいいのか分からなくて。
「御館がお戻りになられたのに、なかなか出て来ないから」
「‥‥四郎」
「その様子だと聞いたんだな」
「っ!!」
振り返れば、私より一人分後ろに控えた四郎の、静かな視線。
まるで初めから知っていたといわんばかりに。
私の反応を予想していたように、静かな眼差しが降る。
「‥‥どうして黙ってたの」
「何を?御曹司の側室の話?それとも父上と母上があんたを此処に送った本当の理由?」
私が、側室。
正式な妻でなく、現代で言う妾。
この時代では側室を何人も持つのは当たり前で、一夜だけの妻や、お手つきの女房を沢山作ってる貴族なんかも珍しくない。
実際に、佐藤家の基治さんと乙和さんの様な夫婦は稀なんだそうだ。
そんな中でも側室は正式な地位だ。
正室に次いでの『妻』。
‥‥どうやら私は、そうなることが決まっていた。
大鳥城にいた時から。
「どっちもよ!!」
叫んで、思い切り睨み付けて。
それなのに惨めだと感じるのはどうしてだろう。
問い詰めたいのに、今、とても惨めで苦しい。
御館の威厳を前にした時よりも、四郎が居る今の方が、怖い。
「四郎も!三郎くんも、御曹司も!国衡さんだって皆知ってるって!!私だけ何にも知らなかったって言うじゃない!どうしてっ!?」
私の事なのに。
私だけが一切知らず、彼らだけでなく女房さん達も皆知っていたらしく、そのつもりだった。
奥州に来るのは、佐藤家の娘。
藤原家の養子となり、御曹司の側室になる娘が、館の山からやってきたのだと。
だから、こんなに良い待遇だったんだ。
だから、御曹司が私の部屋に居ても、当然のことだったんだ。
私が藤原家の養女で、将来には源氏に嫁ぐから。
「簡単だよ。あんたに話すと色々と面倒だから」
「なっ‥‥」
「最初から知ってたら、あんたは平泉に来なかった。平泉に来てすぐに言ってたら、一人で帰ろうとしてたかもしれない」
「‥‥‥っ、それは」
四郎の言葉は間違ってない。
きっと、そうしていた。
「あんたの性格は掴める。だから兄上や御曹司に頼んだ。‥‥楓には何も言うなと」
「そんな‥‥」
「‥‥知らない方があんたの為だと思ったのも、あるけど」
痛い。
御館の口から聞かされた、御館が考えていた『未来』や佐藤夫妻が私に寄せていた『期待』よりも。
三郎くんや御曹司まで知ってた『現実』よりも。
四郎が淡々と紡ぐ『事実』が、もう‥‥泣きそうになる。
他の誰でもなく、四郎だったから。
「これは御館と父上の御決定だ。あんたは初めから、御曹司の側室として平泉にやって来たんだよ」
「‥‥‥‥」
「今、藤原には年頃の娘がない。そこで藤原に仕える佐藤家の娘を養子とし、源九郎義経様の室に据える。奥州と御曹司、ひいては源氏との縁戚関係を結ぶ為に」
大鳥城で生活を始めてからこれまで、何も知らずにいた訳じゃない。
少なくとも知ってる。
この時代の結婚は、恋愛とは別。
家や政治の為の婚姻も普通なんだということも。
今の世は平家が栄えていることも。
源氏はまだ挙兵していないことも。
そして歴史の先に、平家が滅ぶことも‥‥私だけは知っている。
だけどあまりにも静かなその視線に、私は我慢が出来なくて叫びたかった。
ふざけるなって。
勝手に決めないでって。
従うつもりなんてないって。
‥‥御曹司をどう思ってるか、以前に、結婚なんてごめんだって。
「どうする?嫌なら逃げるしかないよね、全て捨ててさ」
‥‥なのに。
「‥‥‥逃げないよ」
そう答えるしか、私には残されていない。
「そう。決心ついたなら、帰るよ」
「‥‥」
既に足は痺れ切っていた。立つのも覚束ない。
でも、いつもと同じく伸ばされた四郎の手を無視して立ち上がる。
「楓‥‥‥」
手なんて繋ぐ気になれない。
話の間、一度も瞳を揺らすことのなかった四郎。
『面倒だったから言わなかった』、と迷いなく言い切った四郎。
私の知ってる‥‥‥ううん。
知ってると思ってた、今までの『四郎』がもう、分からなくなって。
でも私には、彼を責める権利なんて、本当はない。
背後から物問いたげな視線を受けながら、脳裏には低く太い御館の声が何度も過ぎった。
『そなたに選択を委ねよう。ゆめゆめ悔いる事の無き様にな』
冷たい眼と、共に。
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