本格的な寒さと言うものを初めて知った。

私が住んでいた神戸にも雪が降ったし、中学校の修学旅行でスキーをした時もとんでもなく寒いと思ったけれど、それとは別格。
便利な暖房器具もなく火を熾して暖を取り、かじかんだ手をこすり合わせるような、芯から冷える寒さ。
だからなのか。
住人の暖かさや優しさが、一層強く感じられるのは。


眼を遣れば、庭に咲く白い花が雪と同化しているかのように。

真冬に可憐な花を咲かせる、梅の季節。













ここは何処なんだっけ‥?
自分にあてがわれた部屋の、高い天井が見える。
うん、私の部屋だ。
だけど、何かが変。

身体が重たくなってる気がしたから、腕を上げようとして、動きが止まった。


「ぎゃっ!」


上げかけた悲鳴は大きな手で塞がれた。


「心配せずとも良い、私は不埒な男ではないからな」

「ふら、っ、う‥んぐっ!!」


充分不埒な事してるでしょうが!!

と心の中で喚きながら手を退けようとじたばた暴れてみるも、こうがっちりと腹の上に跨られては身動き取れない。
ちょっと、息が出来ないんですけど!


「騒ぐな。誰か来ればそなたが困るだろう?」

「──っ!?」


いやいや、現段階で苦しくて激しく困ってるんですが!


「私は別段構わぬが。相手がそなたなら」

「───っ!」


騒ぐでないぞ?
と念押しされ眼で何度も頷くと、納得したのかすぐに開放された。
漸く肺に流れた新鮮な空気に噎せ返り大きく息を吸って呼吸を整えた私は、涙目で招かざる客を睨み付けた。

そうしなければこの二十センチもない至近距離に耐えられそうもなくて。


「一体、何なのよ、御曹司‥っ!?」

「夜這いと思えばいい」


思えばいいって。何言ってるんだこの人。


「ばっ、馬鹿でしょあなた!?」

「仕方ないだろう。‥‥‥‥好いた女に何を遠慮することがある」

「何が好い、て‥‥って?‥‥‥‥えっ‥?」


心臓が、止まった気がする。

いつに無く真剣な眼差しで、ひたと私を見据えてくるから。
艶やかな深い青の髪が、眼を見開いたままの私の頬に落ちてくる。


「好きだ」

「‥‥っ!?」

「楓が好きで止まらぬ」

「あはは、な、何言ってるの。う、嘘なら起きてから言えば?」

「‥‥‥嘘ならば上手く言葉を紡げる。何故に、そなたは嘘だと申すのだ?」

「だっ、だって、御曹司には他にも女の人が」

「‥‥‥女などそなた以外に要らぬ。楓、私はそなたが‥‥」


そこで一旦言葉を区切った唇が、ゆっくりと閉じて。
間近で見るととても綺麗な瞼もまたそっと眼に蓋をしてゆく様に、胸が震えた。


「‥‥誰よりも、好きだ」


──ああ、キスされるんだ。

人生初の口づけがあの源義経だなんて皆が知ったらびっくりするだろうな。
うん、友達に自慢できるかも。

ドキドキする胸は正直。
嫌なら逃げるべきだ。なのに、不思議と嫌だと思わない。

それどころか‥‥。

近づいてくる顔に恥らいながら、私も瞼に蓋をした。














「‥‥あ、ああありえないってば──っ!!」


勢いよく叫んだ自分の声で我に返ると、そこは自分の部屋だった。
飛び起きたらしく、布団の上で息が上がってしまっている。


「良かった‥‥夢で‥」


よっぽど悪夢だったのか、単衣が汗がしっとり湿っていた。


「そりゃぁ悪夢だわ。何なのよアレは‥っ」


頭を抱えながら何度も「あり得ない!」と繰り返した。

何故、あんな変なモノを見てしまったのか。

あり得ない。
あの女好きな御曹司が女は一人だけでいいとか。
そりゃ散々夜這いまがいな事はあったけど、あんな雰囲気は一度もなかった。
あんな、真剣な眼差し。

それに、私も。
あろう事かドキドキして、眼を‥‥。


「楓様、お起きになられましたのね。おはようございます」

「ひぃぃぃいいーっ!!」

「か、楓様!?」


何考えてたの私ってば!








──最近、私は変だ。

四郎辺りに言えばきっと「今更気付いたの?」なんて返って来そうだし、三郎くんに言った日には思い切り心配かけそうだから絶対に言わないけど。

何ともいえない異変。
まるで今日の空のように、私の心も不安定な気もする。


「‥‥」


その不安が集まって、今朝みたいな夢を見たのかもしれない。
非現実極まりない夢を見たんだろう。

うん、そうだ。


「そんな所で何してるの?」


そうでなかったら説明が付かないじゃない。


「‥‥穴?」


私ってば最近情緒不安定な節がある、とか自分でも思うし。
そう言えば一昨日、若桜さんに顔色が悪いって心配かけちゃったから。


「楓」

「そ、そうだよね!まさか御曹司ってねぇ」

「御曹司がどうかした?」

「──ひぃいっ!!」


うんうんと頷いた私その時、いきなり人間の顔が落ちてきた。


「何、その怨霊に遭遇したような顔は」

「し、しし四郎っ!?いきなり出てこないでよ!」

「‥‥‥いきなりじゃないけど。何度話しかけても、楓が上の空だったんだろ」

「そ、そうだっけ?あ、あはは、ごめんね?」

「‥‥‥」


心臓が持たないと思いつつ引き攣った笑顔を返せば、四郎から盛大な溜め息が降って来た。
どうやら彼は私みたいに雪の上にしゃがみこむ気はないらしく、すくりと立ち上がって私の手元を凝視している。
つられて見ると、手首までの深さの穴が開いていた。

いつの間に。
どうりで手がかじかむと思った。


「ところでさ、穴掘って何か埋めるつもり?」

「‥え、穴?‥‥あ!ああ、そうそう!嫌な夢をちょっとね!」


自分で言いながらおかしな発言だと思った。
これは馬鹿にされるだろう、と苦笑しながら顔を上げる。そんな私の予想に反して、彼は笑ったりしなかった。


「‥‥まぁ、楓がおかしいのは今に始まったことじゃないからいいけど。風邪引かない程度にしなよ」

「うん」

「あと穴に落ちたりしないように。あんた背負うの重いし」

「う、うん?」


‥‥‥馬鹿にされてる?

いや、本気で心配されたんだろうか、頭とか。
それはそれでどうかと思うんですが。


それでも、ふわりと肩に落ちた温もりの正体に気づくとつい、顔が綻ぶ。


「へへ、ありがと」

「‥‥別に。その辺で見つけただけだし」

「え?だってこの模様、乙和さんが同じの着てた」

「さぁ?忘れた」


忘れた、なんてきっと嘘。

淡々とした素っ気無い言葉。

言葉とは裏腹に、暖かい綿入りの羽織。
それも見覚えのある女物の。

いつものように顔を背けながら、けれど邸の中に帰ろうとしない四郎。


もし夢に現れたのが四郎だったら、私はどうしてたんだろう?

ふと、思った。

ドキドキするんだろうか、って。


 



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