曇り空の日は、気分も釣られてしまう。
眠れずに明けた夜を怨めしく思いながら衣装に袖を通して、寝所の外に出る。
寒さに身を竦めながら、もうすぐ雪でも降りそうな空を見上げた。
今日も、一日が始まる。
こんな気分でも。
「楓殿、おはようございます」
不意に声が響く方を向けば、庭にて打ち合っていたらしく、木刀を下ろしながら笑う人物。
いつからそこに居たのだろう。
こんな冬空でも見て取れる、爽やかな汗。
「おはよ、三郎くん。今日も早いね」
「日々精進ですから。朝の鍛錬を怠ると調子が出ません」
「‥頑張ってね」
「ええ、ありがとうございます」
三郎くんと談笑しながら、視線が彼を通り過ぎてしまう。
暖かい三郎君の笑顔の向こう、木刀を手にしたままの背中を見てしまう。
「‥‥‥」
「四郎、何をしている。楓殿に挨拶をせよ」
私の視線に気付いた三郎くんも、後ろを振り返った。
「あ、いいよ三郎くん!邪魔したのは私だし。‥‥寒いからそろそろ部屋、戻るね」
「しかし‥‥、楓殿?」
何か言いたそうな表情を振り切るように、私は踵を返した。
結局、一度も振り返らなかった背中。
怒っているのはすぐに分かる。
いつもみたいに、軽口を叩いてくれる事も、素っ気なくあしらわれる事もなかった。
何だか、泣きそうだ。
「楓様、どちらへ‥‥」
「ちょっと散歩に出てくるね!」
「え?‥あ、お待ちを!」
呼び止める若桜さんには悪いと思いつつ、それでも捕まらない様に腕をすり抜け走る私って卑怯だなと思う。
重たい衣装の彼女と、普段は軽装の私。
ちゃんと説明すればいいのになんて思いながら、今はただ一人になりたかった。
お世話になっている衣川館の裏手に広がる森には、清らかな空気が満ちていた。
慎重に足を踏み出す度、ギュッギュッと雪が鳴く音が聞こえる。
その音が、静寂の中で唯一の動。
‥‥そんな詩的な考えに身を浸したかったのには、理由がある。
「やっぱり、迷ったんだ‥‥」
どちらを向いても、同じ景色。
幹だけの針葉樹と、白銀の世界。
愕然として落とした呟きに、返る言葉は勿論なかった。
雪に閉ざされた世界に、たった一人。
たった、一人。
「‥‥はぁっ」
凍える息で手を温めながら、空を見上げた。
そうでもしないと寂しくて。
そもそも私は、どうしてここに来たんだろう。
ここに。この世界に。
最初に到着した、大鳥城に‥‥どうして。
私がここに来た事に、意味があるのか。
電気も、車もない。
服も違う。
文字も漢字が殆どで読めないものが多い。
平和な時代とは常識そのものが違う。
そして、歴史の授業で何度も聞いた名前を背負う人達がいる、この世界に。
‥‥父さんも、母さんも、今頃心配しているのかな。
出張ばかりな父さんと、そんな父さんに付いていってる母さん。
お互いしか眼中にない両親のこと。
もしかしたら、私がいないことに気付いてすらないのかもしれない。
「‥‥‥流石に、そんなわけないか」
学校から連絡くらい来てるだろうし。
こうなればいっそ気づいてくれない方がいいのかもしれないと思いながら、本心は裏返し。
「今頃、心配、させてるのよね‥‥」
そう思ったら、急に泣きたくなった。
今まで、敢えて避けていたのに。
思えば絶対に悲しくなる。寂しくて堪らなくなる。
簡単に帰れそうにないのなら、嘆くよりもまずは順応すべきだと思っていた。
だから、考えてはいけないと蓋をしていた、のに。
───あんたにとって、父上と母上は親の代わりなのか?
あの言葉と、四郎の冷たい視線が棘みたいに心に突き刺さったまま。
私達は親代わりでいい、と言ってくれたのは基治さんと乙和さん。
両親と離れてしまった私を不憫に思ってくれた上の、無条件の優しさ。
本当の親子ではないけれど。
私が父さんと母さんを思い出しても泣かない様に。
この世界での暮らしに困らない様に、親の代わりを務めようと。
そんな風に思ってくれたのだと思う。
私がどんなに嬉しかったか、四郎にはきっと理解出来ない。
本当なら、四郎の言葉に普通に頷けば良かったんだ。
誰かの代わりじゃなく、二人は大切な人なんだよ。
って、そう頷けば。
なのに。迷いが生まれてしまったのは、きっと‥‥。
「‥そんな所で何を呆けておるのだ、楓?」
名を呼ばれてはっと現実に返る。
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