雪に埋もれた木々の間から見えるのは星空。

流れる静寂の時間。

少なくとも、見える範囲で外に居るのは二人。
御曹司が居なくなった途端、だんまりが始まった四郎と、私だけ。


「四郎、昨日はごめん」

「‥‥‥」

「ごめんね。色々考えてみたんだけど、どうしても怒らせた原因わかんなくて。あ、本当に私なりに考えたんだよ!」

「‥‥‥」


今朝みたいに無視されまいと、その一心で、彼がふいと目を背けても私は話し出した。


「四郎はいつも仏頂面だけど、無闇に怒ったりしないでしょ。だから私が怒らせた。それは分かるの。でも‥‥‥」


逃げないように、四郎の袖をぎゅっと握った。
重ねた衣越しに仄かな熱が、冷えた指先に伝わる。


「でもね、私は基治さんと乙和さんを、誰かの代わりだなんて思ってないよ。私、取る気なんてない」

「‥‥‥は?」

「基治さん達はとっても大切だけど、本当の親じゃないってちゃんと分かってるから。四郎のご両親を取り上げようとしてるって勘違いさせたなら、ごめんね」

「はぁ!?ちょっと、待って──何言ってるんだよ」

「え?寂しさのあまり二人に甘えちゃったから怒ってるんでしょ?そんなつもりは無かったんだけど、‥‥‥って、あれ、四郎?」


私が一日かけて出た結論を口にしている間、四郎は珍しく本気で絶句しているみたいだった。


「‥的、外れてるっ‥‥」

「え、聞こえなかったけど何?‥‥‥まさか頭痛とか!?」

「‥‥もういいよ、あんたには完敗だ」

「やっぱり頭痛いんだ!?ごめん!私の所為で外にずっと立ってたからっ」

「だからもういいって。それより身体冷やすからいい加減中に入るよ」


頭を押さえた四郎の事がこの時は心配で心配で。
だから、館に入ってゆく四郎の雰囲気が少し柔らかくなったのにも気付かなかった。

館の中はバタバタと足音が飛び交っていて、いつになく慌しい。
「あら、楓様も濡れていらっしゃるんですか?早くお召し換え下さいませ」と走る女房さん数人に、すれ違いざま声をかけられる。
どうやら彼女達は御曹司の部屋に向かっている様だ。

‥‥‥やっぱり。
私じゃなく御曹司がいないから、大騒ぎになったみたい。
四郎や御曹司達は兎も角。館に仕える人達は皆、私が外に居た事すら知らないみたいだし。

尤も、その御曹司は私を追って来てくれたので、そう考えると原因は私なんだけど‥‥。


「‥‥あれ?四郎の部屋、あっちだよ」


ずんずん先へ行く背を追い廊下を歩けば、真っ先に私の部屋へ向かっている。


「知ってるよ。楓じゃないし」

「ま、迷子になってばかりで悪かったわね!」

「‥‥あぁ、自覚はあったのか」


失礼な。


「あのねぇ!‥‥て、若桜さん?」

「楓様!よくぞご無事で‥っ!」


言い返そうとした私に柔さがぶつかり、ふんわりと甘い大人の匂いに包まれた。


「‥‥お探ししてもお姿はなく、この若桜、もう生きた心地が致しませんでした!」

「ごめんなさい‥‥」


ぎゅう、と抱き着かれた身体を支えると、華奢な背中が震えていた。

心配、かけてしまった。
申し訳なさで一杯になる。

せめて気の済むまでこのままでいようと若桜さんの背中を撫で続け、しばらく経った頃。


「‥‥‥何?」

「楓様?」


ひんやりと刺さる視線に気付いた。


「ううん。若桜さんじゃなくってね」


四郎が。

そう続ける前に若桜さんが顔を上げ、じっと見ていた視線に気付いて小さな声を上げた。


「‥‥あっ」

「えーと四郎?こちらが若桜さん。私のお世話をしてくれている女房さんなの。若桜さん。彼が四郎‥‥じゃ分かんないか。佐藤家の」

「勿論存じ上げておりますわ‥‥‥貴方様が、佐藤四郎忠信様でいらっしゃいますのね」

「‥‥だったら何?」

「御前失礼致しました。私は楓様の御世話をさせて頂いております若桜と申します。以後お見知り置きを」


さっと身体を離し一歩下がって両手を床に着く。
隙のない女房の鑑、と言わんばかりの完璧な挨拶は、さすが若桜さんだ。

そんな彼女とは対照的に、四郎は不機嫌に眉を潜めただけ。


「あっそ。楓、もういいだろ?帰る」

「う、うん!ありがとう四郎!」

「‥‥」


お礼も最後まで聞かずにそそくさと部屋を出ていった。

もう。四郎ってば相変わらず無愛想なんだから。


「ごめんね、若桜さん」

「‥‥?何故、楓様が謝られるのですか?」

「四郎、無愛想だから。あれね、多分人見知り激しいみたい。慣れたら結構喋るんだけど」

「‥‥‥それはきっと、楓様だからだと思いますわ」


この時のふと笑った顔が、いつまでも忘れられないでいた。











四郎が何を怒っていたのかを知るのは、ずっと後のこと。

あの時、ただ拗ねていたのだと知った私が呆れるのも、ずっと、ずっと後の話。


今はただ、胸の中で起こった小さな変化に戸惑いを覚えていた。


 

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