厳しい吹雪のお陰で外出禁止を言い渡され、邸に籠もって一週間後の早朝。
久々に引いた弓の感覚に体が慣れた頃、すっかり息が上がっていた。


「片付けてくれ」

「はっ」


三郎くんに返事するのは、まだ若い兵士。
鍛錬に使っていた弓を下げて行く兵士を見送ってから、私は三郎くんが差し出してくれた手をとる。
雪の上にへたり込んだ私の身体は難なく引き上げられてすぐに手が離れる。


「三郎くん、今日もありがとう。お疲れ様」


息も絶え絶えなのは私だけで、三郎くんは汗ひとつ掻いてなかった。


「楓殿こそお疲れ様です。良い鍛錬となりました」


三郎くんは優しい。
こうして私が気を使わないように笑ってくれる。

私の弓に独特の癖があるのを指摘し、丁寧に何度も指導してくれたばかりか、そんな師事の途中にも藤原家の兵士さんに頼まれて木刀で稽古までつけていた。
なのに、全く疲れてないみたいでそれがちょっと悔しい。

以前そう言ったら「これ位で音をあげては武士とは言えません」と返されたけれど。


「楓殿は随分と腕を上げられましたね」

「本当、三郎くん?」

「ええ、とても。楓殿の成長を目の当たりにすると、私も意欲が湧きます」

「わぁ、嬉しい。褒められちゃった」

「最初は如何なものかと思っておりましたが。この分では直に野兎を射る事も出来ましょう」

「‥‥う、ウサギって。いやいや、まだまだそこまでは。それに、あんまり好きじゃないしなぁ」


殺生の為に習った訳じゃない。
なんて言葉を吐いたものの、この時代を生きる人を舐めていると受け取られないかとヒヤッとした。


冗談半分でセクハラ御曹司対策なんて言っちゃったけれど、半分は暇つぶしみたいなものだし。
でも毎日しかも早朝から鍛錬している三郎くんを見ると、私の考えが甘いのかなんて思う時がある。


「ああ、確かに楓殿は獲物を仕留めるよりも、花を愛でる方がいいでしょうね」

「‥‥能天気に見えるからって言いたいんでしょ?四郎みたいに」


拗ねたフリして言えば、三郎くんは苦笑するよう微かに口端を上げ、首を左右に振った。


「まさか。楓殿に花がよくお似合いでしょう?」

「‥‥う、そんなことっ‥」


三郎くんは時々、さらっととんでもないことを言う。
しかも本心らしい。これだから天然は困るんだ。


「‥?熱でも出ましたか?」


瞳が心配そうに細められる。
一体誰の所為よ。


「兄上が口説くからですよ」


背後から、三郎くんとは違う声。

首を回して視線を向けると、肩を竦めた四郎が立っていた。


「四郎!」


突然の登場に、私以上に三郎くんが慌てていた。
四郎の声には驚く様子が無いから、近づく気配は感じていたと思う。
だから慌てているのは、そのことじゃなくて。


「そっ!?ととととんでもないっ!く、口説くなど‥‥っ!?」


頬も耳も分りやすいほど赤く染まっている。
数ヶ月一緒にいたから知っている。
三郎くんはちょっと天然だけどとてもピュアだ、天然なアレだけど。


「兄をか、からかうでない!大体お前は鍛錬にも顔を出さず何をしていた?」

「俺ですか?御曹司がお呼びでしたので」


へぇ。御曹司、たまには早起きする事もあるんだ。
そういやセクハラまがいな事をする時って早起きだよね、うん。

そこでふと、夢を思い出した。
緩やかに瞳を伏せる、睫毛のながい‥‥‥。


「‥‥御曹司に?」


ひぃぃ、とあげかけた悲鳴は、三郎くんが先に発した声のおかげで出ることは無かった。
叫ばなくて良かった‥‥‥けど、一体何なんだろう、三郎くん。


「今度は兄上をお呼びです。すぐに来る様にと」


ぴり、と緊張感が走った。
鈍い私でもそう思うほど一瞬張り詰めた空気は、ややあってため息と共に吐き出された言葉で霧散した。


「‥‥分かった。楓殿、お話の途中申し訳ありません」

「気にしないで、ありがとう。行ってらっしゃい」


ひらひらと手を振ると三郎くんは申し訳なさそうに一礼をし、それから御曹司の部屋の方向に歩き出す。

なんだか、今の三郎くんが変だった。

首を傾げながら隣に立つ四郎を見上げる。
三郎くんの背中を見送る眼差しからは、いつもと同じで感情があまり掴めない。


「‥‥何?」

「え?‥何、って。私の方が聞きたいんだけど‥‥」

「だから、何?はっきり言ってくれなきゃ分からないんだけど」


詰問口調とまではいかないけれど、声はいつもと違って棘がある。
珍しい。四郎が、こんなに。


「御曹司に嫌なことでも言われた?」

「───は?」

「四郎、辛そうな顔してる」


辛いというか、苦しそう。


「‥‥‥」


渋い顔をして四郎は黙り込んだ。
これは本当に嫌なこと言われたのに違いない。
あのセクハラ御曹司め、四郎にこんな顔をさせて。
その上今度は三郎くんにも何か言うつもりなのだ、何か分からないけれど。


「よし、あの馬鹿御曹司を締めてくる」

「待て」


勢いつけて走り出そうとした私の襟が後ろからぐいと引かれ、「ぐぇっ」と蛙のような情けない声が上がった。


「は、離してよ!今助けなきゃ三郎くんが馬鹿の毒牙に‥‥っ!」

「馬鹿はあんただよ楓」

「だって、四郎も‥」

「心配するような事は何も無いから」

「でも」

「大丈夫だ」


呆れた様に溜息を吐く四郎からは、さっきの重い空気が消えていた。
らしくない四郎は見たくなかったから、ほっと、息を吐く。


「‥‥‥花音」

「んー?」


ただ、襟を捕む手は離す気配がなくて。
久々に聞くその名前に、胸がざわめいた。


「俺の心配は要らないし、じきにそんな暇も無くなる。それに‥‥‥‥これからあんたは、自分の事を気にしなければいけなくなるから」

「自分の心配?あ、舞の先生から聞いたんだ」

「違う」


私はどうも舞だの琴だの、姫君っぽい優雅な嗜みとは合わないらしい。
昨日も足捌きに艶が無いとか散々嘆かれたのだ。
だから練習をしろと言いたいのかな、と思ったのに、四郎はあっさりと首を振る。


「とにかく、朝餉が済んだら柳の御所に行くよ。あんたを連れて来るよう、御館から申し付けられた」

「御館が?珍しいね、どうしたんだろ」


何故「自分の心配」の話から御館が出てくるんだろう。
四郎の話に繋がりがなくて、意味不明で解読が難しい。


当の本人はそれ以上話す気がないらしく、館に戻り一緒に朝餉を頂いた後、連れ立って衣川館の門を出た。







町並みは白い。
ここ数日の吹雪の所為で、見慣れたはずの銀世界は更に白の度合いを深くしていた。

吐く息も、白い。

柳御所に行くと告げた私に若桜さんはしっかり厚着させてくれた。
けれど裾や袷から忍び込む冷気が痛くて、歩きながら手を擦り合わせる。
そんな私を見かねたのか。
ふわり、肩に降る熱。


「あ、ありがとう‥‥」

「暑くなっただけだから」


嘘ばっかり。

今、私が着ているのは乙和さんのあの羽織。
寒いからと若桜さんが用意してくれた。

その上からかけられた、男物の羽織。

こっちを見ない四郎。

クスクス笑う私。


‥‥‥ずっと、こんな日が続けばいいのに。

いつまでも、隣にあれば。根拠もなく思っていた。









それらが崩れるのは、


「そなたと御曹司の婚儀が決まった故、心せよ」


久々に目通りを果たした御館が威厳たっぷりに放った言葉だった。







君以外に誰にこの梅の花を見せようか
 この色も香りも僕たちだけのもの
 (紀友則・古今集38)




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